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【JFA・キリン スマイルフィールド コーチインタビュー】水沼貴史「本当の気持ちでぶつかり合うからこそ感じるものがある」

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 日本サッカー協会とキリンが東日本大震災からの復興応援として活動している「JFA・キリン スマイルフィールド」。子どもたちにサッカーを通じて笑顔になってもらいたいという想いから、岩手・宮城・福島の3県の小学校を対象にサッカー教室を各地で開催している。
 東日本大震災から5年経ったいま、「JFA・キリン スマイルフィールド」でコーチを勤める元日本代表の名手たちに、復興への想いを聞くシリーズ企画。第1回は、Jリーグ開幕前の1980年代に日本代表を牽引した名ドリブラー・水沼貴史氏だ。

不安を抱えながら走り出した
サッカーでの復興支援


――最初に「JFA・キリン スマイルフィールド」のコーチの打診をされたときはすぐに引き受けられたのですか?
「復興支援をしたいけど、どう動いていいのかわからない、というジレンマがずっとありました。サッカーでできることがなかなか見つからない中で、キリンさんからそういう活動をしたいと話をいただいて、真っ先に行きたいと思いました。ただ、『元日本代表の選手がきます、一緒にサッカーやりましょう』と言っても、『誰だよ、このおじさん』と思われるだろうし、『年齢的に動けるの?』と思われるかもしれないし、不安もあったんですけど、とにかく行きたかった。子どもたちを元気にすることが簡単ではないことはわかっています。自分が笑わないと子どもたちは笑わないし、本気で向き合わないと子どもたちの本気は返ってこないですから」

――コーチをされるうえで、心がけていることは何でしょうか?
「どんなに人数がいても、基本的にマイクは使いません。なるべく自分の声で伝えたいというポリシーがあって、自分の口から出る言葉を子どもたちに伝えるのが一番だと思うんです。僕は地震があった瞬間には横浜市を車で運転していて、『これはただ事じゃないぞ』と思ってトンネルに入る直前で止まることができた。神奈川でもあれだけ怖い思いをしたんだから、岩手、宮城、福島の子どもたちはどれだけの体験をしたんだろうと想像すると、発する言葉ひとつから考えさせられますよ」

――水沼さんは「JFA・キリン スマイルフィールド」の活動記録をすべてファイルで保存されているそうですね。最初に訪れた場所の話をお聞かせください。
「日付は2011年12月14日で、場所は石巻。仙台市内からバスで2時間ぐらい走ったんですけど、その道中は『どういう子どもたちがいるのかな』『どんなことを考えているのかな』『自分たちが行って何か変わってくれるのかな』……いろいろ考えていました。でも、いざサッカーをやったら楽しんでくれている子どもたちがいて、先生から感謝の言葉をたくさんいただいて、こんなに喜んでもらえるんなら、何度でも来たいなと思いました」

子どもだけでなく
大人も笑顔にしたい


――これまでに印象的だった生徒はいますか?
「塩釜の学校の生徒で、サッカーが好きで上手いんだけど、やんちゃで言う事を聞かない子がいたんです。ボールフィーリングとか簡単なメニューだと、その子は一生懸命やらなくて、いざゲームになると1人でボールを持っちゃう。僕はわざと思い切り当たりに行ってその子からボールを奪って、ボールを取りに来させるんだけど全部弾いちゃう。何度も取りに来る根性はたいしたものだったけど。それで最後に僕がPKを蹴るから、GKをやりたい人って言ったら、やっぱりその子が立候補して。もしかしたらこれはキリン スマイルフィールドのルールに反するかもしれないですけど、思い切りシュートしました。でもその子は手を出して、ボールが手をかすめたんです。後で先生に聞いたら、その子はずっと手を触って『痛かったなあ』と言ってたと。プロのサッカー選手の本気の球を受けて、痛みで『すごい』と感じたと思うんですよ。本当の気持ちでぶつかり合うからこそ感じるものがあると思う。それは口で言っていてもわからない。自分のやり方としては間違っていないと思っているし、いま中学生くらいになっているはずだけど、どんなふうに成長しているのか楽しみなんですよね」

――ほかに印象に残っているエピソードがあれば教えてください。
「岩手県にある学校の校長先生なんですけど、すごくサッカーが好きで、絶対に来てほしいといろいろな方面からアプローチしている先生がいると。いざ行くことになったら、手作りで『水沼先生ようこそ!』という垂れ幕をつくってくれたり、熱烈な歓迎を受けて、校長先生もとても喜んでくれて。その後、その校長先生は異動願いを出して、ブラジルの日本人学校に赴任になったんですけど、2014年のW杯のときに日本代表がその学校を訪問したんですよ。先生は先生で自分の夢を叶えることができたんです。心に痛みを持っているのは子どもたちだけじゃなくて、先生にもたくさんいるんだけど、それを自分の中に封印しながら子どもたちを指導している。キリン スマイルフィールドを通して、先生たちが『心から笑うことを思い出した』と仰ってくれるので、すごく嬉しいですね」

――4年以上コーチを続けられている中で、変化した部分はありますか?
「取り組む気持ちは変わっていないですけど、教室の内容はすべて変えています。場所、環境、季節、子どもたち……。環境が全く変わるので、同じことは絶対にできない、というのが僕の考え。だからこそ、僕自身も楽しい。一番気をつけているのは、オープニングなんです。最初に集合写真を撮るんですけど、緊張したままだと全然笑顔にならないんですよ。誰もが緊張しているので、僕は長めに会話的なアプローチをするようにしています。そうすると、みんなで写真を撮って、日本代表の選手と同じキリンさんの水を飲んで、『これから何が始まるだろう』という雰囲気になってくるんですよね。『日本代表の選手が飲んでる水だよ』と言うと、子どもたちはものすごく喜んでくれる(笑)」

――最後に「JFA・キリン スマイルフィールド」への想いをお聞かせください。
「復興支援にはまだまだ終わりはありません。待っている子どもたちがたくさんいると思いますし、キリン スマイルフィールドは絶対に終わりたくないですね。いま55歳ですけど、自分自身、相当頑張らないといけないです。元気で生きないといけないし、動けないといけないし、笑顔でいるためには自分が充実してないといけないし。『あの人まだやってるんだ』みたいな存在になりたいです。サッカーは自分も楽しめるし、人を楽しませることもできる。お互いのことをわかり合える。キリン スマイルフィールドを通じてサッカーが広まっていけば、間違いなく日本サッカーの土台は拡大しますし、そうなれば頂点は高くなりますから。ボールやビブス、ゴールとか道具は全部プレゼントしてくるんですけど、それを発表したときに、子どもたちはすごい笑顔になるんです。その笑顔を見る度に、この活動の準備をされているキリンさんの想いはすごいなと考えさせられます。それを僕らは橋渡しをしていて、橋がこけたら想いは渡れないですから。僕だけじゃなくて他のコーチもそういう想いでしょうし、引退した選手もどんどん参加してほしいですね」

(取材・文 奥山典幸)

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