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No Referee,No Football

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大久保選手の一発退場
[J1第26節 横浜FMvs神戸]

 横浜F・マリノスヴィッセル神戸の試合は、後半39分に神戸の大久保嘉人選手がボールと無関係な場所で小野裕二選手の足に当たり、退場を命じられた。ボールをドリブルで運んでいた小野選手はセンターサークル内で右サイドにパスを出し、そのまままっすぐ前方に走っていった。すると、大久保選手が斜め後ろから小走りで近づいていく。そして、すっと右側に方向を変えたところで小野選手に接触。小野選手は前方に倒れ込んだ。

 小野選手の倒れ方は大げさで、それほど痛んでいないにもかかわらず左足首を抑え、主審が大久保選手に対して警告や退場を命じるように、負傷を装って倒れたように見える。しかし、接触があったことも確かである。村上伸次主審はプレーを追いながらも、大久保選手の動きに違和感を抱き、視野に2人の位置関係をとらえていた。そして、すれ違いざまに大久保選手が左足で小野選手の左足を踏むようにした動きと、その後の大久保選手の右足の動きを見ていたに違いない。

 大久保選手の行為に相手を傷つけるほどの過剰な力はなかったが、意図がある。ボールとは関係のない位置でまっすぐ小野選手に近づいていって足に当たり、小野選手が転倒しても素知らぬ顔で走り抜けた。プレーに参加するわけでもなく、小野選手をマークするでもなく、大久保選手には、小野選手に近づく必然は見られない。ましてや近づいたあとに方向を変える必要もない。

 相手選手であろうと、目の前で人が倒れ、声を出している。仮に接触がなかったとしても、何らかのアクションを取るのが普通だ。倒れた選手に目を遣る、接触があれば相手を気遣う、あるいは些細な接触で相手が倒れたことに文句を言うかもしれない。意図的に当たったと考えるのは妥当な判断だ。

 なぜ村上主審はボールとは関係ない位置の接触を見ることができたのか。この行為に至るまでに多くの“伏線”があった。後半12分、大久保選手がファウルを取られると、不満の表情で足を振り上げ、足元のボールを思い切り蹴ろうとする素振りを見せた。寸前で足を止め、ボールを蹴ることはなかったが、蹴ろうとした方向には村上主審がいた。この行動は、ファウルを取られたことに対する抗議だ。大久保選手が熱くなっていると村上主審は感じた。

 後半14分に神戸の河本裕之選手が2枚目の警告で退場となり、19分には小野選手が先制点を決めた。数的不利の上に1点ビハインド。大久保選手のフラストレーションはどんどんたまっていった。後半27分、相手のクリアが自分の体に当たってスローインになると、大声を張り上げてチームメイトに対して怒りをあらわにした。29分にはドリブル中に囲まれて小野選手にボールを奪われ、後方から小野選手の足を蹴った。キッキングのファウル。大久保選手のプレーに冷静さがなくなっていることが見て取れる。

 村上主審は大久保選手の心理状態も、小野選手との間に緊張関係が生まれてきていることも分かっていた。だからこそ、退場に至った大久保選手の行為もしっかりと見ることができた。

 これは「先入観」とは違う。始めからその選手を「悪者」と決めつけ、“悪い選手だからこういうことをするだろう”と思い込んで試合に入れば、先入観を持つことになる。審判は先入観を持ってはいけない。一方、主審は試合の事前準備として、それぞれの選手のプレーの特徴や行動パターンなどを「情報」として持つ必要がある。こうした「情報」は客観的な事実に基づくもので、バイアスされたものではない。

 加えて、試合中にも選手の特徴を理解するとともに、刻々と変わる試合展開や状況などから、その選手のテンションが上がり、“何か悪いことをする可能性があるかもしれない”という情報を処理していかなければならない。もしかしたら過剰な力で相手を傷つけるようなことが起こるかもしれない。そのときに事前の気付きがなければ、その行為を見逃してしまう可能性もあるからだ。

 村上主審はしっかりと準備できていたことで、的確な判断を下せた。とはいえ、大久保選手はこの試合が約2ヵ月ぶりの復帰戦で、いつも以上に気合いも入っていたのだろう。熱くなりやすい性格で、さらに試合中に“予兆”があったことを考えれば、どこかのタイミングでコミュニケーションを取り、しっかりとなだめてテンションを下げてあげることもできたはずだ。もし、村上主審にそこまでの余裕があれば、大久保選手の退場を防ぎ、11人対9人の試合にならなかったかもしれない。難しいことだが、それがゲームコントロールだ。

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