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青森山田、親子で挑む日本一…黒田凱「小さいときから父さんを優勝監督にしたかった」

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青森山田の黒田親子、悲願の日本一獲得へ

 親子で挑む日本一。本当は監督と選手として、そこに立っていたかった。7年ぶりに全国高校選手権で決勝へ進んだ青森山田高(青森)。黒田剛監督の息子・黒田凱(3年)は裏方としてチームを支えている。あと一つ勝てば、初の選手権制覇。22年に渡り、青森山田を率いてきた父にとっての悲願は達成される。息子は言う。「小さいときから父さんを優勝監督にしたいという想いは誰よりも強かった」と。

 青森山田中から青森山田高へ進んだ凱。父の指導を受けながら選手として力をつけてきた。しかし昨年8月1日の全国高校総体準決勝・流通経済大柏高戦(1-2)。凱は後半アディショナルタイムから出場したこの試合を最後にピッチを離れた。左膝の皿を骨折、さらにその後に左膝の腱も断裂してしまったのだ。1か月休んでは手術することを二度繰り返した。気がつけば夏も終わって10月が過ぎ、医師からは復帰まで約半年かかると告げられた。

「小さいときから青森山田を見てきて、ここにいる誰よりも選手権で父さんを優勝監督にしたいという想いは誰よりも強かった」。だからこそ、プレイヤーとして何とか選手権に間に合わせるべくリハビリに明け暮れた。「選手権に間に合わないと聞いたときは、間に合わせる努力をしないといけないと、色々なリハビリをしました」。父とともにピッチレベルで喜びを分かち合いたい。その一心で復帰を目指した。それでも、同学年の伊藤翼(3年)がマネージャーとして奮闘しているのを見て、心境に変化が訪れる。

「伊藤がチームを色々と支えてくれるのを見て、自分も選手としては無理だけど、サポートしてならチームの優勝のためにしっかり貢献できると思ったんです。そこからは伊藤と二人でマネージャーをして、洗濯とか雑用が多いんですけど、裏方とかサポートをしながら、父さんを優勝監督にできるのが一番いい形だと、ポジティブに考えて実行に移しました」

 選手として引く決断。それを知ったとき、母は号泣していた。息子は「選手ができないとなったときにすごくお母さんが泣いていて。自分の不注意で起こした怪我だったので、母さんに申し訳ないことをしたなと思いました」と振り返る。ボールを蹴り始めた時からずっと見守ってくれた母の涙に胸は痛んだ。

 黒田監督は「中学と高校の6年のときだけでなく、幼稚園の頃から送り迎えやら色々している想いもあったはず。さらに親父が監督をやっている学校に入ってというところで、息子一人だけの問題だけでなく、家庭として子供を親として応援してきたのを、たった一瞬の出来事でふいにしてしまった。今までの18年間を想う気持ちが一気に募ったんじゃないかな」と妻の気持ちを思いやった。

 母が息子を思って涙した一方、監督としての立場もある父は簡単に感情を表に出すことはできなかった。「自分が監督として、そういう思いを全面に出してしまうと、それはもっと(家族を)悲しくさせるわけだから。僕自身は触れないで『バカだなぁ』という感じで言っておきながら……あえて触れないようにしましたね。一瞬の不注意での怪我、本人が一番わかっているから」と微笑む。

「最初は選手権のこのピッチで息子を出したいという気持ちもありましたよ。だけど無理をして出させることはできないし、監督として一番いい状態の選手、戦える選手を出さないと頑張ってきた選手に失礼。だからこそ、きちんとサポートに回らせながらやらせたいなと思いました」

 マネージャーへ“転向”した凱は、今大会では裏方としてチームを支え、日々の洗濯や用具の準備に取り組んでいる。8日に行われた決勝前日練習では、セットプレー練習の相手を務めてはサイドからスローインを投げ入れたほか、必死にボールを集めていた。選手としては無理でも、裏方としてチームを支えることはできる。やることは変わったが「父を日本一の監督へ」という想いはぶれない。

 高校卒業後は大阪体育大へ進学予定。孝行息子は父の背を追う。「後輩になりますけど、そんなに甘くないぞと。でもやるからには応援したいなと思います」。そう話した黒田監督は優しい笑顔をみせた。

 日本一へあと一勝。黒田監督が青森山田を率いての22年で未だ成し遂げられていない選手権制覇。息子・凱が最終学年となった今、手にするチャンスが巡ってきた。息子は「父さんを優勝監督に」と誓い、「あのとき泣かせてしまったので、母さんのためにもしっかりと頑張っていかないと、選手権を優勝して大学で頑張るというのは母さんにも伝えているので」と言う。2017年1月9日、埼玉スタジアムで行われる決勝戦。黒田家にとって特別な一日がはじまる。

(取材・文 片岡涼)

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