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“残念だった”負傷、そして“悩んだ”移籍…完全復活誓う野津田

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 本来ならば、自分がその場所にいたのかもしれない。1月に行われたAFC U-23選手権(リオデジャネイロ五輪アジア最終予選)で快進撃を続け、アジアの頂点まで辿り着いたU-23日本代表。しかし、その場にMF野津田岳人(新潟)の姿はなかった。

 手倉森ジャパンの常連メンバーである野津田は、U-23日本代表でも存在感を示していた。しかし、最終予選を約1か月後に控えた15年12月10日、クラブW杯1回戦オークランド戦で負傷。ケガをした瞬間を、「もう間に合わないと思った。悔しいというか残念な気持ちでいっぱいだった」と振り返る。そして検査の結果、右ひざ内側側副靱帯損傷で全治8週間と発表され、最終予選に出場することは叶わなかった。

 残念な気持ちでいっぱいだった。しかし、気持ちを切り替えて「皆の力に少しでもなれるよう、本当に応援する気持ちを強く持っていたし、何としてでも突破してほしいと思っていた。チームの突破を祈り、突破した後のことを考えた」。すると、グループリーグ初戦から白星を重ねたチームは、決勝トーナメントに入っても勢いはとどまることなく、アジアチャンピオンまで上り詰めて見事に五輪出場権を獲得した。

「もう一度、代表に入るためのチャンスを与えてもらえたのも皆のおかげ。試合を見ていてたくましく感じたし、同時に自分も負けていられない気持ちがすごく出てきた」

 U-23日本代表に復帰するために――。野津田は下部組織から育った広島を離れ、期限付き移籍で新潟への加入を決断した。「すごく悩みましたが、試合に出てアピールしたかったし、目標である五輪に出場したい気持ちがすごく強かった」。新潟ではナビスコ杯第3節川崎F戦でデビューを飾り、J1リーグでは第6節磐田戦で途中出場を果たした。「フィットしてきた感じもあるし、もっとたくさん試合に出たい思いがある」とさらなる出場機会を求め、日々トレーニングに打ち込む。

 そして、15年10月に行われた佐賀合宿以来となるメンバー入りを果たした手倉森ジャパンでも、改めて存在感を示そうと闘志を燃やしている。「(代表に)久し振りに来れてすごくうれしい。短期間ですが、100パーセント悔いの残らないようにアピールしたい」と力強く語った。

(取材・文 折戸岳彦)

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