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[NB×横浜創英高]現役時代は俊輔とプレーしたサッカーエリート、“脱サラ監督”が10年目の悲願へ…横浜創英が初の全国選手権出場を目指す

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初の全国高校選手権出場を目指す横浜創英高

 柔和な表情を浮かべながら、39歳の指揮官はこちらに近づいてきた。「初めまして。宮澤です。いつも拝見してます」。丁寧なあいさつをしてくれたのは横浜創英高を率いて10年目を迎える宮澤崇史監督。今春の総体予選では、準決勝で母校の桐光学園高を下し、神奈川県チャンピオンに導いた。

 ただ練習が始まると、その表情は一変する。指示を聞く選手たちの表情からも緊張感が伝わる。「すごくメリハリがある人。選手のことを考えて、調整してくれます」(GK宮島大知)。「厳しい監督なので、数えきれないくらい怒られてきましたが、サッカーに対してすごく熱い人です」(主将DF市原亮太)。昨年からスタメンのほとんどを変えることなく戦ってきた選手たちとは強い信頼関係で結ばれている。

 宮澤監督は桐光学園出身。元日本代表MF中村俊輔(横浜FM)の一学年先輩で、一緒に第74回全国高校サッカー選手権に出場したサッカーエリートだった。卒業後は法政大に進学し、サッカー部に所属。4年生の時にはキャプテンを務めた。ただ大学卒業後はプロからのオファーがなかったことから、プレーヤーとしての引退を決断。民間会社に就職し、サラリーマン生活を始めた。

 しかしサッカーへの情熱が衰えることはなかった。「大学まで生活の中にサッカーがあることが当たり前の生活を送っていたんですね。失って初めて気づくといいますか、実際サッカーのない生活が初めてで、いてもたってもいられなくなって」。夜になれば社員寮の周辺を走ったり、休日には近くの学校でサッカー部に混じってボールを蹴らせてもらうこともあったのだという。「もう一度、サッカーの舞台に戻りたい」。周囲は大反対したが、1年でサラリーマンを辞めることを決めた。

「選手としては厳しいので、指導者を目指そうと。でもプロの指導者はやはり選手からなる人が圧倒的に多いので、僕みたいにプロ経験がない人がプロの指導者になるのは厳しいと思った。じゃあ、学校の先生になれば部活という手があるよなと思ったんです。単純ですよね」

 だが教員を目指そうにも、高校、大学とサッカー推薦で入り、がむしゃらにサッカーだけを続けてきた。「先生はからかう対象だと思っていた」と話す男が、教員免許を持っているはずもなかった。「親も周りも大反対で。勉強もしたことないやつが先生なんてどういうことだ、と」。しかし決意は固く、3年で念願の教員免許を取得。横浜創英高に社会科教師として赴任した。

 教員を目指す間、指導者としての“勉強”も並行した。大学の先輩の伝で神奈川県にあるジュニアユースチームの監督として手伝いを続けた。「接し方というか、サッカーの理論などではなくて、子供たちとの距離感、それはあの時にすごく学んだと思っています。そのあと創英に来た時に、子供たちにかける言葉はスムーズに行けましたからね」。指導者としての礎はここで築かれた。

 高校時代、プレーヤーとして全国を知る宮澤監督だが、選手時代の話を自ら切り出すことはない。「自慢話になっちゃうんでね」。ただ俊輔の当時の姿勢を話すことはあるという。

「なぜ俊輔があの位置まで行ったのかという話をします。彼は中三の時にマリノスのユースに上がれなくて、桐光学園に行って、それから日本代表の10番をつけるようになった。要するに15歳の時に周りの大人はこの子が将来、日本代表を背負うということがみんな分からなかったわけですから」

「ではなぜ行けたのか。一番大きく違うのは意識なんですけど、これが圧倒的に違う。高校生ながら24時間、サッカー選手として確立しているような生活を送っていたんです。朝何時に起きて、朝食をとって、授業を受けて、放課後に練習して、練習終わったあとに自主練をして、また朝が来て、と常にリズムが一定でブレがない。プロ意識がものすごかったですね」

 横浜創英で指導者を始めたある日、今でも交流があるという後輩の中村俊輔に疑問をぶつけることがあった。俊輔とは横浜FMジュニアユース時代から桐光学園までの5年間をともにプレーしている。「僕が質問したんですね。小学校のトレーニングって遊びから学ぶというところだと思うんですけど、本格的なサッカーのトレーニングって中学からじゃないですか。中学、高校と俺はお前と一緒の練習をしてきたのに、なんで俺はこうで、お前はそんなになったんだって。俺の知らないところで隠れて練習してきたんだったら俺は追いつけないよ、と」。

 俊輔の答えは明確だった。

「そしたら彼は言ったんですね。『俺は15でサッカーを奪われたんだよ。崇史くんは奪われてないでしょ。その差なんだよ』って。彼はユースに上がれなくて、15歳でサッカーを奪われたという感覚になった。僕はユースに上がることも外にも出ることも選べたので、その感覚はなかったんですね。『もう二度とあんな思いはしたくない』という気持ちでやってきたやつと、挫折を知らないでやってきた差じゃないかと言われたんです」

「意識とか気持ち、サッカーにかける情熱の差なんだよということを言われたような気がして。確かになと思いましたよね。そのころだったら女の子とも遊びたいし、いろいろ出てくるじゃないですか。そんなことやっているやつはやっぱりだめだなと思いましたね」

 間近で触れたからこその逸話。選手たちも感心しながら貴重な経験談に耳を傾けているという。「身近な存在だったということを聞くと、やっぱりこの人を全国に連れていかないといけないなと思いますね」(宮島)。

 宮澤監督が貫くスタイルはショートパスサッカー。「遠くにいる選手よりも目の前の選手にしっかりパスを出した方が確実に繋がる。チャンスの作り方に重きを置いている」と話すように、この日の練習も徹底した短い距離のボール回しから始め、ミニゲームで締めくくられていた。

 今夏、横浜創英は3年ぶりに高校総体に出場して全国を経験した。結果は2回戦敗退だったが、自分たちのサッカーが全国で通用したということが自信になっているという。「この子たちに要求していることは10年間変わっていない。何か新しいことをやろうだとか、新しい戦術を試そうとかも全くない。今の創英モデルを構築して、選手権で発信したいという思いはありますね」。創英モデルを全国へ。激戦区神奈川から新しい風が吹いている。

(取材・文 児玉幸洋)
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