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「ユース教授」安藤隆人の「高校サッカー新名将列伝」 by 安藤隆人

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“ユース教授”安藤隆人の「高校サッカー新名将列伝」第11回:岡山哲也監督(中京大中京高)
by 安藤隆人

『ユース教授』安藤隆人の新名将列伝。第11回は中京大中京高サッカー部の岡山哲也監督。岡山監督と言えば、中京大中京(当時は中京高)からJリーグ開幕前年の92年に名古屋グランパス(当時名古屋グランパスエイト)に入団。以降、12シーズンを過ごし、天皇杯優勝2回などを経験し、ベンゲル監督(現・アーセナル)時代は黄金期の主軸メンバーとして活躍。『Mr.グランパス』として、サポーターから絶大な人気を誇っていた。

 05年に名古屋からアルビレックス新潟に移籍し、07年からアルビレックス新潟シンガポールでプレーした後、08年シーズン終了を持って現役を引退。引退後は名古屋グランパスの育成普及部で2年間、スクールコーチなどを務め、11年に母校の監督に就任をした。

 実は岡山監督と筆者は、筆者が高校時代からの仲。高校、大学と熱心なグランパスサポーターでもあった筆者と、当時現役バリバリの選手だった岡山監督。特に大学時代は、いわゆるコアサポーターとして、時には選手、サポーターとの意見交換をしたりと、思い出は尽きない人物。まさか高校サッカーの指導者として、自分が取材をするようになるとは思わなかった。今回のインタビューはお互い当時の思い出に浸りながらのものとなった。

―まずは中京大中京の監督に就任をされて、今年で5年目となります。母校に赴任してみて、これまではどのようなものでしたか?
「経験の無いところからのスタートだったから、手探りだし、全国の名だたる監督、指導者の人たちに協力してもらいながら、周りに助けられての5年間だったね」

―中京大中京の監督になった経緯を教えてください。
「指導者になりたいという気持ちが、現役時代からあったんです。現役のときにC級ライセンスを受けてみたら、『ああ、こういう視点でサッカーを考えられるんだ』と凄く新鮮だった。過去をさかのぼって自分が言われたことが、『ああ、こういうことを言っていたんだ』と気付いた部分があって、こっち側の世界に魅力を感じたんです。それにシンガポールでプレーしたときは、学生が多くて、プレーしながら指導することもやらないといけない環境で、ふと『これ、指導者みたいだな』と気付いて、『やっぱり、やってみたいな』と感じるようになった。そんなときにストイコビッチがグランパスの監督に就任したのもあって、日本に帰国して、現役を引退して、グランパスに戻ったんです。そのときから将来的には母校のサッカー部の監督をやりたいという希望が合った。そうしたらその2年後にお話を頂いたので、迷わず即答で引き受けたんです」

―高校サッカーの世界に飛び込んでみて、イメージとギャップはありませんでしたか?
「ギャップは感じなかったけど、一番感じたのは高校サッカーの指導者は、ここまで苦労をしているんだという事実に驚いたね。だって学校の先生が大多数で、普段は担任だったり、学年主任だったり、学校内での役割を果たしながら、サッカー部を指導する。部員が多ければ多いほど、仕事は増えるし、土日になればハンドルを握って遠征したり、指導について考えたり…。本当にやることが多くて、『いつ休むんだ?』と本当に驚いた。僕は先生ではないのに大変だと思うのに、先生をやっている指導者はもっと大変。この世界に足を踏み入れた以上、生半可な気持ちじゃ出来ないなと覚悟をしたね」

―『Mr.グランパス』から高校の指導者に。キャリア的にも有名なJリーガーが、高校サッカーに飛び込むことは、色んな意味で大変だと思います。ですが、岡山監督は驚くくらいすんなりと馴染んで、もはや高校サッカー界に定着している監督の一人だと思います。
「一番大きかったのが、全国の名将と呼ばれる皆さんが凄く良く受け入れてくれたことですね。奈良育英の上間政彦監督は厳しさと楽しさ、熱さを教えてくれた。星稜の河崎護監督からは温かい言葉を頂いたり、四日市中央工の樋口士郎監督にも気に掛けてもらったり、凄く良い先人達がいろいろ教えてくれた。そこは凄くありがたい。あと昭和48年生まれの同級生の指導者が多いので、そこは助かりました。個人的には、まず『選手・岡山哲也』というプライドは、自分の心の奥底に埋めたね。『指導者・岡山哲也』はもう新米であり、ど新人。そういう意味では高校サッカーを飛び込んで、自分より年下だろうが、そこは頭を下げて教えを乞うし、いろんな経験を積ませていただけましたね」

―『Mr.グランパス』としてのプライドは簡単に埋めることが出来たのですか?
「あっさりね(笑)。多分、性格だろうね。自信満々というより、謙虚の気持ちの方が強かった。高校時代から決して一流じゃなかったし、グランパスに入ったときも同期の小倉(隆史・グランパスの新監督に就任)がスターで、自分は目立たない存在だった。正直、『Mr.グランパス』と呼ばれるけど、それはプレーから来た名称ではないと思う。プレー面では自分より遥かに上手い選手がたくさんいたし、実績とかプレーではなく、自分の『グランパス愛』と、サポーターが本当に大好きで、サポーターと常に向き合ってきたという姿勢が、『Mr.グランパス』と呼ばれるようになった要因だと思う」

―それは間違いないと思います。選手時代から岡山監督は常にまっすぐで、サポーターに対しても、真っ正面から向き合ってくれる選手でした。
「安藤君ともかなり向き合ったよね(笑)。安藤君たちと話し合ったことは、本当に昨日のことのように覚えているよ。僕たちはサポーターのみんなに、『価値』を求められているし、『喜びと笑顔』を求められている。みんなそれを観たくて、お金を払ってスタジアムに足を運んで、必死にサポートをしてくれる。僕らは自分の好きなことを職業としている訳だから、サポーターに対してある程度の義務があるのよ。当然、調子が悪かったり、負けることもある。そうなったときには『ごめんね』という気持ちを持たないといけない。悪いときはちゃんと厳しくされることが当たり前と思っていたから、正面から向き合えた。でもね、それが今も凄く活きているんだよ。指導者になって、僕が一番大事にしているのは、『オープンマインド』。周りの指導者やスタッフに対してもそうだし、選手達にもそう。選手達に対しては、すべての選手に何か一つでも良い思い出を残してあげたいと思っています。当然、83人の部員全員がトップチームの試合に出られる訳ではないけど、例えばCチームからBチームに上がる喜びや、技術が上がった喜びなど、些細なことで良いから一人一人に、卒業した後にこの3年間が財産になるような声かけや、指導をしていきたい。まずはチーム全体を考えて、その後について来るのが、結果だと思っている。当然全国に当たり前に出るチームにしたいし、プロ選手を輩出したい。でもそれは順位的には2番、3番。なぜならば、僕が受け持っているのは高校サッカーだから。それが僕の信念だと思います。そうした姿勢を僕が見せないと、絶対に周りはついてこない。自分を信頼してもらうためには、自分も真剣に正面から向き合わないといけない。それは選手時代に安藤君達とのやり取りから学んだことでもあるよね」

―本当に素晴らしい人間性を持った選手だなと当時から思っていました。だから常に応援していたし、心の底から尊敬をしていました。
「自分のこれまでの道のりは『ベスト』ではないけど、『ベター』だと思っているよ。マイナスなことは一つもないと思っている。今でも当時のサポーターも声を掛けてくれたり、中学校行っても先生などにグランパスのファンが居てくれる、それはありがたい」

―今日はありがとうございました。監督、ライターとして何度か取材はしていますけど、今日改めてインタビューをしてみて、やっぱり岡山監督は自分の中で大きな存在であることを再確認出来ました。
「ありがとう、安藤君とのインタビューは、サポーター時代の思い出が強すぎて、どうしても話がいろいろそれちゃうよね(笑)。もはや『昔からの同志』という感じ。こうして今もサッカー談義を重ねられるのは、僕としても感慨深いし、これからも高校サッカーを盛り上げていこう!」

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