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スポーツライター平野貴也の『千字一景』 by 平野貴也

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「スポーツライター平野貴也の『千字一景』」第36回:エースの暗器(専大北上高、蟻田幸希)
by 平野貴也

 セットされたボールに対し、背番号9の蟻田幸希は、左利きキッカーのポジションに着いた。第95回全国高校選手権の岩手県大会準決勝。1点を追う立場にあった専大北上高は、後半の残り13分にゴール正面やや左でFKを獲得した。強豪・盛岡商高に追いつく絶好のチャンスだ。右利きのキッカーは、主将の小野寺拓海。ボールに対して2人のキッカーが並び立ち、相手守備陣に揺さぶりをかけた。

 違和感があったのは、蟻田の方だ。左足で好パスを繰り出す場面はあったが、明らかに右利き。左足に直接FKを狙うほどの精度は、ないはずだ。しかし、先に動いたキッカーは、蟻田だった。助走でシュートをイメージさせ、キックフェイント。右方向へのパスモーションに釣られ、壁に入った敵とGKが動く。さらに足だけのパスフェイクで相手を釣ると、小野寺が右足からパンチのあるシュートを発射した。ボールは、クロスバーに当たってゴールイン。土壇場で追いついた。試合は延長戦にもつれ込み、延長後半に蟻田が右足で蹴ったCKから決勝点が生まれ、3-2とした専大北上が初の全国出場に王手をかけた。

 相手の盛岡商は、格上。守勢に回る場面も多く、多くのサポートは期待できないが、それでも蟻田の存在は、相手に対する脅威となり続けた。鋭い抜け出しから相手との1対1を制して前半26分に最初の同点弾を決め、その後も持ち前のスピードや両足を駆使したターン、パスで相手守備網に混乱を生んだ。1年次、チームの主将を務めていた2学年上のレフティー、中村捷太に憧れた。真似をするように1年かけて自主練習で鍛え抜いた左足は、今では隠れた武器となっている。

 試合後、FKの場面について話を聞くと、蟻田は「(左で直接狙うことは)ないです。フェイクです。左に立ったのは、盛商戦が初めて。パスを出すふりをしてGKを動かそうかなと。でも、いざとなったら蹴れますよ」と笑みを浮かべた。スピードという明確な武器を持ちながら新たな武器として研いで来た蟻田の左足は、まるで暗器のように不気味だ。突如、相手に襲いかかる武器が増える印象だ。利き足ではないが、左足でもシュートがあるかもしれない。パスか、いや、それもない――そんな駆け引きに相手を引き込むことで同点弾をアシストしたFKの場面、特に面白かった。11月6日の県大会決勝は、4連覇を狙う遠野高と対戦する。県大会初優勝を狙う専大北上の勝利の鍵を握るのは、エースの暗器かもしれない。

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