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日本代表入りへ注目の柿谷はクラブで結果を!「『どんだけセレッソで頑張ってんねん、コイツは!』というところに期待してほしい」

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 コンフェデレーションズ杯に出場していた日本代表はイタリアを3-4と追い詰めるなど健闘したものの、3戦全敗、グループリーグ最下位で大会を終えた。組織として戦うことができる手応えを掴んだ一方で、選手たちの口からは「組織で戦えることは証明できたけど、個で試合を決定づけるプレーが少なかった」「個人としてチームのためになれなかった」など来年のW杯へ向けて個を向上させる必要性が語られていた。さらなる躍進へのキーワード、「個」。ブラジルでの戦いを終えた日本代表選手たちそれぞれがレベルアップすることはもちろん、新たな「個」がメンバーへ食い込んでくる可能性も十分にある。アルベルト・ザッケローニ監督も「コンフェデが終わったら最終章に入るので、そこからまた全員がスタート地点に戻り、新しい競争が始まるということになるでしょう」とコメントしており、日本人選手たちはこれからW杯メンバーの座を懸けたサバイバルへ突入する。

「日本代表に招集したい選手」。サッカー専門誌等のアンケートで1位となるなど、J1得点ランキング首位タイの23歳、セレッソ大阪FW柿谷曜一朗へ向けられる期待は日増しに大きくなってきている。“世界レベル”とも言われるボールテクニックを備え、「逸材」「天才」とも表現されてきた国内組屈指の注目選手だ。本人もその熱について「それは感じますけど」と認めるが、心の中は至って冷静。「代表に入るためにサッカーをやっている訳ではないし、自分が楽しいからサッカーをやっている。入ったからすべてじゃない」。現在開催中のコンフェデ杯でブラジル代表のFWネイマールが開幕戦から3試合連続ゴール。フィット感を非常に大事にする柿谷が「裸足に近い。自分の足にかなりフィットしていて早く試合で履きたいなと感じました」と語るニュースパイク「ナイキ ハイパーヴェノム」(6月22日一般発売)をネイマールも着用しており、柿谷がネイマールと同じように世界舞台でゴールを連発する姿を期待する人たちがいる。もちろん柿谷自身にも、W杯への思いはある。「それはもちろん、思っていますけれど。それはボクが言葉にしてどうにかなるものじゃないので。ただボクらは試合するだけ。選ばれたら選ばれたで嬉しいし、選ばれんかったら、選ばれんかったでサッカーをやるだけです」。

 サッカーを楽しむ。10代の頃から「天才」と呼ばれ、常に周囲から高い期待をかけられてきた柿谷はC大阪の育成組織に在籍していた頃、常に一番に練習場に現れてボールを蹴ってきた。ただ、“上手くなろう”や“やってやろう”という気持ちではなく、彼をグラウンドへと向かわせたのはサッカーが好きという思いだけ。「ただサッカーが好きなだけでしたよ。今でもそうですけどね。ハマってたゲームがあったらもっと遅く来ていたかもしれないけれど、それもなく来たので」と説明する。

「(当時)どんな練習していたかと言われると思い出せないんですよ。真面目に練習していなかったんで(微笑)。練習で『これしろ』と言われたヤツをやるのではなくて、『コーチ困らせたろ』という感じでやっていた。コーチは『この練習をしろ』と言っているけれど、『これはしたらアカン』とは言っていない。『これ別にしたらアカンとは言ってないやん』みたいな。コーチに『ま、確かに言ってないけど』と言われるのが気持ち良かった。(中高生に)それをしろとは言わないですよ。もちろん、監督が言っていることをやった方がいいと思います。(ただ)常に相手が嫌がることを考えるのはいいことやと思いますけどね」。

 相手の嫌がること、予想を上回るようなプレー。“遊び心”がそのイメージを広げてきた。攻守に時間のかかる野球は自分に向いていないというものの、他の球技は何でも好きという柿谷は当時、ドッジボールでも何でも相手の嫌がること、裏をかくことを常に考えていたという。それは普段の生活でも。「サッカーと似た感じでやっていますね。基本的にそういうことが好きなんで。相手の裏を突くこととか、こう思っているだろうからこうしたろとか。いつも考えていますね」。その想像性の豊かさと、5月のJ1ベストゴールに選出された名古屋戦(5月25日)の超絶トラップからの決勝ゴールで見せたような技術がまた彼への期待値を高めている。

 柿谷と言えば、U-17日本代表の一員として出場した07年U-17W杯でフランスから決めた約50mのスーパーゴールが有名だ。前進していたGKの頭上を射抜く痛快な一撃。楽しみながら身につけた技術と視野の広さは世界を驚かせた。「あれは10分前くらいから決めていたことですけどね。いつかやろうと思っていた。タイミングをうかがっていた感じですね。実際、GKが出ていたのは分かっていた。入った瞬間、『オレ、日本帰られへんな』と思いました。これで日本帰ったらメディアとサポーターでいっぱいやろなと。でも、負けて帰ったら誰もおらへんかった(笑)」。

 一方で、日の丸を背負って失望も味わっている。08年のAFC U-19選手権で柿谷らU-19日本代表は準々決勝で敗退。U-20W杯への連続出場を7でストップさせてしまった。怪我で思うようなパフォーマンスができなかった柿谷自身もその後、年代別日本代表から遠ざかっていく。クラブでの出場機会も伸ばすことができなかった。「自分の中でももう自分は代表選手じゃないなと思っていました。もちろん、サッカー中は誰にも負けていないと今でも常に思っていますし、それがなくなった時点でボクはサッカーを辞めると思いますけど、プレーの質というか『今はもうオレ、代表選手やないわ』と素直に思ったし、だからもう一度頑張らなと思ってやりました」

 期限付き移籍した徳島で実績を残して、C大阪復帰1年目の12年は11ゴール。そして今年は開幕から貴重なゴールを連発してきた。ただ、代表を意識するレベルまでは達していないし、“まだまだやぞ”という思いしかない。「それしかないですね。だからこそ、日本代表にも呼ばれないんでしょうし、それは自分でも自覚しているし、だからこそもっとチームで目立って、それからやと思う。Jリーグも、ナビスコも、もっともっとチームに貢献することが大事やと思います。代表へ行くにはセレッソでどんだけできるかっていうのがある。『どんだけセレッソで頑張ってんねん、コイツは!』というところに期待してほしい」。日本代表入りを決めるのは自分自身でもマスコミでもない。C大阪でひたむきにやり続けること。それがいつか代表へ、W杯へつながる道となる。

(取材・文 吉田太郎)

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