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キャプテンが流した涙…U-23代表MF遠藤「不安もあった」

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 重圧から解放されたキャプテンは涙を流した。26日に行われたリオデジャネイロ五輪アジア最終予選(AFC U-23選手権)準決勝イラク戦、後半アディショナルタイムに生まれたMF原川力(川崎F)の劇的なゴールが決まった瞬間、MF遠藤航(浦和)は「決まった瞬間に泣きそうになってしまった」――。

 12年のAFC U-19選手権。当時のU-19日本代表にはキャプテンマークを巻く遠藤の他にFW久保裕也、MF大島僚太、DF岩波拓也、GK櫛引政敏ら、手倉森ジャパンの主軸がメンバーに名を連ねていた。しかし、準々決勝でイラクに0-1で敗れたチームは、世界への扉を閉ざされてしまう。「やっぱりキャプテンとして結果が出なかったことは悔しかった」と当時を振り返ると、「アジアで勝つために何をしなければいけないのかを、ずっと考えながらやってきました」と同じ過ちを繰り返さないようにと、成長を遂げていこうとする。

 だが、結果がついてこなかった。遠藤自身は負傷のため不参加となったが、チームは14年1月のAFC U-22選手権準々決勝で再びイラクに0-1で敗れ、遠藤も招集された同年9月のアジア大会では準々決勝で韓国に0-1の敗戦を喫して大会から姿を消した。リオ五輪アジア一次予選こそ3連勝で突破したが、15年夏以降は強化試合で勝ち切れない試合が続いたことで、「なかなか勝てないと言われてきて、悔しさを味わってきた」。

 キャプテンとしては自然体を貫いてきた。「僕は声をすごく出してチームを引っ張る感じではありませんが、普段の練習や試合で自分の良さを出しながら、周りについてこさせるようなプレーをするのが役割」としつつも、立ち上げ当初は悩むことはあった。練習の雰囲気が静かで「改善したい」という思いを持ちながらも、「全員の協力がないとできないので、最初のころはうまくいかない時期もありました」と明かした。しかし、「自分がしっかり成長するために何をすべきかを考え、ずっとこのメンバーに入り続けるために努力してきた」男が先頭に立ってけん引してきたチームは、今予選を迎えるころには「徐々に練習の雰囲気も良くなっていたので、今大会はそういう悩みはなかったですね」と変化を見せていた。

 最終予選前にはインフルエンザを発症させて5日間隔離された。しかし、グループリーグ初戦の北朝鮮戦に間に合わせると、中盤の底に入ってチームを支え、第2節タイ戦、準々決勝イラン戦、準決勝イラク戦でも素早く激しい寄せで相手攻撃の芽を摘み取り続けた。

 決してコンディションは万全ではなかっただろうがGLの2試合はフル出場。イラン戦では勝負が決した延長後半8分までピッチに立ち続け、リオ五輪出場が懸かった準決勝イラク戦前には左足付け根に違和感がある中でも先発起用され、負傷しているとは思えないような鬼気迫るプレーを披露し続ける。すべては、「このチームでリオに行く」ためだった――。

 言葉でなく、自分の良さを出して背中でチームを引っ張ってきたキャプテンに、待ち望んでいた瞬間が訪れる。イラク戦の後半アディショナルタイム、原川が左足から蹴り出したミドルシュートは鮮やかにネットを揺らし、2-1と勝ち越しに成功。そして、試合終了のホイッスルが吹かれる。決して下馬評の高くなかったチームが、リオ五輪への切符を手に入れた瞬間だった。

 人目をはばからずに、遠藤は泣いた。「キャプテンとしての責任感、ずっと勝てていなかった責任感が自分の中にあったし、この大会に臨むにあたり不安なところもあったけど、自信を持ってチームを信じて、積み上げてきたことが結果に表れてうれしいです」。長い間苦しんでいたのかもしれない。しかし、そのすべてを吹き飛ばすような歓喜を自分たちの手でつかみ取った。大きなプレッシャーから解放されたキャプテンは充実の表情を見せていた。

(取材・文 折戸岳彦)

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