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SEVENDAYS FOOTBALLDAY by 土屋雅史

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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:ヒーローは遅れてやってくる(青森山田高・小松慧)
by 土屋雅史

 5万4千の歓声が耳に届き、ノートへ落としていた視線がピッチに引き戻されると、既にラインの裏へ抜け出していた。2日前に見たのとまったく同じ光景が、目の前に広がる。その刹那。ふと、本当にふと思った。「ああ、やっぱりアイツ持ってたんだ」。数秒後。2日前に見たのと正反対の結果を自ら引き寄せた13番は、歓喜に沸くスタンドの方へ一目散に駆け出していく。しかしアレだけ外してきたのに、ここで決めちゃうのかよ。思わず笑ってしまう。アイツはやっぱり持っていた。そう。いつだって、ヒーローは遅れてやってくる。

 そのキャラクターが十分に理解できる1試合だった。昨年3月の福岡。サニックス杯決勝。短く刈り込んだ坊主頭のフォワードは、いきなり前半5分に相手のミス絡みで生じたこぼれ球へ、誰よりも速く反応して先制点をマークすると、後半3分には右サイドを粘り強く剥がしてアシストも記録。青森山田高の優勝にきっちり貢献してみせる。

 試合後に行われた表彰式が印象深い。大会MVPとして彼の名前が読み上げられると、チームメイトからも「アイツかよ」といったニュアンスの“ザワザワ”と“ニヤニヤ”が巻き起こる中、颯爽と中央に進み出て商品のスパイクを手にする。準決勝まではノーゴールだったにも関わらず、決勝の活躍だけで美味しい所をさらっていく役者ぶりが憎らしい。

 実はこの大会が“ラストチャンス”だと捉えていた。中学時代から抱える腰の分離症に始まり、2年の春先には足首を手術。さらにその年末には2度の脳震盪に見舞われ、満足にプレーすることもままならない。冬の期間は腰の具合を考慮されて全体練習から外れ、「みんなが“雪中サッカー”とかキツいことをやってる中で自分はできなくて、メンタル的にも一番キツかった時期」を経て、ようやく辿り着いたサニックス杯。しかも直前の選手変更でメンバーに滑り込んだため、大会パンフレットに彼の名前は掲載されていない。そんな状況からのMVP。まさに“持っている” という表現がしっくり来る、決勝の1試合だった。

 表彰式の直後。担当している番組用のインタビューでMVPに話を聞く。「こういうの初めてなんですよ」と嬉しそうな笑顔を浮かべてスタートしたが、良いことを言ってくれようとする上に、2年分の想いが溢れて1つ1つの回答が長くなっていく。「悪いけどそんな長くは使えないんだよなあ」と思いながら、とにかく熱い17歳を撮影する。第一印象は、まさにナイスガイ。数々のエピソードが散りばめられた3分弱を終え、坊主頭のフォワードは仲間の元へ戻っていく。実際に“3分弱”から何秒がオンエアされたのか、本人はまだ知らないはずだ。

 少し雲行きが怪しくなり始めた1試合だった。4月の調布。高円宮杯プレミアリーグEAST開幕戦。FC東京U-15深川出身の彼にとっては、「気持ちは自分が一番入っていたと思います」と言い切る“古巣対決”。絶対に負けたくない因縁の一戦で、プレミアデビューとなるピッチへスタメンで解き放たれる。

 1点をリードして迎えた前半アディショナルタイム。13番に絶好の得点機会が到来する。檀崎竜孔が蹴ったFKに、長身の三國ケネディエブスが競り勝ち、ルーズボールが目の前に現れる。ゴールまでの距離は約1メートル。押し込むだけに見えた超決定機に、しかしヘディングは枠を外れてしまう。

 チームは前年王者のFC東京U-18に4-0で快勝を収めたものの、特別な相手との、特別なゲームで掴み損ねた結果。「やっぱりフォワードは点を取ってナンボだと思いますし、点を取らないと需要がなくなっちゃうので、しっかり点を取れる選手になりたいと思います」。試合後に語った言葉は、以降の自身に少しずつ実感として跳ね返ってくる。

 チャンスは来る。だが、シュートが入らない。プレミアでは無得点のまま、総体予選明けからスタメンを明け渡す。2枚目。3枚目。5枚目。試合ごとに交替カードとしての序列も下がっていく。夏の全国総体は17人の登録メンバーに選ばれたが、立ち位置はベンチの3番手ぐらい。チームも2回戦で昌平高に逆転負けを喫し、早々と敗退を強いられる。

 ベンチメンバーという立場に葛藤があった。「本当はゴールを獲りたいけど、試合展開では我慢しなくてはいけないし、『キープする時間が必要だ』とか、いろいろな条件提示がなされていたので、試合に出られることは嬉しいですけど、それがメチャクチャ悔しかったんです」。ところが、全国総体のショッキングな敗戦で決意が固まった。「『もうそんなこと言ってられねえな』って。『自分がサブでも何でも、試合に出てやってやればいいんだ』って割り切った気持ちになれたんです」。

 9月の富山(対富山一高)。1人目の交替選手として送り出されると、後半43分にとうとうプレミア初得点を叩き出す。さらにアディショナルタイムにもゴールを追加し、途中出場で1試合2得点の活躍を披露。整理されつつあった自身の役割が、チームに結果で還元される。それでも、やらかす時はやらかしてしまう。やはりプレミアのホームゲーム。柏レイソルU-18戦では、残り4分で投入されると、流し込むだけの決定的なシーンを掴んだが、シュートは枠を逸れていく。「みんな凄く応援してくれていて、あのシュートを外した時もみんな肩を落としてましたね」とは本人。チーム屈指の愛されキャラ。みんながゴールを期待してくれる。

 11月の青森。リーグ優勝を巡る大一番は鹿島アントラーズユース戦。1点ビハインドの厳しい状況でも声は掛からない。終盤に青森山田が劇的に追い付いたものの、最後まで彼に出番は訪れなかった。試合が終わってからだいぶ経って、偶然グラウンドを歩いている姿を見付け、久々に話し掛ける。「いやあ、出たかったんですけどね」。複雑な表情を浮かべながらも、「もうやるしかないんで。選手権も頑張ります!」と言い切った口調は力強かった。相変わらずのナイスガイ。短い会話を交わし、去って行く背中を見送りながら、「次にインタビューする機会は来るのかなあ」と何となく思ったことを記憶している。

 どうしても聞きたいことがあった。年が明けて1月5日。等々力。選手権準々決勝の矢板中央高戦を逆転で制し、2年ぶりのベスト4進出を決めた試合後。ミックスゾーンに現れた彼を捕まえる。2回戦(対草津東高)でゴールを奪った際に、実況の方が口にしたフレーズに聞き覚えがなかったからだ。「ねえ。いつから“炎のストライカー”になったの?」。満面の笑顔から答えが返ってくる。「なんかインタビューで『ずっと“炎のストライカー”を意識してやってます』って言ったら、良い感じでそうなっていて、今はそれが結構キテます」。得意気な表情が何とも可笑しい。

 滑らかな話しぶりに好調さが窺える。「初戦のゴールはメチャメチャ嬉しかったんですけど、何やればいいかわかんなくて、とりあえずジャンプして、喜びを爆発させたらあのポーズになっちゃいました。ダサかったですよね(笑)」。熱さは初めて会ったあの時のままだ。「準決勝も正々堂々と今日みたいに熱いゲームができれば、見ている人たちがその想いに心を動かされて感動できると思いますし、自分はどんなに泥臭くてもいいので、点を取ったりとか、チームのために走って、感動させられるように頑張りたいと思います」。

 話を聞き終えると、後ろに控えていたメディアの女性に「“炎のストライカー”ですよね?」と話し掛けられていた。意外と『結構キテる』ようだ。次は準決勝。埼玉スタジアム2002。チームもアイツも真価が問われる一戦になる。

 後半41分。ピッチサイドに13番が姿を現す。一時は逆転しながらも再逆転を許し、1点ビハインドで突入した最終盤。青森山田の命運はこの男に託された。「監督の指示はいつも『冷静に』とか『精度にこだわって』とか技術面のことを言われることが多いんですけど、今日は『決めてこい』って一言だけだったんです」。“いろいろな条件提示”はなかった。シンプルな一言に気持ちが奮い立つ。やるしかない。ただ、やるしかない。

 後半42分。三國が競り勝ったボールを必死で追い掛ける。相手のクリアへ体ごと突っ込むと、球体は目の前に転がってきた。スタジアム中の視線を独り占めしながら、右足のアウトサイドでGKの足元を静かに打ち破る。狂喜した仲間が次々と殊勲の13番へ駆け寄ってくる。投入からわずか1分での同点弾。久々に見た役者ぶりに思わず笑ってしまう。

 後半アディショナルタイム。千載一遇の決定機がやってくる。再び相手DFへプレッシャーを掛けた直後。再び自分の元へボールが帰ってきた。1対1。運んで、運んで、蹴ったシュートは、GKのファインセーブに掻き出される。「ちゃんとコースを狙ったつもりだったんですけど、全然狙えてなかったです」とは本人。完全なヒーローにはなり損ねてしまう。試合はPK戦で勝利を収め、ファイナルへの切符を手に入れたが、アイツが持っているのか、それとも持っていないのか、妙な“消化不良感”は否めなかった。

「よくアレを決めたなと思いましたし、逆に何でアレを外したのかなって(笑) でも、アイツはそういう選手なので、決勝でもチームを助けてくれるかなと思います」(天笠泰輝)「同点弾は本当にチームとして助かりましたし、本当に大きい1点だったと思います。まあ、もう1本あったと思うんですけど、それもアイツらしいです」(二階堂正哉)。チームメイトに加えて、指揮官も記者会見で言及する。「“炎のストライカー”と自称ですけれども、何かやってくれる奇跡の男ですので、最後に決定機を外しはしましたけど、よく同点ゴールを決めてくれました」。みんな触れずにはいられない。13番の殊勲と失敗に。

 我々が構えていたものも含め、数台のTVカメラが並ぶエリアへ“炎のストライカー”が登場する。視線が合うと、こちらへ満面の笑みを向けてくれる。3月の福岡や11月の青森を思い出す。この大舞台で本当に話を聞く機会が来ようとは。ただ、やっぱり良いことを言ってくれようとする上に、3年分の想いが溢れて1つ1つの回答が長くなっていく。「そんな長くは使われないんだよなあ」と思いながら、とにかく熱い18歳を撮影する。

「自分たちはプロじゃないですし、お金を稼ぐことはできないので、感動を高校サッカーから与えてもらってきた分、それを見てきた自分たちはしっかり感動を与えられる試合をして、勝って、いろいろな人に恩返しができればなと思います」。数々のエピソードが散りばめられた3分強を終え、少し髪の伸びたフォワードは仲間の元へ戻っていく。実際は時間が足りなくなった場合、彼の前に来た選手でインタビューが打ち切られていたであろうことも、本人はまだ知らないはずだ

 後半43分。ファイナルの埼玉スタジアム2002に詰めかけた5万4千の歓声が耳に届き、ノートへ落としていた視線がピッチに引き戻されると、既にラインの裏へ抜け出していた。2日前に見たのとまったく同じ光景が、目の前に広がる。その刹那。ふと、本当にふと思った。「ああ、やっぱりアイツ持ってたんだ」。

「一昨日のシーンしか思い浮かばなかったです。『ああ、コレ来た』と思って、『1対1だ。どうしよう、どうしよう』というよりは、『来たな!今日は決めてやるぞ!』という感じだったので、しっかり流し込めて良かったかなと思います」。数秒後。2日前に見たのと正反対の結果を自ら引き寄せた13番は、歓喜に沸くスタンドの方へ一目散に駆け出していく。青森山田の日本一を決定付けるダメ押しゴール。“クリスティアーノ・ロナウドポーズ”もこの日はきっちり決める。しかしアレだけ外してきたのに、ここで決めちゃうのかよ。思わず笑ってしまう。アイツはやっぱり持っていた。

 13番を囲んでいた凄まじい数の報道陣の輪に遅れて加わる。「恥ずかしいとか一切思わず、マジメに“炎のストライカー”と言い続けてきたので、その名前、キャッチフレーズが世の中に広まった良い大会になったと思いますし、たぶん誰よりもインパクトを残せたんじゃないかなって思います」。ついつい言いたくなった「そうなのかな?」という疑問は口に出さず、“炎のストライカー”の言葉へ輪の後方から耳を傾ける。

 少しずつ人がほどけ始め、ようやく彼と話せるポジションが回ってくる。1年間を思い出せばいろいろと聞きたいことはあったが、一番気になることをストレートに尋ねてみる。「なんであんなに入らなかったゴールが、ここに来て入ったんだと思う?」。一瞬考えた後、こう想いを紡ぐ。「たぶん技術向上はしていないと思うんですけど、今まで自分が1年間サッカーに対してもそうですし、寮長なので寮生活も含めて、すべてにおいてマジメに、やらなきゃいけないことはやってきたと思いますし、自分のやってきたことを信じられなくなったら男じゃないと思うので、自分のやってきたことを信じて、しっかりプレーできたことが、こういう形に繋がったのかなと思います」。

 その言葉に頷くのは、FC東京U-15深川時代の監督に当たる奥原崇だ。青森へと旅立った後も彼の成長を見守り続けてきた恩師には、すべてお見通しだった。「どれだけの簡単なシュートでも外し続ける時は、日常の取り組みと完全に一致しているので、一切マグレもないと僕には見えている感じです。ただ、取り組みのどこかにまだ隙がある時に、そこを全部詰められる所が彼の能力なんじゃないかなと思っているので、決勝のシーンは『またぶつけるかな』と思ったんですけど(笑)、取り組みが正しく積み上がっている時はああいうゴールも取れるし、準決勝と決勝では努力を積み上げてきた人や、汗をかいてきた人に起こりうるゴールに僕には見えました」。

 奥原の話を聞いて、すべてが腑に落ちた感覚があった。彼が“持っている”のは、1年間を見てきて何となくわかってはいたが、その正体はキャラクターに覆い隠されている所も多分にある。だが、彼は取り組みを正しく積み上げられる力を持っていたのだ。試合を見ているだけでは、取材で話を聞くだけではわからない、日常の取り組みを真摯に積み上げてきたからこそ、最後の最後でゴールの神様は“炎のストライカー”に微笑みかけたのだろう。

 バスの出発が近付いてくる。取材も終わろうとしていた時、彼の口から抱えていた想いが零れてきた。「取材って活躍した選手しかないと思いますし、中心選手って決まってるじゃないですか。それを今まで見てきて『いや、オレにもインタビューしろよ』ってずっと思っていましたし、自分は本当にそれが悔しくて。でも、『たぶん今のオレはその土俵にいないんだな』ってハッキリわかってからは、『オレはそこにピックアップされるように上がってってやるよ』という気持ちが反骨心となっていったので、そういう面では凄くいろいろな人に助けられたかなと思います」。

 良かったな。最後の最後でたくさん取材される機会に恵まれて。1年間いろいろな話が聞けて楽しかった。ああ、でもテレビのインタビューは、もうちょっと短めに話した方が使われやすいぞ。今後の参考のために、最初と最後のインタビューをまとめたDVDを送っておくよ。またいつか話を聞きに行く日がきっと来ると思うから。

彼の名前は小松慧。そう。いつだって、ヒーローは遅れてやってくる。

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