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世界最高峰スペインフットサルリーグで指揮を執る日本人監督 鈴木隆二(後編)

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 指導者1年目の12-13シーズン、鈴木隆二はアレビンBを指導すると、チームはカタルーニャ州2部リーグで見事に優勝を飾る。13-14シーズン、アレビンBの選手たちは、そのままアレビンAに昇格。再び鈴木が指揮を執ったチームは、カタルーニャ州1部リーグを2位で終え、14-15シーズンは、バルセロナなども所属するカタルーニャ州最高峰のディビジョン・デ・オノールに昇格した。

 一方、現役選手としては、12-13シーズン、3部から昇格した2部Bチームのサント・アンドレウで中心選手として活躍し、チームを2部B残留に貢献。翌13-14シーズンは、2部Bへの昇格を果たしたマントレイに復帰し、7位でシーズンを終えて2部B残留を決めた。

 13-14シーズン終了の約2か月前に、鈴木より一足先に現役を引退し、会長兼監督に専念していたジョルディ・ガイ氏に呼び出された鈴木は、「来シーズンはどうしたい?」と聞かれたという。指導者にやりがいを感じていた鈴木は「より指導に力を入れて行きたい」と答えた。すると、驚きの答えが返って来た。

「トップチームの監督を、やってくれないか?」

 予想もしていなかったオファーに、鈴木は面食らった。「あまりにも大きなステップなので、正直なところビックリしましたよ。さすがにその場で即答はできなかったので、『1日時間をください』って頼みましたね」。育成年代のチームを2年間指導しただけで、トップチームの監督が務まるのか。そんな不安がなかったわけではない。それでも、「こんな大きなチャンスは、そう何度も来ない。これはチャレンジするべきだ」と自身を鼓舞し、鈴木はジョルディ・ガイの申し出を引き受けることにした。

「すべて自分の責任になりますし、どういう結果になっても受け入れる覚悟はあります。結果を出すために、全力を尽くす」。シーズン前、そう決意を述べた鈴木は、選手たちにも同じ覚悟を持って戦うことを求める。

 アレビンBを優勝した1年目、アレビンAで準優勝した2年目、ともに順風満帆だったわけではない。チームは格下に敗れると、選手ばかりか、保護者も落胆し、リーグ戦の先を読み「今年はもう難しいね」などと話していたという。だが、鈴木だけは「関係ない」と言い続けた。「シーズン中に、絶対にまた何か起こる。俺達が勝ち点を落としたように、必ず何かが起こる。大事なのは、最後まであきらめないことだ。オレは、最後の試合が終わる瞬間まで全力を尽くす。それを約束する。おまえたちは付いてくるか? 付いてこないか?」。そう問いかけて、子供たちの闘争心を駆り立てた。結果として、2部リーグを勝ち点1差で逆転優勝に導いている。

「結局、シーズンは前期、後期あって、対戦相手も自分たちも、いろいろ変わるんですよね。1試合1試合いろいろな状況がある中で、途中で投げるやつが敗者なんです。結果的に、試合に勝つ、負けるではなくて。だから、絶対にあきらめない。競争する意識とあきらめない姿勢のある奴だけが、結果を手にする権利を、少し得られるんです」

 アレビンを指導していた当時、印象的な試合がある。その試合、チームは0-3で負けていた。ハーフタイムには、ロッカールームで泣き出す子供もいたという。その子供に対して鈴木は「試合中だから、オレの前で泣くな。泣き止めないなら、お母さんの前で泣きなさい」と諭した。子供は反論した。「審判もミスばかりだし、チームメイトからもパスが来ない」。実際に、その子が不満を持つ状況でもあった。「分かるよ」と言ってから、鈴木は「でも、そのメンタリティが試合に生きるのか? 苛立ってプレーして、おまえの体は動くのか? 良い判断ができるのか? 試合に役立つのか? オレは役に立たないと思う。あと2分やるから、切り替えろ。切り替えられないなら、試合に出なくていい」と告げた。その子は気持ちを切り替えて、しっかりと鈴木の指示に耳を傾けた。後半、チームは彼とともに蘇り、逆転勝利を収めた。

 鈴木は、どの試合でも3つのことを選手たちに要求する。1つは、相手選手と競争すること。2つ目は、常に前向きな姿勢でいること。そして3つ目は、味方と連係すること。この3本柱は、マルトレイというクラブのフィロソフィーであり、指導者・鈴木の支柱でもある。

 スペインリーグ史上初の日本人監督となった鈴木は、壮大な目標を持っている。それは「日本の団体ボール競技を世界トップクラスにすること」であり、「僕はフットサルの人間なので、フットサルを通して、そういう目標を実現させたい」と話す。実際、鈴木はハンドボールやバスケットボールといった他の球技を参考にして、フットサルの指導に役立てているという。

 たとえば、手でボールを扱い得点がサッカーやフットサルよりも多く決まるバスケットボールでは、どういう狙いを持った攻撃なのか、何人で崩しに行こうとしているかなど、さまざまな現象が把握しやすい。その現象から多くの刺激を受け、戦術や練習メニューを考えることができるという。実際、昨シーズンからバイエルンで指揮を執っているジュゼップ・グアルディオラ監督も、バルセロナを率いていた当時は、バスケットボール、ハンドボール、フットサルという他セクションに顔を出して、さまざまなアイディアを得ていた。

 この2年間、日本に帰国するたびに、全国各地でクリニックを行っている鈴木も、団体ボール競技に共通するメソッドを見出しつつあるという。トップチームの指揮を任された今シーズンは、指導者として結果が求められると同時に、自身のメソッドが正しいかどうか、試される場にもなる。

「かなり厳しい挑戦だということは分かっています。でも、今までの自分を振り返っても、基本的にキャパシティーオーバーでやってきて今がある。これくらいだったらできるだろうということで目標を設定しているのではなくて、キャパオーバーで、できない可能性の方があるなってところでずっとやってきました。自分の中ではキャパオーバーというところで、挑戦を続けることが大事なんじゃないかなと思うんです。新シーズン、トップチームの監督と下部組織の総監督を務めるというのは、キャパオーバーしているなと思うんですけど、そういう話が来た以上はやるぞと覚悟を持ってやろうと思います」

 選手としてのキャリアにピリオドを打ち、新たなステージで挑戦を始めた鈴木の下には、さらに大きなオファーが舞い込んだ。それは、フットサルカタルーニャ州選抜からの依頼で、同州選抜チームのインファンティル(12~13歳)の第2監督就任の打診だった。鈴木は、このオファーを受け、現在はマルトレイのトップチームの指揮を執りながら、マルトレイのアカデミーの総監督、さらに州選抜の選手選考のためにカタルーニャ州内を奔走している。

(プロフィール)
鈴木隆二
すずき・りゅうじ
1979年、八王子市生れ。小4より、読売サッカークラブユースS所属。中1より日産FCジュニアユース所属。16歳でブラジルBOTAFOGO FC(サンパウロ)ジュベニールに所属。2000年大検合格を経て駒澤大学サッカー部所属。駒澤大学卒業後フットサルをはじめ、2005年日本代表に選出される。インターコンチネンタルカップ(スペイン)、AFCフットサル選手権ベトナム大会準優勝、AFCフットサル選手権マカオ大会出場。2006年より府中アスレティックFCに所属し、2007年全日本選手権準優勝。その後、A.S.D ROMA(イタリア)、名古屋オーシャンズ(日本)を経て、スペイン2部のレオン、ハエン、マルトレイの3チームと契約。2012年マルトレイは1部昇格を決める。マルトレイで選手を続けながら育成年代のアレビン(11歳~12歳)のチーム監督。2012-2013シーズン2部リーグ優勝、1部昇格を果たす。2013-2014シーズンは1部リーグ2位、Division de Honorに昇格(アレビンカテゴリーの最高峰リーグ)。2013-2014シーズンで現役選手を引退し、2014-2015シーズンからフットサルスペインリーグ2部Bリーグ所属のマルトレイのトップチーム監督に就任、育成年代のアレビンAチーム監督兼コーディネーターを兼任し、フットサルカタルーニャ州選抜インファンティル第2監督も務める。その経験を日本のフットサル、サッカーに還元すべく、バルセロナではスペイン在住の日本人サッカー関係者にカタルーニャ・フットサル協会会長カジェ氏(Jose Miguel Calle)と共に「サッカーのためのフットサル講習会」を企画主催し、すでに3回開催。日本でも指導者講習会や育成年代向けフットサルクリニックを各地で開催。また、スペインサッカー協会フットサル指導者資格レベル1・2を取得する。

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