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ゲキサカ特別インタビュー『岡田武史ブラジルW杯観戦記』前編

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 ワールドカップ(W杯)を本格的に見て回ったのは2002年日韓大会以来、12年ぶりのことだった。「王国」と呼ばれるブラジルで岡田武史元日本代表監督は何を感じ、どんなことを思っていたのか? グループリーグ敗退という結果に終わった日本代表について、ドイツの優勝を支えたもの、岡田氏の胸を激しく揺さぶったチーム――。縦横無尽に語ってもらった。

日本代表は、マスメディアが大会前に持ち上げるほど強くないし、大会後に見下すほどに弱くなかった

 1分2敗に終わった今回の日本代表について、いろいろな人がいろいろな立場から意見を言っていることと思う。その中には「所詮、日本サッカーの力はまだまだこんなもの」という意見もあるのだろう。コートジボワールに1-2の逆転負け、10人のギリシャと0―0の引き分け、そしてコロンビアには1-4と大敗したのだから「弱いな、日本は」と見下されても仕方ないのかもしれない。

 私はそうした見方に必ずしも同意しない。というか、今回の日本代表はかなり力のあるチームだったと今でも思っている。あれだけ攻撃にタレントがそろっていたらリスクを冒す価値は十分にあった。攻撃的なサッカーを目指したアルベルト・ザッケローニ監督の気持ちも痛いほど分かる。私だってそうしたことだろう。

 残念だったのは「代表は国の誇りをかけて戦うところだ」という原点がぼやけていたことである。選手たちは二言目には「自分たちのサッカーをしたい」「攻撃的に戦いたい」と大会前も大会中も述べていたが、正直、私はずっとそこに違和感を覚えていた。

「自分たちのサッカーがやれたらそれで満足なのか」
「自分たちのサッカーができないときはどうするのか」
「自分たちのサッカーができたら負けてもいいのか」
「負けてもいいサッカーならだれでもできるだろう」

 違和感を言葉にすれば、こんな感じだろうか。W杯がそんな甘っちょろい世界ではないことはブラジル大会をご覧になった方ならすぐにお分かりいただけるだろう。

ブラジル大会で日本代表が目指したものが、守備的だった(とされる)南アフリカ大会の反省の上に成り立っているかのような言説も当時の監督だった私を戸惑わせた。大会中に会った外国の記者たちは、お世辞もあるだろうが、南ア大会の日本代表を結構評価してくれるのに、日本では「南アの日本代表は守備的だった」の一言で片付けられる。なぜなのか。本当に不思議でならない。

 南アフリカの大会で私が選手に注意喚起したのは「勝負の神様は細部に宿っている」ということだった。戦術論やシステム論で頭でっかちになるのではなく、1cmでも間合いを詰めてシュートのコースを狭める、体を逃がさずにブロックする。『俺が全力で走って戻らなくても何とかなるだろう』というような妥協を排する。そういう小さなことをしっかり積み重ねて勝利に近づいていこう、ということだった。

 ブラジル大会では、その上に、タレントのそろった攻撃陣で多彩な攻撃を積み上げれば良かったのではと感じる。

コートジボワール戦 日本はなぜ前線からプレスをかけられなかったのか?

 日本の3試合を振り返って惜しまれるのは、やはり初戦の逆転負けだ。今回のチームに本当に勝ちたい気持ちがあったのなら前線からプレッシャーをかけることは絶対に必要だった。2戦目、3戦目でやっとそういう機運が出てきたが、初戦に負けたあとでは使えるエネルギーは限られた。

 大国ならいざ知らず、未成熟な日本に、初戦を落としてから挽回できるほどの力はまだ蓄えられていない。だからこそ初戦にすべてをぶつける覚悟が必要だった。チリのようにピッチ全面、ありとあらゆるところでプレスをかけろとまでは言わないが、ボールに対する出足の厳しさ、鋭さ、連続性は要所で絶対に見せるべきだった。それが初戦からできていれば、状況は変えられただろう。

 なんのかんのといっても、どこか日本人は欧米に対する根強いコンプレックスを持っている。サッカーで外国人指導者をむやみにありがたがる風潮もその一例だろう。欧州組が増えて、一見すると選手はたくましくなったように見えるけれど、彼らは彼らで本場欧州の豊かなサッカー文化の厚みに触れて、我々以上に落ち込むことだってあるだろう。そういう欧州に対するコンプレックスはそうは簡単に乗り越えられるものではない。特にそれは個人単位ではなかなか難しいものだ。

 リオの海岸に行くと、小錦みたいなブラジルのおばさんが極小ビキニ姿で闊歩していた。美しさに自信があろうとなかろうと関係なしに平気なのだ。同じことが日本人女性にできるだろうか。「恥ずかしい」「笑われたらどうしよう」とか、そういう自意識の壁というか何かを最初から越えてしまっているのだ。日本人ならプレッシャーに感じてしまうことを平気で超えられるメンタリティーが向こうにはある。私がW杯で初戦の重要性を強調するのは、個人単位では難しいけれど、南アのときのカメルーン戦のように、初戦に勝利してチームとしてその壁のようなものを乗り越えると、逆に「俺たちにだってできるよね」とドーンと勢いが付くことを知っているからだ。

『岡田武史ブラジルW杯観戦記』中編
『岡田武史ブラジルW杯観戦記』後編

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