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海外組として生きる by 榎森亮太

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海外組として生きる 第1回「何よりも大切な目標設定」
by 榎森亮太

 ゲキサカの読者のみなさま、初めまして。榎森亮太と申します。今回からゲキサカで連載をさせていただくことになりました。現在、僕はスポーツマネジメントの仕事をしていて、『海外でプロになりたい』という選手たちをサポートしています。

 突然ですが、みなさんは「海外組」というと、どんな選手をイメージしますか? 多くの人が、本田圭佑選手や香川真司選手、内田篤人選手ら、世代別代表に選ばれて国際大会に出て、Jリーグでも活躍して、オファーを受けて海外に行った選手のことを思い浮かべると思います。でも、『海外組』には、他にもいくつかのパターンがあるんです。少ない例ですが、幼少期にバルセロナにスカウトされた久保建英くんのような選手。プロになれなくて、チャンスを求めて海を渡った選手、プロになったけど日本で成功できずに活躍する場を求めて海外に行く選手。彼らも、海外でサッカーをしている『海外組』です。

 実は僕自身も、数年前まで『海外組』でした。高校生の頃に中国の上海申花U-19に留学をして、高校卒業後は、長野エルザ(現・長野パルセイロ)に在籍しました。そこから、プロサッカー選手になることを目指して、ドイツ6部リーグで2年、次はドイツ4部リーグで1年、その後オランダの3部リーグのクラブに所属しました。最後はシンガポールとタイに行き、プレーできる場を求めましたが、見つけることはできずに25歳で現役を引退しました。

 サッカーをするために海を渡り、実際に欧州リーグでプレーする『海外組』になることはできました。でも、僕は『プロのサッカー選手』になることはできなかったんです。どういうことか、疑問に思う人もいるでしょう。「現役最後にはオランダ3部リーグのクラブに所属していたんだ」と言えば、響きは悪くないかもしれません。でも、僕はそこで1試合も出場できずに、お金も一銭ももらえなかったんです。

 当時を振り返ると、目標設定が間違っていたのかなと思います。僕は、『とにかくプロサッカー選手になりたい』という一心でプレーしていました。『最終的に1部リーグでプレーする』とか、『2部リーグで得点王になる』とか、そういう目標を立てずに、漠然とプロサッカー選手になることだけを目標にしていました。その結果、目先のことばかりを見てしまい、チャンスを逃してしまったかなという気がしています。

 より具体的に説明しましょう。僕は欧州1年目、ドイツ6部でプレーしました。1年目のシーズンは試合に出て、出場給など、サッカーでの収入も多少ありました。2年目はチームに「残ってほしい」と言われて収入も増えました。次のシーズン、僕は自分から売り込んで、テストを受けさせてもらい、4部リーグのチームに移籍をします。でも、監督やフロントの人たちが「獲得したい」と思って獲ったわけではありませんから、出場機会も、収入も減りました。次に移籍したオランダも、同じことでした。

 このときに『自分は最終的に2部リーグでプレーする』という目標を掲げていれば、『もう1年は、6部のクラブに残って、上のチームから引っ張られる結果を残そう』『上のリーグで通用する力を付けよう』と、考えられたかもしれません。でも、『とにかくプロになりたい』という想いが先行していた僕は、焦ってしまい、自分を見つめることができずに、自分の力を蓄える時間をつくることができませんでした。これは海外でプレーする、しないにかかわらず、すべてのサッカー選手に共通することですが、自分の一番大きな目標をしっかり持ち、そこから逆算してサッカー人生を送ってほしいと思っています。

 いま、僕がやっている活動というのは、僕自身が『現役時代に、こういうアドバイスが欲しかったな』という話をしてともに考えてあげることです。目標をどこに設定するかを一緒に考えて、そのためには、1年、1年、何をやっていけばいいかを逆算していく。実際にサッカー留学の仕事を始めてから、あらためて、あまりに何も知らない、考え方の甘い選手が多いなということを実感しています。逆に、何も分からないがゆえに、必要以上に不安になる選手もいます。そういう人たちに対しても、このコラムを通じて『海外組として生きる』というのは、どういうことか、何が必要なのか、といったことを伝えていけたらと思っています。それが、微力ながら日本サッカーを世界一へと押し上げる力になると信じて前へ、前へと進んでいます。


プロフィール
榎森 亮太
えもり・りょうた

1985年生まれ。奥寺スポーツアカデミー在学中に上海申花U-19に留学。その後、長野エルザ(現・長野パルセイロ)を経て、プロサッカー選手になるべくドイツに乗り込む。ドイツで3シーズンプレーした後、オランダへ渡る。その後、シンガポール、タイに活躍の場を求めるがケガもあり現役を引退。その後、ドイツ時代に知り合った本田圭佑の専属マネジャーとなり、オランダ2部から日本代表の中心選手に登り詰める本田を支えてきた。2014年には「TRYJIN株式会社」を設立し、留学の事業を展開。現在に至る。

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