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ゲキサカ特別インタビュー『岡田武史ブラジルW杯観戦記』中編

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『岡田武史ブラジルW杯観戦記』前編

ドイツ対ブラジル ブラジル大敗退 ディフェンスに大きな穴が空いていた

 コートジボワールに負けたあとも、日本のグループリーグ敗退が決まったあとも、泣きたくなるほど悔しかった。その後でがっくり来たのがブラジルの敗戦。世界的にはこちらの方が圧倒的に衝撃的だった。南米と欧州を代表する大国同士の戦いが1-7に終わるなど、だれも予想できなかったと思う。

 戦う前から、力はドイツが上なのは分かっていた。それに加えてブラジルは主将のチアゴ・シウバが警告の累積で出場停止、得点源のネイマールが準々決勝で重傷を負って戦列を離れることになった。ブラジルにすれば絶体絶命のピンチなのだけれど、私は逆にそれがブラジルを開き直らせて、死に物狂いで頑張ることにつながるのではないかという淡い期待も持っていた。

 試合が始まると、ドイツの良いところばかりが目立つ試合になった。理由の一つにセンターバックのチアゴ・シウバの穴がある。もしかするとネイマールの穴より、こちらの方が深刻だったかもしれない。立ち上がりはいい感じで入ったブラジルだが、すぐにディフェンスに欠陥があることが見て取れた。

 本来のブラジルのセンターバックは左がダビド・ルイス、右がチアゴ・シウバという並びなのだが、左利きのダンテが左に入ることで、ダビド・ルイスは不慣れな右につくことになった。大一番、それも自分が所属するバイエルンの選手を向こうに回して戦うことに気後れしたのか。ダンテはやたらと深いポジションを取って、左サイドバックのマルセロとのバランスを大きく崩した。ドイツに決められた2点目、トーマス・ミュラーに横からの侵入を許した場面など、『なんでそんなに後ろにいるの?』と首を傾げるほど、ダンテのポジションはひどかった。

 この2点目から5点目まで、ブラジルの4失点はわずか6分の間に生じた。普通ならあり得ないことである。

 もともとブラジルの守備は、チアゴ・シウバとダビド・ルイスの個の力で最終的にしのぐことが多かったから、この2人のどちらかが欠けたら大量失点する危険性はあった。スペインがオランダとのグループリーグ初戦で大敗したときにも感じたことだけれど、ディフェンスリーダーの有無も、こういうときに踏ん張れるか否かの境目になる。

 そういう意味で4年前のスペインにはカルレス・プジョルがいた。今回で言えば、アルゼンチンのハビエル・マスチェラーノ。こういうリーダーがいるチームはやはり大崩れしない。ドイツ戦のブラジルはその任をキャプテンに指名したダビド・ルイスに託したが、無理があったようだ。

オランダ対ブラジル 完全に負のスパイラルにハマッた惨めなブラジルの姿

 続く3位決定戦のオランダとの試合も、ブラジルは同じようにやられた。出場停止が明けてチアゴ・シウバは戻ってきたものの、中盤や攻撃陣の構成を変えて、普段やっていないメンバーで普段やっていないことをやろうとしてトコトンやられた印象だった。

私の考えでは、ディフェンスラインを押し上げるのは陣形をコンパクトにするためであって、相手からオフサイドの反則を取ることは副産物だと思っている。必要のないときや条件が整っていないときは、無理にラインを上げることはない。

 しかし、この日のブラジルはPKでいきなり先制されたこともあって、むやみやたらとラインを上げて前のめりになって攻め込んだ。GKがドイツのマヌエル・ノイアーならともかく、ジュリオ・セーザルにディフェンス陣の背後の広大なスペースを埋められるわけがない。そういうミスマッチをオランダにどんどん突かれた。こういうちぐはぐさを抱えて試合をすれば、事は裏目、裏目に進んでしまう。

 ブラジルの準決勝の大敗は、翌日のオランダ対アルゼンチンの準決勝に備えて移動したサンパウロのホテルのテレビで見ていた。正直、悲しい感情がわき起こった。私たちの世代にとって、ブラジルはそれだけの絶対的な存在感がある。

 ただ、他のチームと比べたとき、この程度じゃ仕方ないかな、という気もした。今大会のブラジルは普通の人がイメージする華麗なサッカーはできず、ネイマールとオスカルがボールを持ったときだけ何かを起こせるチームだった。がっちり相手に引かれたらダビド・ルイスのロングボールに頼るようなチームだった。あるのは「王国」というブランドだけ。中身が詰まっていなければ、ブラジルであってもボロボロにされる。時代がそういうふうに移り変わったのかもしれない。

 ネイマールにしても、ブラジルの歴代のスーパースターに比べたら、まだまだ足元にも及ばない。ペレやリベリーノ、ジーコやロマーリオ、ロナウド、ロナウジーニョといった先輩たちと比べてどこが違うかといえば、簡単にボールを失うことである。それが相手のカウンターの起点になっていた。ネイマールですらそうなのだから、フレッジやフッキは推して知るべしだった。

 チリとの決勝トーナメント1回戦も薄氷の勝利だったし、ベスト8で戦ったコロンビアとも接戦になった。それでも勝てたのは、南米の相手にはこれまでに徹底的に刻みつけた敗者の記憶があり、ブラジルの「腐っても鯛」的な神通力が効く部分がまだまだあったからだろう。

 しかし、それはサバンナでブラジルというライオンに何度も遭遇し、何度も死ぬほどの思いをしてきた南米勢には通じても、自分のことを虎だと思っているドイツにはまったく通じなかった。ドイツにはブラジルがヨレヨレのライオンにしか見えず、「何なの、こいつ。普通に勝負したろか」と爪を立てたらボロボロにできた感じではなかったか。

 ドイツ戦、オランダ戦と、いいところはまったくなかったブラジルに、一つだけ監督として感心したことがある。監督のフェリポン(ルイス・フェリペ・スコラーリ)がドイツ戦のあと、ピッチで円陣を組ませたことだ。あの場所で、あのタイミングで、選手に何か言葉をかけても効果は薄いと思うけれど、同業者として自分にはまったくない発想だと思った。

 ブラジルの敗戦がショックだったのは、これで街が余計に静かになると思ったこともある。ブラジルで驚いたことの一つに、どこの空港に着いても、町に着いても、W杯特有の浮ついた雰囲気があまりないことだった。反政府デモに気を遣ったのか、ハード面にカネをかけすぎて、街を飾る予算がなかったのか。

 皮肉なことに、街中がW杯らしくなるのはブラジルの試合がある日だった。街頭から人が消え、シーンと静かになる。そしてゴールが決まったとき、地鳴りのような歓声が沸く。その瞬間はテレビを見ていなくてもブラジルがゴールを決めたと分かる。そして勝利が決まると、街頭に繰り出してお祭りを始める人、人、人……。

 そんな町の「静」と「動」に移り変わる姿を見ながら、逆に思った。よく解釈すれば、ブラジルの人々には過剰な装飾なんか必要ないのだと。メディアや広告会社がつくり出す一過性のイベントに浮かれ騒ぐのではなく、もっと自分とサッカーを「1対1」でつなげている。間に余計なものを挟む必要はない。だから、ヨソから来た自分には地味に映って見えるのではないか。だとしたら、過剰包装が必要な国々のW杯に比べたら全然いいのかもしれない。無理に「盛り上げる」必要などないのだから。

 ブラジルが優勝したら彼らはどんな喜び方をするのだろう。どうやって街を熱気で包むのだろう。そう思い始めた矢先のブラジルの大敗。サッカーの世界の最高の夢であり、イベントがこんな形で事実上、終わるのか。そういう感覚に襲われたことが私の胸を通り過ぎた寂しさの理由だったのかもしれない。

『岡田武史ブラジルW杯観戦記』後編

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