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[選手権]18年ぶりに残った3年生たちの快挙・・・1893年創立の郡山が全国大会初出場!!

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 1893年創立。奈良県内で最も古い歴史と伝統を誇る郡山高は、奈良県内有数の進学校だ。かつて筒井順慶や豊臣秀長の居城だったという郡山城の二の丸跡に立地し、堀に囲まれ、天守台を望み、そして目を惹くルネサンス様式の学び舎。その本館校舎に「祝 全国高校サッカー選手権大会出場」という垂れ幕が下げられている。創立120年を越えて初めて開かれた新たな扉。伝統校の郡山が全国高校サッカー選手権に初出場する。

 長く奈良育英高と一条高を中心に争われてきた奈良高校サッカーの覇権。そのライバル校から「一番ええのが行っている」と声をかけられるほど、今年の郡山の戦力は充実していた。攻撃の要であるFW矢吹遼平や185cmの大型ボランチ、MF坂本瑞貴、GK大谷啓悟、そして主将のMF野原敦也といった実力派たち。ただ、全国高校総体予選は3回戦で一条に2-3で敗れ、全国には手が届かなかった。

 例年ならば、冬の郡山は前評判が低い。何故かというと、3年生が総体予選を最後に引退してしまうからだ。ただ、今年の郡山は違った。25人の3年生のうち、9人が選手権まで戦うことを決意したのだ。郡山の3年生が選手権を戦うのは実に18年ぶり。ただ彼らには「高校サッカー=選手権」という思いが強かった。野原主将は「インターハイで引退するのは何でかなという選手がボクらの学年には多くて」と振り返り、攻撃のキーマン・右MF鉄羅周太(3年)は「一番注目される大会だし、ボクタチの代の選手権はボクタチが出る」と当時の心境を語る。特に第5中足骨骨折のために全国総体予選を欠場した主将の思いは特別だった。「インターハイ始まる前に(選手権まで続けることを)ちゃんと決めていたのは3人で。ほかのは悩んでいて、もう一回ボクと一緒にサッカーしてくれる子が何人いるか不安で・・・・・・。でも9人も残ってくれて、優勝できて良かった」。郡山としては18年ぶりとなる3年生の冬。その選手たちが歴史を塗り替えた。

 県大会では無失点優勝を達成したものの、東大寺高との初戦から強豪との戦いの連続。3回戦では40m級のロングスロワーを擁する大淀高を撃破し、準々決勝では奈良育英高との大一番を苦しみながらも1-0で勝利。平城高との準決勝も1-0で突破すると、五條高との決勝は浦野和久監督が「ぶっちゃけた話、PK戦は(就任して)4年間ボク1回も勝ったことないです。PKなんて誰ひとり自信ないと思う。前の日の練習も全然入らないから『終わりじゃ』と、練習終わりました」というPK戦で7人連続で成功し、「不思議でね。3年が順番に蹴るという事で、出てくるヤツ、出てくるヤツみんな『コイツ外すんじゃないか』」という指揮官の不安を裏切って見事に全国進出を決めた。矢吹は「しっかりとやればできると思っていたので。それをしっかりとやれたことは良かったと思うんですけど、初出場ということで、この学校から出れたことはなかなかだなと思っています」と微笑んだ。
 
 奈良県の2種委員長を兼任する浦野監督は「ボクらも代表なので奈良県の小中学生の目標になりたいし、現在奈良の中学生の上60人のうち50人くらいは県外へ進学している。一人でも奈良県に残ってもらえるような面白いサッカーをしたい。そういう意気込みでやりたいし、選手らにはやっぱり伸び伸びやってもらいたい」と期待する。夏から意欲的に磨いてきた守備や向上した試合運びの巧さが優勝に近づけたが、攻撃タレント揃う郡山は本来、攻撃でスタンドを沸かせる攻撃型のチーム。ポゼッション、そして外から中へ割って入っていく攻撃も武器にまずは東海大山形高(山形)との初陣対決勝利へ集中する。大谷は「選手権はサッカー始めた時から憧れの舞台でした。少しでも残った3年生と1、2年生と長く戦って一戦一戦戦っていきたい」と意気込み、坂本は「一戦一戦大事にして、一つひとつ勝って行きたいです。全国出るのにいろいろな人が寄付金とか集めてくれている。保護者や、監督、先生たちにしっかりと感謝して全国で勝っていきたいです」と誓った。選手権に懸けて夢を叶えた3年生たちが、全国でさらなる歴史の一歩を刻む。

(取材・文 吉田太郎)
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