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SEVENDAYS FOOTBALLDAY by 土屋雅史

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[SEVENDAYS FOOTBALLDAY]:必要とされるこの場所で(盛岡・八角大智)
by 土屋雅史

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 4年間のすべてを捧げてきたエンジのユニフォームも、今日ばかりは倒すべき相手以外の何物でもない。「キックオフの前に並んでいる相手のイレブンを見て、『ああ、自分の環境が変わったんだな』というのは凄く感じました」という感傷も、試合前にはきっちり捨て去った。舞台は天皇杯1回戦。この日、グルージャ盛岡でのデビュー戦をスタメンで迎えることとなった男が対峙するのは、偶然にも昨年まで自らが在籍していた早稲田大学ア式蹴球部。気を許したら溢れ出しそうになる感情を押し殺し、その男はキックオフの笛を聞いた。

 3月31日。ザスパクサツ群馬から1つの“お知らせ”が届く。『この度、ザスパクサツ群馬に所属の八角大智選手につきまして、クラブ側と本人による協議の結果、契約を解除することで合意いたしましたのでお知らせいたします』。早稲田大学からの加入が発表されて約2か月半。2行の“お知らせ”は、「正直色々あった」日々を過ごしていた八角に、所属するチームがなくなったことを意味していた。

「自分がサッカーをやる意味だとか、『これからサッカーを続けていいのか』とか、色々なことを考えていた」中で、救いの手を差し伸べたのは母校だった。楽しいことも辛いことも含め、あらゆる想い出の詰まった人工芝のグラウンドと、勝手知ったるスタッフや後輩たちが、所属チームのない彼を優しく迎え入れてくれる。「それこそ今日戦っていたメンバーと一緒に練習に混ぜてもらって、コンディションを落とさないようにしながら、チームを探しているという状況でした」とその時期を振り返る八角。一度は巣立ったはずの東伏見の地でボールを追い掛けながら、自らと向き合う毎日がスタートする。

 ただ、そんな八角にはあるチームからすぐにオファーが届いていた。「群馬を辞めた時にすぐに声を掛けていただいて、『是非練習参加を』という話をして下さった」のは盛岡だ。監督は昨年まで明治大学を率いていた神川明彦。2年からエンジの名門でレギュラーを掴んでいた八角にとっては、幾度となく対戦してきたライバル校の指揮官でもある。「僕のことを敵の立場ですけど、しっかりと見て下さった監督さんですし、本当に大学時代も実績のある監督さんなので、そういった方に『来て欲しい』という話をしてもらえたことは、自分自身にとって凄く嬉しかったですし、誇りに思うことができた」一方で、それでも「サッカーを続けるのかという所も含めて、せっかくお話を戴いたんですけど、もう少し冷静にしっかり考えたいなという所があった」のも理解できる。即答こそ避けた八角だったが、そのオファーは少し物事に対してネガティブな思考になりがちだった彼に一筋の光をもたらす。そして熟考の日々を潜り抜け、決断の時は訪れた。

 7月11日。グルージャ盛岡から1つの“お知らせ”が届く。「このたび、前ザスパクサツ群馬所属の八角大智選手がグルージャ盛岡への加入が決定しましたのでお知らせ致します」。ザスパクサツ群馬から契約解除が発表されて約3か月半。2行の“お知らせ”は、「自分がずっと考えていた期間も、マメにGMの中村さんや神川さんからもコンタクトがあって、『いつでも来て欲しい』という熱意と誠意というのを凄く感じました。自分がこれほど必要とされているチームでプレーすることが自分自身にとっても幸せなことだと思いますし、本当にそういうチームで戦うことが自分にとっても一番の力になると思ったので、そういった所から自分は盛岡に来ようと思いました」と語る八角に、再び所属するチームができたことを意味していた。

 ところが彼の加入と時を同じくして、苦しい戦いが続いていた盛岡は好調に転じる。7月に入って怒涛の3連勝を記録すると、以降も3つの引き分けを重ね、6戦無敗とJリーグ参入以降のクラブレコードに並ぶ結果を叩き出す。「3か月のブランクがあって、試合勘もまだまだ未知数な所があったので、『使う所は慎重にならざるを得ない』という説明も受けていた」という八角も4試合続けてベンチに入ったものの、デビューには至らない。本大会出場を懸けて行われた天皇杯県予選決勝での起用も検討されていたが、登録の関係でその試合に出場することも叶わず、気付けば次の試合は天皇杯本大会の初戦となっていた。そして、いたずら好きなサッカーの女神と「相手も早稲田ですし、たぶん並々ならぬ意地を持ってやってくれるだろう」と考えた神川監督という2人の“神”は、八角に最高のデビュー戦を用意する。

「グルージャでのデビュー戦の相手が早稲田だということは、自分の中でも凄く意味のある試合だなという風に位置付けて」ピッチへ向かった一戦。左のウイングバックに入った八角に託された最大のミッションは、早稲田のキーマンでもある右サイドハーフの相馬勇紀を封じること。「在学中の自分は“新人監督”と言って、下級生に対して凄く厳しいことを言ったり走らせたりしていたので、たぶん僕に対する色々な想いはあったと思う」と推測した“先輩”にとって、3つ下の後輩にやり込められるようなことがあっては示しが付かない。とは言え、後輩にも意地がある。後半8分。相馬は完全に八角を振り切って際どいクロスを放り込んだ。「ちょうどその直後に3点目が入ったので、すぐ呼んで『オマエ使っている意味ないぞ。あんなのあり得ないぞ』というのは言いました」と神川監督。これには大学時代の恩師でもある早稲田の古賀聡監督にも「途中で神川監督からも『1対1で負けていたらオマエを出す意味がないぞ』というようなご指摘を受けて、僕もそれを聞いていたんですけど、『まさにその通りだな』という風に思います」と笑顔で同調されてしまい、当の本人も「言われて当然だと思います」と苦笑い。後輩からは手痛い“ご祝儀”も贈られながら、チームの勝利を告げるホイッスルをピッチの上で聞くこととなる。「自分がこのグルージャに来た意味を証明するためにも、グルージャのスタイルで勝ちたいという想いは凄くありました」という八角は先輩の威厳を保ちつつ、自らのグルージャデビューを母校相手の快勝という形で飾ることに成功した。

 真っ先に湧き上がってきたのは感謝の気持ちだ。「僕は自分の想いだけでサッカーをやるのではなくて、このチームに入るという決断ができたのも、本当に僕だけではなくて、家族だったり友だちだったり、知り合いの方だったり、それこそ古賀監督のおかげで、色々な方に支えられて自分は今ここにいられるので、本当に感謝しかないですね」と口にした八角は続けて、「自分は色々と紆余曲折があって、今はこの道に立っていますけど、自分の中では凄くポジティブに捉えています。経験も糧にして前に進んで行こうと思っているので、本当に今日母校相手にまた一歩踏み出したというのは、自分の中で凄い自信にもなりますし、これから先も自分がどんどんステップアップしていくためにも、ターニングポイントになるゲームだったかなと思います。今日の試合をもっと振り返って、反省したことを次に生かして、これからもっともっとチームのために成長することで、良いキャリアを積んでいきたいなと感じています」と力強く話してくれた。試合後にはグルージャサポーターからも、ULTRAS WASEDAからも『“ハッカク”コール』が巻き起こる。まだわずか1試合の出場に過ぎないが、彼がこのピッチに立っていることの意味を十分に理解している多くの人に見守られながら、これから八角大智が紡いでいくプロサッカー選手としてのキャリアは静かに幕を開けた。

■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務し、Jリーグ中継を担当。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」


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