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「テグさんがいなければ、今の自分はいない」MF中島が誓う指揮官への恩返し

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[8.10 リオデジャネイロ五輪 B組第3節 日本 1-0 スウェーデン サルバドル]

 背番号10を背負い続けてきた。所属クラブでなかなか出場機会を得られない状況の中でも、手倉森ジャパンには招集されてナンバー10を託され、結果を残してきた。だからこそ、リオデジャネイロ五輪日本代表MF中島翔哉(FC東京)は結果で手倉森誠監督に恩返ししたかったと悔やんだ――。

 指揮官の信頼の厚さは感じていた。手倉森監督はクラブで苦しむ中島を招集し続ける理由を、1年前の15年7月に行われたコスタリカ戦に臨むメンバー発表時に明かしていた。「クラブで苦しんでいる選手はいますが、僕が選んだときに僕のチームで活躍できるかどうか、僕の求める戦術を理解してやれるかどうかも選出の大事な要素。例を挙げれば中島翔哉は僕のチームで本当に良くやってくれている」と。

 そして中島も「テグさん(手倉森監督)が話した『翔哉は自分のチームでは活躍してくれる』という言葉を(報道で)見たことがありますし、それは今でも自分の心に留めています」と心の支えにしていた。

 2年半、チームの主力としてプレーしてきた。しかし、スウェーデン戦に勝利しながらも、他会場の結果によりグループリーグ敗退が決定し、手倉森ジャパンでの活動が終わりを迎えた。「テグさんがいなければ、今の自分はいない。本当に感謝している」と指揮官への感謝を示しつつも、「本当にメダルを取らせたかった」と心残りがあったことを吐露した。

「メダルを取ることができなくて、すごく残念です。でも、これから先、より上のレベルに僕たちが上がっていくことで、またテグさんも喜んでくれると思う。このチームでの成長は自分のサッカー人生にとって大きなものだったし、この経験を次に活かしていきたい」

 自分を信頼してくれて招集し、起用し続けてくれた指揮官との旅は終わりを迎えた。五輪でメダルという恩返しこそ叶わなかったものの、まだ恩返しをする機会は残されている。「自分の理想に近付いていく中でA代表に入れればいいと思う。それもテグさんは望んでいると思うので、その思いをしっかりと汲んで、これからもプレーしたい」とA代表入りでの恩返しを誓った。

(取材・文 折戸岳彦)

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