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[AFC U-22選手権]8強敗退に見るU-21代表の収穫、内外に示した“手倉森色”

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 1勝2分1敗で準々決勝敗退。手倉森ジャパンの初陣となったAFC U-22選手権は、いささか冴えない結果に終わった。この大会の次回大会がリオデジャネイロ五輪のアジア最終予選を兼ねることを考えると、実に物足りない。アジアからの五輪出場枠は3枠だと予想されるだけに、せめて3位を争うところまでは行きたかったが、厳しい現実を突き付けられた。

 それでも、収穫がまったくなかったわけではない。まずは世代間の融合を本格的に図ることができた。12年秋のAFC U-19選手権当時は、お世辞にも雰囲気の良いチームとは言えなかったが、今回は和やかなムードで練習も進められていた。

 リオ五輪世代の筆頭である93年生まれ組と、その一つ下の94年生まれ以降の世代には大きな経験値の差がある。それはU-17W杯の出場経験という差だ。「94JAPAN」はベスト8でブラジルを相手に好ゲームを見せながら惜敗したという実績を持つ。それでも、93年生まれで、中心選手としてこの世代を引っ張って来たDF山中亮輔(柏→千葉)は「みんな仲がいいし、下の世代のほうが経験があるからどうっていうのもないです」と言う。手倉森誠監督やスタッフの雰囲気づくりも一因としてあるのかもしれないが、雰囲気は悪くないように見えた。

 そして、手倉森監督が自分の方向性を内外に示すことができたということ。この4試合を通して、守備的に戦い、攻撃に関しては人数と手数をかけない。ポゼッションにこだわらず、シンプルなサッカーを展開した。手倉森監督は説明する。

「これが俺のベースだということです。アジアの中での日本ではなく、世界の中での日本を考えれば、まだまだ強豪ではない。一番高められるものとして守備だなと思っていますから、技術のある選手たちが守備力を獲得できたら、それにどんどん枝葉となって、ボールを握れる日本のスタイルを確立できるんじゃないかと思います。あとは組み合わせ。トレーニングをする中で、コンビネーションのところでチームとしてボールを握ることを次のステップで、いよいよやれるのかなという気がしています」

 まず守備の意識を求める。一方で、攻撃に関してはFW中島翔哉(東京V)に代表されるように個の力での打開が求められた。その方向性がハッキリしたことで、もちろん戸惑う選手はいる。例えば「94JAPAN」では主力として活躍したMF石毛秀樹(清水)は、もろにその影響を受けた。

「みんな守備の意識が強い部分があって、ボランチがDFラインに吸収されるシーンが多いので、奪った瞬間に自分が受けたとき、周りのサポートが少ない。そういうサッカーでこれからやっていくと思うので、そこに自分が慣れないと、メンバーに残っていくのも大変になってくると思う。ここのサッカーに合わせていけるようにしないといけないのかなと思います」

 パスサッカーの中で光る石毛のようなタイプにとっては、自身の発想の転換さえも求められる状況だ。「『こう崩す』というイメージを持っていても、それができないなら、一発でシュートを打つこともしないといけないと思う。ミドルシュートは自分も得意なほうなので」と、攻撃の選手として、なすべきことを模索し始めている。

 おそらくは、今大会直前に負傷のため参加を辞退したDF遠藤航(湘南)やMF大島僚太(川崎F)、U-19日本代表を優先して招集を見送ったFW南野拓実(C大阪)らが合流しても、手倉森監督の方針は変わらないだろう。ということは、選手たちがここで勝つために何をすれば良いかは自ずと示されたはずだ。

 このリオ五輪を目指すチームの気の毒なところは、今季のJリーグの日程などの影響もあり、なかなか海外遠征を組めないであろうということだ。手倉森監督は海外遠征などを希望しているというが、原博実専務理事は「無理だね」と断言する。国際Aマッチデーを活用して単発で国際試合を組める可能性はあるが、長期の遠征は難しい。その分、「J3に参加するJリーグ選抜で実戦経験を積んでほしい」と期待するが、Jリーグ選抜というチーム自体が初めての試みであり、そこでの経験がこのチームにどれだけ還元できるか、現時点ではまったく読めない。

 今大会を振り返り、あるいは先を見通してみても、リオへの道のりは決して簡単ではない。だが、そのことをチームが共通認識として持ち、覚悟を決めることができたのであれば、この先、未来につながる大会だったと振り返ることができるだろう。

(取材・文 了戒美子)

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