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「スポーツライター平野貴也の『千字一景』」第56回:ボスの帰還(流経大柏:本田裕一郎監督)

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優勝の瞬間、ガッツポーズする流通経済大柏高・本田裕一郎監督

“ホットな”「サッカー人」をクローズアップ。写真1枚と1000字のストーリーで紹介するコラム、「千字一景」

 試合終了の笛が鳴った瞬間、選手のガッツポーズを撮ろうと思っていたが、自然とレンズをベンチに向けていた。両腕に力を込めた70歳の指揮官が、笑みをたたえていた。日本一に留まらない喜びが、溢れていた。

 準決勝を勝った後、流通経済大柏高の本田裕一郎監督は「去年の今頃は、病院のベッドの上だったからね」と言った。流経大柏は、前回大会も全国高校総体(インターハイ)の決勝に進んだが、本田監督の姿はなかった。大病を患って入院。ドクターストップがかかっていた。教え子たちが勝ち進むのは嬉しい報告に違いなかったが、自分のいる場所が不満だった。

 残念に思っていたのは、本人ばかりではない。前回大会、決勝で宿敵の市立船橋高に敗れた際、大会を通して監督代行を務めた榎本雅大コーチは「オレにはまだ(日本一は)早かったよ。来年は、うちの大将を連れて来てリベンジするから!」と宣言していた。

 監督がいなくても勝ちたかったが、一緒に喜びたい気持ちの方が大きかったのだろう。少し笑っているように見えた。1年後、有言実行のときがやって来た。日大藤沢高とのひりつく様な接戦となったファイナルを、流経大柏は制した。9年ぶり2度目、単独では初となる優勝だ。

 表彰後、バックスタンドの前で本田監督が胴上げされた。3度宙に舞った指揮官は、満足げだった。選手たちは、ほかのスタッフも胴上げをしようとしたが、榎本コーチは「オレは、いいよ。あれ、上げられるまでが痛いんだよ」とうそぶいて遠ざかっていた。親のような存在だという本田監督の胴上げを嬉しそうに見上げていたのが印象的だった。

 本田監督は、優しさも厳しさも持っていて、愉快な一面もある。監督が姿を消すと、選手たちが愚痴をこぼすこともある。それでも、試合に勝てば選手が飛び付いていく。試合終盤の左コーナーキックでは、本田監督がヘディングで決めろとジェスチャーで指示を送り、チームの全員が表情を凍らせて試合の時間を伝えた。監督は「キープだ、キープ!」と言い直した。

 年を重ねても、大病を患っても、指導熱は衰えない。榎本コーチは「(病気で)本当に大変な思いをしたと思う。こんなにサッカーに情熱をかけている人は、いないよ」と笑った。本田監督が戻って、チームが日本一に輝いた。優勝が決まった後、バックスタンドからは凱歌が上がった。

「流経が勝てたのは、我らの力じゃなく、流経が勝てたのは、ボスのおかげだから」

■執筆者紹介:
平野貴也
「1979年生まれ。東京都出身。専修大卒業後、スポーツナビで編集記者。当初は1か月のアルバイト契約だったが、最終的には社員となり計6年半居座った。2008年に独立し、フリーライターとして育成年代のサッカーを中心に取材。ゲキサカでは、2012年から全国自衛隊サッカーのレポートも始めた。「熱い試合」以外は興味なし」

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