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[SEVENDAYS FOOTBALLDAY]:“第2GK”の矜持(成立学園・伊藤快)

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勝利に貢献したGK伊藤快(左)を成立学園高イレブンが祝福

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 この日のために3年間厳しい練習に耐えてきたんだ。昨日の夜はちょっとドキドキしたけどもう大丈夫。自分にやれることは限られている。それを試合で表現できれば、自ずと良いプレーはできてくるはずだ。「絶対にうまく行く」。GKコーチの言葉を頭の中で反芻する。よし、行こう。伊藤快は気合いを入れ直し、自身にとって3試合目となる公式戦のピッチヘ走り出した。

 高校選手権東京A準々決勝。実践学園高との一戦を迎えるに当たり、成立学園高をアクシデントが襲う。これまで今シーズンのほとんどの公式戦に出場してきた守護神の園田悠太が負傷。試合出場が難しくなった。この緊急事態の中、スタメンのGKに抜擢されたのは宮内聡監督も「Tリーグで2試合は出しているんですけど、あくまでも“第2GK”としての試しというか、何かがあった時のためにということでの起用でした」と言及した伊藤快。言うまでもなく選手権は負けたら終わりの一発勝負。重要な80分間のゴールマウスは、“第2GK”に託されることとなった。

「キーパーというのは、選手とコーチが近い存在じゃないですか。快とは色々ぶつかることもあったり、なかなか自分が伝えようとしていることを彼が理解できないこともあって、そういう中で過ごしてきたので、“親心的”な不安要素はありました」と話すのは山郷のぞみ。日本代表として国際Aマッチ96試合に出場し、4度のワールドカップも経験している女子サッカー界のレジェンド的存在の山郷は、昨シーズンから成立学園のGKコーチを務めているが、「みんなが3年間で一番目標にしていた選手権の場面で、『誰が出ても良いパフォーマンスを出す』という私の中での目標があって、例えば『園田がケガした時にすぐ準備できるようにしておけよ』という意識付けをしてきたので、周りの選手はそういう意識でいつもやっていると思うんですよね」という彼女にとっても、この一戦は就任からの2年間で自らが実践してきた指導や“意識付け”が、GKグループ全体に浸透していたかどうかを問われる舞台になる。ただ、前述した不安要素はあくまで親心。「ここまで積み上げてきた『今日はGKグループの代表として出る』という自覚は、彼の中にあるはず」という信頼もあった。“親心的”な不安とGKコーチとしての信頼。2つの相反する想いを抱えながら、それでも山郷は確信を持って伊藤をピッチヘ送り出す。

「『いつ出ても良いように準備はしろ』と山郷さんからも言われていて、ずっとその準備はしてきましたし、自分も毎日毎日コツコツやってきたので自信はありました」という伊藤。
「やっぱりいつも出ていない分、『コミュニケーションを取らなきゃな』とは思って、声をいつも以上に掛けるようにはしていました」と積極的に声を出すことで冷静にゲームへ入れたものの、前半21分に先制点を献上してしまう。それでも、後半5分には鈴木龍之介が直接FKを叩き込んで同点に。「ノスケ(鈴木)が決めてくれた時に感極まって泣きそうになりました」と伊藤。さらに、後半12分には竹本大輝のゴールでチームは逆転に成功する。

 そして、いくつかの好プレーを披露していた“第2GK”に、「アレは今日イチでしたね」と山郷も納得の、この日最高のビッグプレーが飛び出したのは後半アディショナルタイム。少しでも時計の針を進めたい土壇場で、伊藤が渾身の力を込めて蹴り出したキックは、右サイドの一番深い位置の、なおかつラインを割りそうで割らない絶妙のポイントに落ち、チームメートのキープに繋がる。その完璧な一連にはスタンドからもどよめきの声が。伊藤にそのシーンを尋ねると「自分はキックをずっとこの3年間意識してやってきて、キックだったら誰にも負けないという自信がありました」と言い切りながら、「もう時間がないのでサイドに蹴るというのは自分の頭の中にあったんですけど、本当にあそこに行くとは思わなかったです」と満面の笑み。山郷も「アレは彼の得意なキックですけど、いつもはあんなキックしないですよ(笑) キック力は良いんですけど、コントロールがないんです。でも、ゲームの流れとか、『あそこに蹴る』という意識が集中力の結果として出たのかなと思います」とやはり笑顔。その数分後。伊藤は勝利を告げるホイッスルをピッチの上で聞く。「山郷コーチが来て、GKのみんなに色々なことを伝えてやってきたことが、今日のこの厳しい試合でどれだけできるか」(宮内監督)という大事な一戦で「私が思っている以上のプレーをしてくれたかなというのはあります」と山郷も認めた“第2GK”が勝利に貢献する。正GKの離脱というアクシデントに見舞われたことで、逆に成立学園のGKグループ全体で積み上げてきたものの成果がこの日、1つの大きな形として証明された。

 実は園田と同じタイミングで“第3GK”も負傷離脱を強いられており、実践学園戦のベンチには“第4GK”に当たる3年生の関根皓基が控えていた。まさにGKグループ全体で乗り切ったこの試合を終えた意味を、山郷はこう捉える。「今日はメンバーに入るような選手が2人もケガをして、4番手だった子が2番手に来るとか、そういう緊張感も彼らにとっては凄く刺激的だと思うし、『やっぱり準備しておかないといつチャンスが来るかわからないぞ』というものは、今日絶対味わったと思うんですよ。そういうことも彼らにとって1つのプラスなので、色々な意味で快というよりも他のキーパー陣に意識付けができたのは確かです。ただ、だからこそ明後日からの練習の姿勢とか、どういう取り組みができるのかというのがたぶん彼らにとって大事というか、それで私がまたアプローチして彼らにどうやらせるかというのが積み上げだと思うんですよね。だから、今日の快のプレーを1つの成果として自分が満足するということはまったくないです」。

 緊張の80分を終えた伊藤の中には、手応えと新たな心境が芽生えたようだ。「自分も一番上手いと思っているのは園田ですけど、その次という部分では誰にも負けないという気持ちはありますし、これで園田との距離もちょっとは近付いたかなと思うので、追い付きたいと思っています。今日で『自分もできるんだな』というのは肌身で感じることができましたし、やっぱり『追い付け、追い越せ』という気持ちでやっていかないと、GKグループのレベルアップにも繋がらないと思うので、もう残り少ないですけど頑張っていきたいですね」。宮内監督も「園田も次には間に合うと思いますけど、逆に言えばまた良い競争ができると思います」と試合後に明言している。聞けば伊藤は“お調子者”だという。本人にそのことを問うと、「“お調子者”だとはみんなに言われますね。そういう存在は必要だと思って、それを意識してやっていたら自然にできるようになったので、それでチームのモチベーションが上がれば良いなと思っています」とやや恥ずかしそうに認めた。「そういう調子に乗った部分をみんなが良い方向に捉えてくれたらいいんですけどね」と山郷は苦笑いを浮かべたが、“お調子者”の活躍が勢いをもたらすのはよくあること。そういう意味でも伊藤はチームにとって欠かせない存在のようだ。

 あと2つの勝利で11年ぶりの全国に届く成立学園。その中でもおそらくはそれぞれが新たなモチベーションを得たであろう11人のGKグループは、「『こんなんじゃ使い物にならない』とか『そんなんじゃ任せられない』と言ったり、それに対して態度にも示してくるから『その態度はなんなんだ』ということも言いますしね。私は表情1つでも許さないですから」と楽しそうに笑うGKコーチの下、自分にチャンスの来る日を信じて、きっと最高の準備を続けている。

■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務し、Jリーグ中継を担当。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」


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