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高校サッカーから世界へ羽ばたいた宮市「高校時代はがむしゃらにやればいい」

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 日本サッカー界期待のスピードスター、FW宮市亮は欧州へ渡り、日本の高校サッカーを凄さを実感したという。「プロになって思うんですけれども、高校生って凄いなと。みんな、あの暑い中であれだけ走れるのは、やっぱり凄いなと思う。(ヨーロッパのユースチームの選手は筋トレ中心でそこまで走らないし)全然プロよりも凄いと思いますよ」。宮市自身、中京大中京高(愛知)時代には「ボク、めちゃくちゃ走らされましたから!」というほど走ってフィジカルのベースをつくってきた。高校サッカーはフェイエノールト(オランダ)やボルトン(イングランド)で欧州に衝撃を与えるプレーを披露し、日本代表にも選出されてきた宮市にとっても自身の原点。それは名門・アーセナル(イングランド)でのメンバー争い、強力DFとの攻防戦などヨーロッパで戦う上での支えとなっている。

 宮市にとって高校時代、サッカーは生活の中心だった。「高校時代は常にサッカー中心で回っていましたし、休みの日も出かけるのはサッカー部の仲間だし、今でも帰ってくればサッカー部の仲間と会いますし、青春のすべてですね、高校時代は」と振り返る。高校選手権、そして将来へ向けてがむしゃらに取り組んだ日々。朝練を行ってから、授業を受け、放課後部活へ行って居残り練習まで汗を流す毎日だった。3年時に主将を務めていた宮市は「(主将としての)苦労はなかったですね。(雰囲気は)結構、ピリッとさせていたので。緩まないように練習のときはしっかり集中してピリッとさせて、監督がいなくなったらワーワーやるかって。メリハリはしていましたね」。時に仲間たちと楽しみながらも磨いた技術、スピード。高校時代は高校選手権でゴールこそ決めたが、勝利することはできなかった。それでも、その武器は、Jリーグを経由せずに欧州へ戦いの舞台を移した宮市を欧州1年目から輝かせた。

 高校時代にU-17W杯へ出場するなど“プラチナ世代”92年生まれ世代を引っ張るひとりだった。所属チームに加えて代表チームでも切磋琢磨しながら成長を遂げてきたが、それでも今振り返って反省している部分もある。「もっとトラップを練習しておけば良かったと思います。(現在も)あまり得意ではないので。高校レベルでは全然問題ないなと思っていたんですけど、プロに行って感じたのはプレッシャーの寄せが速かったりした時に、より止める技術が必要になること」。高校でできるプレーがプロに行って通用するとは限らない。自分自身で目標値を設定してクリアしていく作業は簡単ではないが、高校時代から自分自身にノルマを課して貪欲に成長していくことが将来につながる。

 全力でやってきたことは必ずどこかで発揮される場が来る。U-18日本代表候補で現在中京大中京でプレーする弟のFW宮市剛を含め、高校生へのアドバイスとして宮市は「高校時代はがむしゃらにやればいいかなと思います。がむしゃらにやって、失敗すればそれは経験だし、成功すればそれは自分の糧になるし、いろいろな経験をして泣いて、笑ってじゃないですけど、それが高校サッカーかなと思います」。

 高校サッカーから海外を目指す選手にとって目標になるためにも、自身もよりレベルアップする。現在欲しているのはゴール。高校時代はゴールでチームを救ってきたが、現在はそのゴールが足りないと感じている。「ゴールを獲るのがこんなに難しいとは思わなかった。高校サッカーからいきなり飛び込んで、高校サッカーでは点は獲れましたけれど、こんなに点て獲れないものなのかなと。結構、そういう壁とかいうのはあります」と明かす。ゴールが少ない理由として「シュートが少ないかなと。左サイドの時はいいですけど、右サイドで起用されている時に縦に行ってクロスという形になりがちなんですよね。だから一コ中に入って左足でシュートとか、自分の中に入れていかないとゴールも生まれてこない」と分析した。

「実戦の場から離れてしまっているのでなかなか試す機会はないですけど、より右も左もとなれば、アーセナルからも必要とされる。現代はひとつのポジションだけでは生き残っていけないですし、ボクはベイルなんかを参考にしているんですけど、彼はSBからウイングから、今年はトップ下としてもプレーしていたのでそういう選手になっていかないといけない」。今回、帰国して周囲から期待される声を改めて聞いた。ただ、焦らずに高校時代以上に貪欲に、宮市はクラブで、代表で一歩一歩前進していく。

(取材・文 吉田太郎)

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