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[選手権]東福岡を支えた2人の男子マネ、福里と吉田が抱えた葛藤…表彰台で流した涙

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[1.11 全国高校選手権決勝 東福岡高 5-0 國學院久我山高 埼玉]

 日本一の証。優勝トロフィーを誰よりも愛おしそうにやさしく抱えた。高校選手権で17年ぶりの優勝を果たした東福岡高(福岡)には福里歩(3年)と吉田皓太郎(3年)という2人のマネージャーがいる。表彰式で仲間たちからトロフィーを渡された福里は、驚いた顔を見せながらも大切そうに受け取ると、涙を交えた笑顔で“日本一の証”を掲げた。

 男子校である東福岡には、当然ながら女子マネージャーはいない。毎年、立候補あるいは推薦で決まった3年生の2人がマネージャーを務めているのだ。現在の3年生では、福里と吉田が裏方に徹しているが、スムーズに決まったわけでない。福里は先輩からの推薦を受け入れたが、“相棒”はなかなか決まらなかったという経緯がある。

 今から約1年前、恥骨の疲労骨折で戦線離脱していた福里は、引退する3年生のマネージャーから声をかけられ、その仕事を引き継ぐことを決断。「嫌な気持ちはなかったです。3年生の先輩のことを本当に尊敬していたので」と話すように“肩を叩かれた”という気持ちはなかった。

 それでも選手として一線を退くことへの葛藤はあった。一番、胸が痛んだのは両親への報告だ。選手としての特待生で東福岡へ入学している福里は、「サッカーをやるためにヒガシに行ったのに、マネージャーをやると親に話すのは、なかなか気まずくって」と当時を振り返る。それでも「正直にマネージャーをやると言ったら、親も応援してくれました」。家族の後押しもあり、裏方としての日々が始まった。

 福里がマネージャーをやると決まったものの、もう一人が決まらない日々が続く。それでも新人戦を目前に控えた1月中旬、吉田が「お前のためにやるよ」と手を挙げた。福里は「皓太郎は本当はマネージャーはしたくなかったと思います。でも僕のためにと言ってくれて、本当に嬉しかった」と微笑んだ。そこからは2人3脚で奮闘する日々が始まった。

 平日は選手とともに練習へ取り組み、鍵締めなどしか仕事はない。しかし、週末に試合がある時には木曜日からユニフォームやボトルなどの準備をスタート。東福岡高はAチームからDチームまで、延べ281人がいるが、彼らがストレス無くプレーできるように最大限の準備を行う。

 なかでも一番大変だったのは「塩を作ることでした」と福里は苦笑する。東福岡は試合前とハーフタイムに出場選手全員に塩を配る。ラップをカッターで切り、塩を包んで、一人分ずつに分けていく作業は気が遠くなるものだった。A~Dチームの試合が同時にあるときには大量に作成した。6試合を戦った選手権では、約10日間で170個以上を2人で作ったという。どんなに疲れていても、仲間を思って仕事へ打ち込んだ。

 今選手権では常にチームへ帯同。様々な仕事をこなし、縁の下の力持ちとしてヒガシを支え続けた。福里とは小学生時代からの友達だというFW餅山大輝(3年)は「昔は普通に選手としてプレーしていましたし、思うところはあったと思う。それでも本当にチームのために必死に仕事をしてくれてありがたかった」と言い、GK脇野敦至(3年)は「選手権ではチームに帯同してくれて、本当に大変だったと思う。あいつらは本当にすごいっす」と2人への感謝を述べる。

 福里と吉田が支え続けたチームは、順調に勝ち進むと選手権決勝で國學院久我山に5-0で勝利し、17年ぶりの優勝および総体優勝に次ぐ2冠を達成した。表彰式でメダルを首から下げ、喜びに浸っていた福里。その姿に気がついたDF福地聡太(3年)から「お前が持てよ」とトロフィーを託された。

 “日本一の証”を手にした瞬間、涙が溢れてきた。マネージャーとなった時の葛藤や、親への感謝、仲間への思い。「言葉にならない。最高でした」と福里は涙で腫れた目を細め、微笑むと、「あいつとだったから、今までやってこれた」と相棒・吉田へ感謝。「マネージャーになったことは全く後悔してないです。やってよかった」と胸を張った。

 GK脇野は「あいつらを日本一のマネージャーにできて良かった」と言う。福里と吉田は間違いなく、日本一のマネージャーになった。首にかけたそのメダルは、様々な意味を持ち、より一層の輝きを放っている。

(写真協力『高校サッカー年鑑』)
(取材・文 片岡涼)
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