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大分への感謝、背負った十字架…千葉移籍DF若狭の思い

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 4シーズンで天国と地獄を味わった。自らをプロ選手として育ててくれたクラブへの感謝は計り知れない。それでも26歳のDFは4年間を過ごした大分の地を離れる決断を下した。「実績も歴史もある絶対に落としてはいけないクラブ」をJ3へ降格させてしまったという“十字架”を背負い、新たなユニフォームでボールを追い続ける。大分育ちというプライドを胸に刻んで……。

 ジェフユナイテッド千葉は21日、大分トリニータに所属するDF若狭大志を完全移籍で獲得したと発表した。東洋大出身で大分でキャリアをスタートさせたDFはJ1昇格、J2降格、そしてJ3降格を経験したクラブを志半ばに去ることを決めた。自身初の移籍を決めた若狭は「申し訳ない」と繰り返す。

 浦和学院高時代は無名の存在。東洋大1年時も公式戦出場はなかった。それでも大学2年時に頭角を現し、先発へ定着。大学3年時には関東大学選抜に選出されると、海外遠征など多くの経験を積み、大学4年時の夏には大分へ練習参加。そこで当時の田坂和昭監督に見初められ、Jリーガーになるという幼い頃からの夢をつかみとった。

 プロになってからは、こつこつと着実にキャリアを積んだ。初年度はJ2で6試合に出場。チームはJ1昇格を果たす。J1で迎えた2年目は18試合に出場し、J初ゴールを含む2得点を挙げたがJ2降格を経験した。自身2度目となった3年目のJ2では、30試合に出場。1年でのJ1復帰は叶わなかったものの、徐々に出場試合数を伸ばし、主力の一人となった。

 しかし、J1昇格を目標とした2015シーズン。若狭はキャリアハイとなる33試合に出場するも、チームはクラブ初のJ3降格という憂き目に遭う。加えて、J2残留のかかったJ2・J3入れ替え戦・第1戦の町田戦で若狭は退場し、第2戦はスタンド観戦。ピッチに立てず、J3降格の瞬間を目の当たりにした。

「申し訳ない。最後の最後、残留か降格かがかかる試合でピッチで貢献できなかった、戦えなかったというのが非常に残念で悔しい」と言うと、「降格が決まったときは頭が真っ白で2~3日は悩み込みました。何もする気が起きなかった」と振り返る。

「大分は実績もあるし、歴史もあるし、タイトルを取ったこともあるクラブ。そんなチームを落としてはいけないと思っていたのに……」

 J3降格という現実を受け入れられない日々が続いたが、シーズン終了から1週間と経たないうちに千葉からオファーが届く。落ち込むDFの胸中は揺れた。「自分は大分の生え抜きとして4年間やらせてもらって、チームになかなか貢献できなかったと思う。それなのに、降格してしまったのにチームを出ていっていいのか。最後が出場停止で出られないままチームを去っていいのかというのは本当に悩みました」。

 考え抜いた末の決断は千葉への移籍。プロ2年目にJ1を経験しているDFは、より上のステージでプレーすることの大切さを一人のサッカー選手として、痛感していたからだ。決断したとはいうものの、心はどこか晴れなかったという。「本当に申し訳ないし、このまま出て行っていいのかというのは、すごく感じているんです。本当に大分には感謝しているので」と若狭は幾度も口にした。

 それでもサッカー人生はまだまだ続く。大分で育ったという誇りを胸に、必死にプレーを続けることが過去に関わった人々へのささやかな恩返しになるかもしれない。そう思えることが唯一の救いでもある。「次のチームで活躍することが育ててくれたクラブへの恩返しでもあると思うから、頑張っていきたい」と自らに言い聞かせるよう静かに誓った。

 大分がJ3へ降格してしまった要因について語った若狭は「今年は中心になれる人物がいなかったとみんなが言っていて。僕ももちろんそれは感じます。それでも、それって一人ひとりの意識の持ちようで変わるもので、誰かが気づいてそいつが中心になればいい話だし、僕を含めた誰かが積極的にリーダーシップを取って、引っ張っていけば良かったことだった」と唇を噛んだ。この後悔は次のステージの糧にする。「千葉では中堅と思わず、ピッチに立ったらリーダーシップを持ってやっていきたい」と前を向いた。

 大分育ちという誇りを胸に刻み、千葉で新たなスタートを切る。「この1年間を無駄にしてはいけない」。酸いも甘いも知るDF。無名の存在から這い上がってきた男が新天地で再び立ち上がる。

(取材・文 片岡涼)

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