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プレミアリーグ開幕直前インタビュー!U-23代表・手倉森監督「ユース年代の時に持っていた志が5年、10年経ってからの差になる」

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 高校年代最高峰のリーグ戦、高円宮杯U-18サッカーリーグ2016プレミアリーグが4月9日に開幕する。プレミアリーグは11年のスタートから今年で6年目。初年度のプレミアリーグを経験したMF中島翔哉やDF室屋成、MF原川力、MF矢島慎也、DF奈良竜樹、FW南野拓実といった選手たちが今年1月、U-23日本代表の主力としてリオデジャネイロ五輪の出場権を獲得した。そのU-23日本代表を率いた手倉森誠監督が、ユース年代の魅力やリーグ戦開催の意義、自身の高校時代に目標として掲げていたことなどについて語った。

―手倉森監督はユース年代の魅力をどのように感じられていますか?

「可能性ですよ。その気になったらその気になれる年代。ボクはユース年代の時に高校選抜でヨーロッパとか遠征に行かせてもらいました。アジアでは韓国とかに痛い目に遭いましたけれど、ヨーロッパとかに行ったら互角に戦えました。ただ、アジアのチームが力のあるところを見せると、ヨーロッパのチームはさらにレベルアップしてしまう。ボクらの年代だったら18歳くらいまでは同等にできていた。でも、今は離されてきている気がします。日本が進化してきたように、ヨーロッパも進化してきている。その要因のひとつが、フィジカルです。フィジカル分野を育成年代から真剣に取り組み始めたのがヨーロッパです。今では全然体格が違う。プロクラブが有能な選手を預かってプロの生活リズム、食事の摂り方を身につけさせている。経済大国である日本でも、これをやろうと思ったらやれることだと思います。クラブでなければ難しいと諦めるのではなくて、個人が周りの方と協力しながらやっていけば変われると思います。
 そう考えると、日本(の育成)はまだまだやり切れていない部分があると思います。でも、やり切れていない中でもレベルアップしてきたことを考えると、日本はよほど可能性があるということが言える。ユース年代の時に持っていた志が5年、10年経ってからの差になります。Jリーグや世界に出てからではなく、ユース年代の時の姿勢、志。それをもっと高めれば、日本は物凄くいい国になると思います」

―将来のための貯金をしなければいけません。
「試合数が増えていますが、それを戦い抜けるフィジカルを身に付けることにしっかり向き合える年代にしなければいけない。ハリルホジッチ監督は日本に来た時に、『サッカー選手である前にアスリートであれ』と言っていました。アギーレ監督もそう言っています。ジーコ監督もザッケローニ監督もワールドカップに負けた時にフィジカル、メンタル面について言っている。それはトップチームが負けた時に言うのではなくて、ユース年代からの意識付けだと思います。スプリント力とか、パワー・スピード持久力というところはアスリートがサッカー選手になっているヨーロッパに比べたら低い。サッカーは総合的な要素が一番求められる。日本サッカー協会はアクションプランで掲げて、フィジカルの重要性を育成年代から取り組まなければいけないと話したばかりです。フィジカルのトレーニングとメディカルのケア。これが充実してこないと選手はなかなか伸びてこない。これを充実させてからリーグ戦を行っていく。リーグ戦を戦えばOKではなくて、実はここを整えないといけない。指導者たちが頑張っていかないといけない部分です。
 日本の持っている敏捷性、隣の選手と連動できる賢さ、これに加えて、ヨーロッパが育成年代から大事にしている筋量の多さやスプリント力という部分を食事やトレーニング環境、メディカルの側面から整えられたら、日本は初めて強くなると思います。それには、育成年代を取り巻く指導者の意識が重要ですし、そこにもっと取り組むべきだと思います」

―間もなくプレミアリーグが開幕します。手倉森監督は育成年代で年間を通じたリーグ戦を行う意義をあらためてどう捉えていますか?
「やはり育成の年代は場数を踏まないといけません。日本はゲームを公式戦としてやる習慣が強豪国に比べれば、非常に少なかった国だと思います。トーナメント文化がありますからね。だからリーグ戦の必要性はありますし、やらなければいけないことですよね」

―ある意味、世界では当たり前のことですよね。
「亡くなったデットマール・クラマーさん(“日本サッカーの父”と呼ばれる)がかつて『リーグ戦』の重要性を日本人に説かれ、日本リーグ(Jリーグの前身)創設の契機を作ったという故事もあります。リーグ戦をやらなければいけない。リーグ戦は選手の成長につながることはもちろん、指導者にもいろいろな気付きを与えてくれますし、その気づきがあった指導者によって、また選手が新しいステージへと導かれていくわけです。日ごろの成果とグループ・チームの総合力、そして選手一人ひとりの総合力が試されるのが年間リーグという大会形式の妙ですよね」

―負けた後、試合があるというのが決定的な違いです。
「だから別の解釈もありましたよね。トーナメント文化全盛の時代には、負けたら終わりで、負けることの重要性を思い知らされてメンタル的に鍛えられるのがトーナメント型の大会なんだと。だからリーグ戦は負けても次の試合があるから悔しさが薄く、勝利への執着心が育まれない。そういう解釈でした。ただ、それも指導者次第だと思うんです。一回一回の勝負の大切さ、負けることの重みについて気付かせてあげるのが、指導者ですから。まだ足りないと思いますけれども、ここに来てリーグ戦の1試合、1試合の重みを感じて次に繋げていくという習慣もできてきたのではないでしょうか」

―高体連とユースという普段分かれているものがやる意義についてはいかがですか。U-23日本代表が戦ったアジアの戦いでも多様な相手への対応が求められたと思いますが。
「それは大きい財産になると思います。いろいろなシチュエーションが味わえますから。やはり同じ地域、同じ団体の中での大会では限界もあると思います。どうしてもその枠にハマったサッカーというのは絶対にありますからね。相手の戦い方にバリエーションがある中でどう戦うのか。自分たちのスタイルをどうやって貫くのか、あるいはやりたいことをできないときに何をするのか。選手個々がそういう変化に対して考えながらやれれば、自然と成長できると思います。ここで指導者にやらされてしまうと、そうはならないですが……」

―手倉森監督は高校時代、どのような目標を持ってやられていたんですか?
「サッカーをやりたいとは思っていました。社会人のサッカーですよね。プロなんて考えられる時代じゃないですから。サッカーで大学に行って、企業に入る。そういうイメージです」

―当時は毎週末に公式戦が行われていた訳ではなかったと思います。手倉森監督はどのような目標を立ててサッカーをしていたのですか?
「当時は練習が多かった時代ですから。ボクが暮らしていた(青森県)五戸という街は地域でサッカーが強かった。少年団が強くて、高校まで持ち上がるという街だったのでクラブチームみたいなところが少しあったんですよ。でも、その時代は全国大会に出ないとサッカー関係者の目に留まらないので、全国大会に出ないといけないという気持ちでやっていましたね。
少年サッカーでベスト4まで進んだことが大きかったですね。手倉森兄弟という名前を日本サッカー協会の方々にも知ってもらって。当時、浩(実弟の手倉森浩JFAナショナルトレセンコーチ)の方が優秀選手になって、ナショナルトレセンにも選ばれたので、サッカーに関する色々な情報が入ってきていました。当時は、地域にそのような選手がいるかいないかでは全然違ったんですよ。静岡は当時、日本代表選手がたくさんいたので、日本代表に参加した時のトレーニングを自分たちのチームに持って帰れる。そして切磋琢磨できる。でも東北は合わせても数人しかいない。刺激し合えることが少なかったのです。でも今はプレミアリーグやプリンスリーグがあるから、普段から高いレベルの戦いを経験できる。だから、東北や北信越のチームがインターハイや選手権で優勝したりできるようになってきたのだと思います。インターハイ、高校選手権は覇権が地方に分散されましたね。これもいいことだと思います。それは日本全体が底上げされた土壌になってきているからだと思います」

―高校生へ向けてこれは伝えておきたいということがあれば、教えてもらえますか?
「こだわりをもってやるのがいいと思います。こだわりをもってダメだった時に落ち込みがちになるのもこの年代ですが、挫折を味わって成長する選手もいると思います。これからどうなっていくのかを考えた時に、多方面からの情報をとってひとつ決断してやるという習慣をつけた方がいい。プレーだけではなくて。サッカーはチームプレーですから人との関係性、メンタルの整え方とか同時に鍛えていく覚悟がないと一流の選手にはなれないと思います。プレーが上手くいかない時に感情をコントロールしたり、上手くいかせるために工夫することが必要です。ヨーロッパのクラブでは、育成年代に対してそういう心理的なことも教えていますからね。
 サッカーをやっていれば誰しもプロになりたいと思います。ボクは人生いつでも修行だと思っているんですけど、今を一番の修行の時期だと思ってやらないといけません。昔の鹿実(鹿児島実)の選手とか国見の選手のように、(高校時代の)貯金を持って節度を持ってやっていけば(プレーヤーとして)長生きする。カズさん(三浦知良選手)がこの年までできるのは、中学校卒業してすぐにブラジル渡って、プロの生活リズムを身体に染みつかせているからこそです。そこに感心してもらいたい。何であそこまでやれているのか、指導者にはアプローチして欲しいし、選手に感じて欲しいですよね」

(取材・文 吉田太郎)

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