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Jクラブはトップ選手を育てるだけではない。FC東京が大切にしてきたもうひとつの「受け皿」

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スクール開始直後。FC東京のロゴ入りのユニフォームを着れることが子どもたちの誇りだ

 日本障がい者サッカー連盟は3月2日、サッカーを通じた共生社会の実現を目指し、広島県の佐伯区スポーツセンターで「インクルーシブフットボールフェスタ広島2018」を開催する。「インクルーシブフットボール」とは、障がいの有無や種別などの違いを超え、障がい者と健常者が混合チームで一緒に楽しむサッカー。普段、知的障がい者むけのサッカースクール「あおぞらサッカースクール」を中心となって進めているFC東京普及部の鯨井健太コーチが、障がい児と日常的に接している豊富な経験を買われて、サンフレッチェ広島など地元のコーチやスタッフに交じって招かれた。

 鯨井コーチが所属するFC東京は日韓ワールドカップ(W杯)が開催された2002年、FC東京のおひざ元、調布市とともに知的障がい者とサッカーをする教室を開催。当時は調布市在住の人に限定されていたが、口コミで広がり、世田谷区の「わくわくサッカー教室」、杉並区の「きらきらサッカー教室」と広がっていった。10年間続けたサッカー教室を発展させる形で、2014年からスクール化。現在は毎週火曜日の夕方に「FC東京パーク府中」で開催している。鯨井コーチが明かす。

「単発の教室の場合、その場のコーチと子どもたちの関係性によって子どもたちにとってよかったかどうかが変わってしまいます。定期的にやることで僕たちと子どもたちの関係性が保たれ、深まっていきます。知的障がいがある子は、何かに突出している子が多い。見た目ではわかりづらく、でもそれを周囲に受け入れてもらえないことで自尊心を傷つけられてきている子もいます。そういう子どもたちへの居場所を作りたいという想いで続けてきました。障がいがある子の中には、サッカーがしたいのにする場がなくて困っている子は多い。Jリーグクラブはサッカーを上達させることを求められていると思いますが、加えて、人間教育もできるというところにつなげていきたいです」

熱っぽく語る鯨井健太コーチ

 スクールでは、最初の集合ひとつをとっても一筋縄ではいかない。時間、場所が決まっていても、途中にあるお店に気をとられて集合場所にたどりつかなかったり、ピッチ脇まで来てもなかなか輪に入れない子もいる。ピッチで教えるスタッフとピッチ外にいるスクール生をケアするコーチを用意し、生徒16人に対してコーチは5人。うち1人は、FC東京が知的障がい者の教室をたちあげたときからともに歩み、知的障害児・障害者のサッカークラブの運営に関わり続けるNPO法人「トラッソス」のスタッフも必ず加わる。スクール生がピッチに表れると、コーチたちが歩み寄り、「〇〇君おいで」というところからスタートする。

「周囲の人とのかかわりがあまり得意ではなく、『自分だけに注目してほしい』ということを態度で示す子も多いです。たとえばボールを持たせると『僕のボール。だから捕らないでね』と言って、試合が成立しないんです。そういうときは、たまにボールをとっちゃって『取り返してごらん』というだけで、かかわりができる。そしてゴールが決まればハイタッチ。自然とだんだん仲間が増えて、スクールに来ることが楽しくなるように意識しています」

 鯨井コーチは選手としてのプロ経験はない。大学時代、張り紙を見てコーチとして入ったチームの保護者が、当時のFC東京の普及部長を紹介してくれた。在学中からアシスタントコーチの仕事をはじめ、卒業後はFC東京の計らいもあり、障がいのある子が集まる特別支援級の教員をやりながら、アシスタントコーチを続けることができた。「2足のわらじの経験」が今の指導に生かされている。

「最初はどう接していいのか、という想いはすごくありました。(子どもが)寄りつかないんですよ。でもこちらがぐっと入り込むと、生徒たちも振り向いてくれる。子どもたちはものすごく敏感なんです。『この人、緊張しているな』というコーチの雰囲気を素早く察知してあまり寄りつかない。ですから僕のキーワードは『笑顔』です。笑顔でサッカーをして、笑顔で迎え入れる。教育委員会と連携して普及部コーチが小学校を訪問する『キャラバン隊』では、サッカーが好きな子もいればそうでない子もいます。まず『FC東京から来ました!!』という元気さがないと、いくらレベルの高いサッカーを教えても、生徒の心の中に入っていかないと思っています」

昨年末のフェスタ。鯨井コーチはいつも子どもたちと同じ目線で話す

 住んでいる場所の関係でスクールに定期的に通えない子どもたちのために、中学生以上を対象にスクールとは別に毎月1度、府中市で「あおぞらサッカークリニック」を開校すると、長野県から親子で通ってきた子もいた。学校よりスクールの方が楽しいと言い、スクールが中止になったのに「コーチに会いに行きたい」と言って、会いに来てくれる生徒も出てきた。

「口コミ、口コミの連続で人の縁に恵まれた、いい人生を送らせてもらっています。今はスクールの生徒が20人なら20人、定期的に来てもらえることが一番大事です。サッカーをやっているスクールの子たちの中で将来、ジュニアユース、ユースとあがって、プロの選手になるのもひとつの道ですが、スクールに入っていても将来はパン屋になったり、パイロットになる子もいる。コーチに教わって『すごく楽しかった』『挨拶もできます』。そういう子も育てていける指導者になりたいですね」

 将来性豊かな若い芽を一流プロにするのも難しいが、個性もレベルも違う子どもたちを一同に集め、能力を見極め、楽しませながら目指す方向にうまく導いていくことも、またプロフェッショナルなスキルが必要だ。イベントの自己紹介で「僕のことは『ク・ジ・ラ』と呼んでください」と言って子どもの心のつかむ鯨井コーチは、答えが無数にある大海原を、これからも笑顔で泳ぎ続ける。

(取材・文 林健太郎)

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