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永遠のレジェンド・トッティ、終わらないローマ市民との絆…日本行きの可能性は?

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フランチェスコ・トッティの決断は…

 フランチェスコ・トッティのキャリアの最後はどこで迎えることになるのだろうか。愛するローマかそれとも…。

「王子様」とまで呼ばれたトッティとローマの相思相愛は唯一無二であり、永遠に続くかのごとく映っていた。しかしついに終焉を迎えた。8827日の時が過ぎ、別れのときが訪れたのである。現在言える確かなことは、ローマのサポーターの心がトッティから離れることはないということだ。

 彼はローマで計786試合に出場し多くのファンを魅了してきた。ローマに生まれ、ローマファンでもあったトッティはその夢を愛するクラブで実現したのだ。トッティとローマは常に一体で、トッティこそローマそのものであった。長年にわたってローマの神髄であり続けたと言っても過言ではない。

 ただ、何度も言われる話ではあるが、彼は生涯をローマに捧げるのではなくもっと多くの選択肢を持っていた。レアル・マドリーとサインすることもできただろうし、チャンピオンズリーグを制しバロンドール受賞を目指すこともできたはずだ。2000年代初頭には、アンドリー・シェフチェンコやパオロ・マルディーニとともにミランの凱旋を祝うことだってできただろう。

 しかし彼の選んだ道は“そうしないこと”であった。彼は自身を偉大な選手へと成長させてくれたローマでキャリアを築くことを望み、クラブを高みへ導くことを選んだのだ。それこそが、彼が唯一無二と評価される理由であり、トッティがトッティである所以でもあった。

 長年にわたり、一つのクラブに尽くしてきたバンディエラと呼ばれる選手たちは他にもいるが、トッティには特別な何かがある。それは最高の瞬間も最悪の瞬間も彼がチームをけん引してきたからであろう。スクデットに歓喜したこともあれば、2004 -05シーズンのようにギリギリで降格を免れた最悪なシーズンもある。そして彼の隣にガブリエル・バティストゥータがいたこともあれば、ミドやシャバニ・ノンダにアシストを送っていたこともあった。

 それにトッティは誰よりもローマの歴代監督を知っている。彼はブヤディン・ボスコフの下でデビューし、カルロ・マッツォーネに育てられた。カルロス・ビアンチ指揮下では反りが合わず、退団が目前に迫ったときもあったし、ズデネク・ゼーマンとはサッカーを楽しみ、ファビオ・カペッロとはともにトロフィーを掲げた。ルディ・フェラーやルイジ・デルネーリ時代には我慢の時期が長く、ルチアーノ・スパレッティ指揮下にはセンターフォワードに転向した。“ゼロトップ”で一世を風靡したのもこの時だ。

 クラウディオ・ラニエリの下ではタイトル獲得まであと一歩という悔しい想いをともにし、その後はかつてピッチ上でともに戦ったビンチェンツォ・モンテッラと再会。そして、ルイス・エンリケとの難しい時間をなんとか“消化”し、再びゼーマンに出会う。ルディ・ガルシアからは重用されたが、スパレッティが着任すると輝きは見えなくなった。この長いローマでのキャリアの中で、時には不甲斐ないプレーをし、トッティ自身が自分を責めた瞬間もあったかもしれない。

 しかし美しいことに、どんな時でもファンはトッティの味方であった。それは決してトッティから求めたわけではなく、彼はピッチを通して自身の存在を表現し、ファンからの愛を勝ち取ったのだ。その愛はゴールを挙げたことだけでは勝ち取ることはできない。主将という立場を越え、まるで真のサポーターのような振る舞いをすることで共感を得たのである。ダービーの前後にはラツィオに対し挑発してみせ、伝説となったユヴェントス戦の終了間際にはイゴール・トゥドールに対して「4(点差)だから帰れ」とメッセージを送った。良い意味でも悪い意味でも彼はファンが一番求めることを、一番最適な形で表現してきた。トッティはそんな特別な選手であったのだ。

 ローマ市民はレジェンドの最後が、イタリアの首都以外で迎えることになる可能性があるなど思いもしなかっただろう。しかしトッティが育んできた愛情はきっと永遠に途切れることはない。

 単なる偶然でレジェンドになれるわけではない。307ゴールを決め、生涯を一つのチームに捧げただけでは足りない。フランチェスコ・トッティであるからこそ、彼は永遠にローマ市民にとってのレジェンドなのだ。彼がどこでキャリア最後の時を迎えたとしても、絆が途切れることはない。それだけが、ただひとつ疑いようのないことなのだ。

 先日、トッティには日本の東京ヴェルディがオファーを出したと報じられた。クラブの羽生英之社長は9日に「ローマに残るのか、日本に来るか」と、交渉の状況を明かしている。本人は頭を悩ませていると伝えられるが、トッティがどれほど日本行きを真剣に考慮しているかは不明だ。ローマのサポーターはクラブの象徴であるレジェンドが日本に行ったとしても、見放すことはない。しかし、ローマ一筋でキャリアを歩んできたトッティが最後の場所に日本を選び、経歴に「ローマ」以外の文字を刻むことはどれほどあるのだろうか。決して可能性は高いとは言えないだろう。

文=レナト・マイサーニ/Renato Maisani

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