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【令和を迎えて】デフフットサル日本代表・野寺風吹の誓い「世界一をとるために妥協しない」

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イラン選手と競り合う野寺(右)

 1896年に創部され、日本代表に数多くの名選手を輩出してきた筑波大学蹴球部に、デフフットサル日本代表でも奮闘する選手がいる。今年大学3年生になったFW野寺風吹は2月、タイで開催されたワールドカップ(W杯)アジア予選にも日本代表として出場。フットサルでは指令塔役として、将来を嘱望されている。

「アジア大会は反省しかありません。(大会前の)の国内合宿ではプレスに来る相手を重視してやりましたが、アジア大会に入ると、初戦で基本的に引いて守るチームが出てきた。そこで『どこに突破口を見いだそうか』と迷いが出ました。フットサルの経験値が少なすぎて、どういう風にみんなを動かしていくか、という部分で自信が揺らいでしまいました」

 経験値の少なさは無理もない。小学校1年から北海道・旭川でサッカーをはじめた野寺は、高校で聞き取りづらい不自由さを感じるまでずっと健常者と一緒にサッカーをしていた。高校卒業後、デフサッカーのようなマイナースポーツの分野を今後、どう発展させていくか、について学びたくなり、筑波大学を目指して1年間、北海道で自宅浪人し、見事に一般入試で合格。デフサッカーは大学に入ってからはじめ、日本代表候補合宿に初参加したのは2年前の11月。大学の活動を優先しながら、合間にフットサルに取り組んでいたため、経験が浅いが、その状況で昨年12月、スペイン遠征でチーム2位タイの3得点をあげ、非凡なセンスを見せた。

 指令塔として期待されたアジア選手権では、洗礼を浴びた初戦のシンガポール戦以降は、先発から外れる屈辱にまみれた。帰国後、野寺はフットサルの経験値を増やして再起を図るため、関東二部のVELDADEIRO/W.F.(茨城)に加わった。ほかの大半の日本代表選手が所属しているチームより、レベルは3段階ぐらい高いところを選んだ。

「普段からすごい強いチームの中でやれば、国際大会でイランとかと当たっても、動じない力をつけられると思う。チームには、イランにいるような左利きでドリブルがうまい選手、大きくてポストができる選手、切り返しが素早い選手がそろっていて、普段からイランを想定して準備できる。試合に登録される人数が14人に対し、全体で20人ほどいて(試合出場のために)普段からバチバチやりあうところにもひかれました」


 フットサルの練習には水曜日と土曜日に参加。本格的にはじめるにあたり、大学の部員にも「フットサルの日はそちらの活動を優先させてもらいます」と頭を下げた。水曜日は、基本的に両方の練習に参加し、大学の公式戦もこれかはじまる。したがって体は休みなくずっと稼働することになるため、食事、睡眠、マッサージに加え、より効率のいい体の使い方を学ぶため、パーソナルトレーナーとも契約した。

 普段はアルバイトもできない野寺がその必要経費を集められるのは、彼の行動力によるものだ。野寺は難聴だが、症状が軽いためか、障害年金をもらえない。それでも日本代表の活動に参加し、海外遠征にも参加するためには最低限の資金が必要だ。お金をないことを理由に、代表活動を辞退する選手もいる中、野寺は「どうすれば参加できるか」と考え、自らクラウドファンディングを立ち上げ、約2か月で110万円集めた。お返しとして、支援してくださった人に1人ずつ手紙を書いている。お金の使い道は、おもに昨年12月のスペイン遠征、2月のアジア選手権(タイ)、そして、ワールドカップ(スイス)の渡航費にする。一連の前向きな野寺の行動力を知ったメルカリの担当者が、野寺とアスリート契約を結び、遠征費などをサポートしている。

「メルカリさんとクラウンドファウンディングに支援してくださった方々のおかげで、世界一になるための練習を惜しまず出来ています。そこに感謝したい。デフでは代表に選んでもらっていますが、筑波では四軍です。昔から『障がいがあるから仕方がない』ではなく、『障がいがあってもできないと意味がない』と考えていろんなことに挑んできました。日本代表でチームを勝たせられる選手になって恩返しをしたいし、筑波でも上に行くことによって、日本代表の価値を高めたい。障害を持っていてもできるんだという証明ができれば、そのことが障害者と健常者の融合というか、インクルーシブを図るパイオニアのような存在になれるんじゃないかと思っています」

 まだ21歳の野寺は、世界一を目指す戦いの先に、社会を動かすことまで見据えている。

(取材・文 林健太郎)

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