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[もうひとつの高校選手権]「厳しい監督のおかげで優勝できた」。志村学園・石綿主将が明かした感謝の理由

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石綿(左から2人目)は何人に囲まれても余裕があった

[2.17 もうひとつの高校選手権決勝 東京都立志村学園 2-0 東京都立永福学園]

 第4回全国知的障害特別支援学校高等部サッカー選手権「もうひとつの高校選手権2018」が16、17日の2日間、静岡県藤枝総合運動公園サッカー場で行われた。初の「東京決戦」となった決勝は、昨年王者の東京都立志村学園が前半終了間際に石綿洵哉主将(3年)の40mミドルシュートで先制し、流れを引き寄せると後半12分には原沢一輝(3年)の追加点で永福学園に快勝。大会初の連覇を達成した。

 長い弧を描くボールがゴールに吸い込まれた瞬間、石綿主将は一目散にベンチに走っていった。前半終了間際。センターサークル付近でボールを受けた石綿が迷うことなく、左足を思い切り振りぬいた。前線に走りこむ選手にあわせたわけではない。永福学園のGK丸陽孝(2年)は意表をつかれて後ろに下がりながらジャンプするが、ボールに触れず、直接ネットを揺らした。

 腹の底から叫ぶ石綿の視線の先に、普段は厳しい小澤通晴監督が顔を崩して待っていた。抱きつかんばかりの勢いで走っていたがベンチ前でスピードを緩めてハイタッチ。その直後には仲間の祝福の嵐の中でもみくちゃにされていた。

「前半が終わろうとしていたので、とにかくシュートで終わりたかったんです。(小澤監督に)抱きつきたかったけど、だきつけなかったですね(笑)。監督は厳しい人ですけど、チームが一丸となって優勝できたのも監督のおかげです。一緒にやってきた3年生にもありがとうと言いたいです」

 そう明かす石綿は、小澤監督の昔の教え子から「ぜひ志村学園で」と推薦されて入学した生徒。サッカーの実力は折り紙付きで、2年時には日本代表のスウェーデン遠征に参加するほどの実力の持ち主だ。ゆえに、周りの選手がうまくできないプレーが続くと苛立ちを覚え、態度に出てしまうこともあった。

 昨年、2年生で初めて「もうひとつの高校選手権」で全国制覇を果たし、主将として過ごしていた今年の夏、つい苛立ちを抑えきれないことがあった。試合中、石綿はピッチにあったマーカーを蹴ってしまった。そのシーンを見逃さなかった小澤監督は、石綿をあえて全員の前で叱った。石綿が当時を振り返る。

「僕は1、2年生のときはやんちゃで、全然ボールが出ないときとかに味方に強く言っちゃうことがありました。でもあのことがあったおかけで3年生で主将という立場で、『ここ一番で引っ張っていかない』といけないという気持ちが出てきました」

仲間に胴上げされる石綿洵哉

 1年生ながら準決勝で4得点の活躍をした渡邉仁暉は、懐が深くなった石綿の優しさに救われたひとりだ。

「中学とかそれ以前は、先輩というと逆らえない雰囲気がありました。石綿先輩は切り返しも、シュートもあれだけすごいのに、人にも優しい。だから気楽にお話しができます。大会中、1、2戦目はゴールしたくて『自分が何とかしなきゃ』と思っていたのに点が取れなかったんですが、石綿先輩から『自分だけでなくて、周りも使えよ」と言われて緊張がほぐれました」

 表彰式終了後。インタビューで「この喜びを誰に最初に伝えたいですが」と聞かれた石綿は「両親です」と即答した。

「サッカー用具をそろえてもらったり、夜遅くまで洗濯してもらったり。自分がやらなきゃいけないこともやってもらいました。中学のときは自分からどこかに行きたい、という気持ちにもならなくて、電車に乗るのも自分ひとりじゃ危ないと思って、親と一緒に行ってもらうことが多かった。そういうことまで助けてもらってたので、ホント、感謝しています」

 卒業後、希望する大手企業で仕事をしながらサッカーを続ける石綿には夢がある。

「去年の夏、体調を崩して(知的障がい者のW杯にあたる)世界大会の舞台に出られなかったので、必ず代表になって、自分がうまくなって日本代表を強くしていきたい」

 志村学園を背負う選手から、日の丸を背負う選手へ。富士山を望める藤枝で、石綿は早くも次の「頂」を見据えた。

(取材・文 林健太郎)

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