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最終節のブーイングは「去り際かなと…」酒井高徳を直撃、日本復帰の可能性は?

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DF酒井高徳は来季どこでプレーするのか…

 昨年のロシアW杯後に「次のW杯は目指さない」と日本代表からの引退を表明したDF酒井高徳(ハンブルガーSV)は2018-19シーズン、自身としてもクラブとしても初めてとなるブンデスリーガ2部を戦った。しかし、目標である1年での1部復帰を果たせず、最終節では後半38分から途中出場した酒井にスタンドからブーイングと指笛が飛ぶという“事件”も起きた。ハンブルガーSVとの契約をあと1年残す中、日本復帰も噂される28歳のサイドバックを直撃した。

最終節のブーイングは
「ショックだったし、悲しかった」


―残念ながら1年での1部復帰を果たせませんでしたが、1部と2部の違いにも苦しんだシーズンだったのではないでしょうか。
「かなり違うなという印象でしたね。1部は大人のサッカーといいますか、攻守において戦術的に熟練された試合が多いのですが、2部は立ち上がりから勝負をかけて体力が持つところまでいって、それがうまくいけば勝てるし、うまくいかなかったら負ける。そういう戦いが多かったですね。シーズンの前半戦は引いてくる相手が多かったのですが、後半戦になると、相手は前半の20分、30分に全力でプレッシャーをかけてきて、こちらのミスを誘って1点取れればという考え方をしてくるチームが増えました。前半に勝負をかけるぐらいの勢いで、いわば捨て身の部分もあって、そのためには精度も問わないという。本当に肉弾戦でしたね」

―そういうリーグの中でハンブルガーSVのサッカーはある意味、異質な存在だったのでしょうか。
「そうですね。あそこまでボールを回してポゼッションしてというのは2部では異質だったかもしれません。1部のサッカーを知っているからこそ、それを2部でも体現しようというのがあって、前半戦は相手が引いてくることが多かったので僕らのやりたいサッカーができていましたが、後半戦になって相手が立ち上がりから勢いよく出てきたときに、僕らのもろさが出てしまったのかなと思います」

―後半戦になって相手の戦い方が変わってきたときにチームとしてうまく対応できなかったということでしょうか。
「前半戦は相手が引いて受け身の状態だったので、ある意味、2部らしさが出ていなかったんだと思います。それが後半戦になって、相手が2部特有の試合の持っていき方をしてきたときに自分たちがそれになかなか対応できなかった。いろんな要素がありますが、自分たちが“変化”できなかったことが響いたのかなと思います」

―自分たちの目指すサッカーを貫くことと、相手に合わせて対応することのバランスは非常に難しいですね。
「僕らの場合は理想が強すぎたのかもしれません。相手がプレッシャーに来ても、それをかいくぐるようなボールポゼッションをしたいし、それができるだけのクオリティーもあると、いい意味での自信を持っていました。でも、それがうまくいかなくなって、前線に速い選手を置いてロングボールを使うようなサッカーに少しずつシフトチェンジしたとき、ボールを回したい選手と、(監督から)『走れ』と言われている前線の選手がいて、そこでいい関係を築けなかった。チームとしてチグハグした状態が続いて、変えないといけないところに対応できなかったことが後半戦の僕らの出来を象徴しているのかなと思います」

―クラブとしてもサポーターとしても初めての2部リーグでした。そういう意味でも適応が難しかったのでしょうか。
「ファンもクラブも、今まで積み上げてきた歴史に誇りを持っています。何十年もこのクラブを見てきて、“ハンブルクはこうあるべきだ”“ハンブルクは強くなくちゃいけない”というのを強く持っています。どうしてもファンの方は『2部だったらダントツで昇格できるだろう』と思ってしまいますし、ホームだったらなおさら2部のチームに負けるはずがないと。そうすると、ホームで何試合かうまくいかないと、僕ら選手がしびれを切らす前にファンの方がしびれを切らしてしまうんです。ブーイングもそうですし、スタジアムの雰囲気もそうです。勝たないといけないんだというプレッシャーは、自分たちの中から出てくるものであればいいのですが、周りのリアクションに対して感じると、『今、僕らは良くないんだ』『早く良くしないといけない』と委縮する選手も出てきます。そういうときこそ一丸とならないといけないのに、ハンブルク全体にそういう雰囲気が生まれてしまった。監督を代えろ、強化部長を代えろ、あの選手はいらない――。サッカーの街なのでそういう声、情報は嫌でも目に入ります。平均年齢の若いチームで、そういうことを経験したことのない選手も多いので、そのプレッシャーに負けてしまった選手も何人かいたのかなと思います」

初めてのブンデスリーガ2部での戦いを振り返る

―そんな中、最終節では途中出場した酒井選手に対してブーイングが飛びました。
「ショックでしたね。どうやってチームに貢献したらいいかを試行錯誤し続けたシーズンでした。後半戦、チームの戦い方が変化していったときに自分もうまくチームに馴染めなかったのもありますし、自分もなかなかパフォーマンスが上がっていきませんでした。うまくいかなかったシーズンだとは思っていました。でも、サッカーは11人で戦うもので、ベンチメンバー、メンバー外の選手も含めてみんなで戦った結果であるはずなのに、自分一人に対してブーイングが起きるというのは、プロとして理解しないといけないと思う反面、ちょっと的外れじゃないかというのは自分の中で感じていました。単純にショックでしたし、チームが3-0で勝っている状況で、残り10分もありませんでした。4年間、このクラブに所属して、日本人でキャプテンもやらせていただいて、残留も降格も経験して、それでもチームに残って、すべてを懸けてやってきました。それがあの一瞬で……。昇格を逃したのは残念な結果ですが、それなら僕が試合に出ていなかったら昇格できていたのかという気持ちにもなります。スタジアム内で、しかもホームで、というのはすごく悲しい気持ちになりましたし、今まで自分がやってきたことは、この人たちにとってはそれほど重要なことではなかったんだなと。このクラブに忠誠を誓った自分が情けなくなってしまったというか、僕の知っているハンブルクはこんなハンブルクではないと、非常に残念な気持ちになりました」

―ブーイングを受けるような予兆は何かあったんですか。
「パフォーマンスが良いときは褒められるし、悪いときは批判されるというのは選手の宿命です。情報社会なので、メディアからもSNSからもいろんな情報は入ってきます。クラブに残留した数人の選手の中の一人として、僕のパフォーマンスが上がらないのは痛いというような記事は出ていましたが、それも僕一人を狙った記事ではなく、キャプテンを含めて経験のある選手何人かについて書かれたものでした。一人を集中攻撃するような感じではなかったですし、なおさらファンからそういった声はなかったので、すごくショックでしたね」

―試合後、チームメイトもブーイングを批判し、酒井選手をかばうコメントをしていました。
「そうですね。選手も『あれはないよ』と言ってくれましたし、駐車場がスタジアムに隣接しているので、僕らはそこから車で帰るのですが、試合後、多くのファンの方が僕のところに来てくれました。『あれは本当のハンブルクファンの本意ではない』『ただサッカーを見に来ているだけの人たちがブーイングしただけで、僕らコアなファンはそんなことはまったく思っていない』と言ってくれました。そのときはなかなか受け入れがたい気持ちもありましたが、そのあともいろんなメッセージ、連絡を受けて、『あれはお前だけが受けるべき仕打ちではない』『お前のやってきたことはブーイングに値しない』『一人のファンとして残念だ』と、いろんな声をいただきました」

―少し時間が経って、今は気持ちも整理できましたか。
「ショックでしたけど、去り際なのかなとも思いました。契約はあと1年残っていますが、ここまで満足されない形になってしまった。4年間プレーしてきて、終わり方は悲しいかもしれませんが、ここにいるべき選手ではなくなったのかなと。逆にそれを知れて良かったという自分もいます。そういう不満が知らないところでどんどんたまって爆発するのは嫌ですし、期待に応えられない選手はそのチームにいられないというのは選手ならだれもが経験することです。今回は自分がその対象になったんだなと思っていますし、逆に開き直れたというか、切り替えはできています」

J復帰の可能性は?
「大事なのは家族がいるかどうか」

今夏の去就も注目される

―去就の話が出ましたが、シーズン中にも地元メディアに対して「いつか日本に戻りたい」とコメントしていました。
「そうですね。20歳でドイツに来ましたが、移籍する前から新潟で試合に出ていたとはいえ、それほど活躍していたわけではありませんでした。Jリーグに残したものがないと思っているんです。海外にいても、Jリーグで結果を残している選手を見ると、うらやましいなと思うときがありますし、Jリーグで活躍していなかった自分がいるからこそ、Jリーグでも活躍したいという気持ちは持っています。それと今、僕は単身でドイツにいて、家族が日本にいるということも一番の理由です。自分の中で区切りが付いたタイミングで日本に戻りたいという気持ちは常に持っていました」

―ご家族は去年の春に帰国したそうですね。2人の娘さんも小学生ということで、家族と離れて暮らすのは寂しいですよね。
「ドイツと日本という離れ方は簡単ではないですね。日本国内であれば、たとえ離れていても時間をつくって会うことはできます。家族との思い出という意味では、そのときにしか見られないものがあると思っています。6月1日が小学校の運動会だったのですが、幼稚園のときも含めて初めて運動会を見ることができました。いつもはビデオで送ってもらって見ていたので。そういう葛藤は常にありました。サッカーができる環境にいれば、そのレベルに関しては自分の中で最後は関係なくなるんじゃないか、大事なのはそこに家族がいるかどうかじゃないのか。そういうふうに考えるようになりました」

―この夏にも日本に戻ってくる可能性はあるのでしょうか。
「ハンブルクとの契約が残っていますし、監督も強化部も変わって、新しい監督(ディーター・ヘッキング監督)が自分を戦力として見ているのか見ていないのか、クラブが戦力として見ているのか見ていないのかというのは僕自身では判断できません。ただ、自分の中で可能性は大きく広げていて、ドイツに残りたいとか、日本に帰りたいとか、自分の中に何か決まった答えがあるわけではありません。この夏は初めて日本代表の活動もなくて、ゆっくり休める時間があるので、家族とも話しながら決めていきたいと思っています」

―古巣のアルビレックス新潟は今季、J2で戦っています。移籍金もかかる今夏の復帰は現実的ではなさそうです。
「難しいですよね。でも、新潟に戻りたい気持ちはありますし、新潟を助けたい気持ちは常に持っています。最後、新潟で現役を引退したいというのは自分の夢でもあります」

―逆に言うと、今夏の移籍先としては新潟以外のJクラブも候補になるということでしょうか。
「家族と一緒にいたいという自分の気持ちを踏まえた中で、日本は選択肢としてあります。それ(日本復帰)が早いとか遅いとか、いろんな考え、意見はあると思いますが、一番後悔しない、悔いが残らない選択をしたいと考えています。自分のキャリアにおいて家族はいつも力を貸してくれて、応援してくれています。どういう決断をすることが選手として一番いいのか、それを尊重するといつも言われているので、家族と一緒に考えて結論を出したいと思います」

―ドイツ国内の他のクラブに行く可能性もありますか。
「より自分がチャレンジできる環境に行きたいという気持ちはあります。現時点の自分にどういう選択肢があるのか確認したいですし、その選択肢の中に自分が思い描くチャレンジがあるのかどうかを考えてみたいと思っています。まだ具体的な話は来ていないので、話が来たらしっかり考えたいですね」

―以前、ドイツ以外の国に行く考えはないと話していましたが、その気持ちにも変化が出てきたということでしょうか。
「ドイツ以外のリーグは自分のプレースタイルに合わないのかなと思っていたんです。自分は上手な選手ではないですし、ドイツのフィジカルであったり、試合のスピードやテンポ、規律正しさという部分は自分の長所にうまく当てはまったリーグだと思っています。でも、それ(ドイツ以外への移籍)も一つのチャレンジというか、そう思っている自分を変えるチャレンジになりますよね。ブンデスリーガも少しずつテクニカルになってきていて、チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグで苦戦しているのも、そういう変化の時代に入ってきているからなのかなと。実際にプレーしていても、これまでのガツガツしたサッカーよりも、テクニックを重視したチームが増えてきていて、自分もドイツの選手の中では古いタイプの選手になってきているのかなと感じています(笑)。リーグのレベルは下がってもその中で上位のクラブに行って何かを成し遂げるという考え方もありますし、いろんな可能性を、来たオファーとともに考えたいと思っています」

代表引退から1年…
「僕よりいい選手がいっぱいいる」

日本代表への思いは…?

―ロシアW杯のメンバーで森保ジャパンに招集されていないのは、W杯後に日本代表からの引退を表明した長谷部誠選手と本田圭佑選手、同じく「次のW杯は目指さない」と明言した酒井選手だけです。日本代表に復帰することは今も考えていないですか。
「まったく考えていないですね。今の代表には僕よりいい選手がいっぱいいますよ。安西幸輝選手はすごくいい選手だと思いますし、室屋成選手も大好きです。Jリーグのいろんなサイドバックを見ていますが、可能性のある選手が多いなと感じています。ただ、ディフェンダーというのは経験を積まないと難しいポジションで、よく『どうすれば1対1でやられないポジションを取れますか』と聞かれますが、回数(を積むこと)なんですよね。言葉では説明できないところがあって、一瞬の判断、一瞬の感覚、“この距離感だったら危ない”というセンサーみたいなものがあって、そういう感覚はすぐには身に付かないものです。でも、ボールを持ったときのアクション、攻撃の創造性に関しては日本のサイドバックのクオリティーは相当高いと思います。ドイツのサイドバックを見ていてもそう思いますし、自分なんか必要ないと思われるぐらいの選手になれるサイドバックが今の日本代表にはいます」

―代表から退くという考えはロシアW杯のベルギー戦のあとに出てきたのでしょうか。
「W杯の前からですね。日本代表で試合に出ること、スタメンになること、W杯に出ることを常に意識してやってきた中で、自分が思い描く活躍と自分がいる現状にギャップを感じていました。W杯には本当に行きたかったし、何かを成し遂げたかった。23人のメンバーに入るために全身全霊で4年間やってきて、そのW杯の結果次第では、という気持ちは持っていました。ロシアW杯でもなかなか試合に出られませんでしたが、(サポートメンバーだった10年南アフリカW杯、メンバー入りした14年ブラジルW杯を含め)過去のW杯を見てきて、23人の選手がどうまとまっていかないといけないかは僕が一番分かっているつもりだったので、その中で自分の役割を全うしました。西野さん(西野朗前監督)のプレゼントではないですけど、そういう自分の姿勢を評価してもらって、本職ではなかったものの、(グループリーグ最終戦の)ポーランド戦に出させてもらいました。その試合で負けてしまったことも自分の中で堪えたというか、(会場からブーイングを浴びた)試合終盤のボール回しの件も含めて、そういう状況にならざるを得ないシチュエーションに僕らがしてしまったことが悔しかった。みんなが頑張って望みをつないできたそれまでの2試合があって、ここで奮起しないといけない選手たちがすでに(グループリーグ突破の)望みがないチームに負けてしまったことが悔しくて、次のベルギー戦が終わったときに『もう十分にやっただろう』と、自分の中で切れたものがあったのは確かです」

―ポーランド戦では先発6人を入れ替え、酒井選手は本職ではない右サイドハーフで先発しました。引き分け以上で自力突破が決まる試合だったとはいえ、難しいシチュエーションだったと思います。
「それでも完璧にこなしたいタイプだったので、逆にそれがよくなかったのかなと思っています。もっと本能的にプレーできればよかったけど、試合中にいろんなことを考えすぎたのかもしれません。ただ、一つだけ決めていたのは絶対に俺のサイドからはやらせないぞということ。(酒井)宏樹と俺で絶対に守ると。宏樹は次の試合にも出る可能性が高い選手だと思っていたので、試合前に『お前は楽をしろ。俺が死ぬまで走るから』と言っていました。『俺がプレッシャーにも行けるところまで行くから。その代わり攻撃のときはサポートしてね』と。守備で負担はかけたくないと思っていたので、『俺が走るから任せろ』と試合前から話していました」

7年半でケガによる欠場は1試合
身体づくりの秘訣は…

パーソナルトレーナーとともに汗を流す

―今後のスケジュールはどうなっていますか。
「(ハンブルガーSVが)6月17日に始動すると聞いているので、6月16日にドイツに戻ります。今日も『LP BASE』でトレーニングしますが、ドイツに戻る前にしばらくここでトレーニングするつもりです。Jリーグにいるころはキャンプで体づくりをするものだと思っていましたが、ドイツはキャンプから勝負といいますか、初日から普通に練習するので、そこで体がフィットしていなかったらいいパフォーマンスを出せませんし、ケガをしたら出遅れます。日本ではキャンプでやるような準備を今のうちにここでやっておいて、キャンプのときには体がキレキレになっているイメージで行こうと思っています」

『LP BASE』のトータルプロデューサーを務める大塚慶輔さんは新潟時代のフィジカルコーチだったそうですが、他にもさまざまな分野のスタッフからサポートを受けているそうですね。
「そうですね。試合でのパフォーマンスがピラミッドの頂点だとすると、それを支えているのは体のコンディションやトレーニングだけでなく、食事や睡眠、メンタルなど、さまざまな要素があります。各方面から補うことがパフォーマンスにつながりますし、食事の面では栄養士さんに付いてもらったり、内科の先生に体調管理をしてもらったり、現地(ドイツ)に来てもらって直接、今の自分のコンディションを伝えることで、さまざまなプログラムを組んでもらっています。自分にはそういった専門知識はないですし、いろんなアドバイスをもらいながらコンディションを維持するのは選手にとって非常に大事なことだと思います」

―パーソナルトレーナーが付いていることの効果をどのように感じていますか。
「最近知ったのですが、(11年12月に)ドイツに移籍してからの7年半で、ケガや体調不良による欠場は5年前の1試合しかないんです。向こうのチームメイトからも『なんでケガをしないんだ』『全然風邪を引かないけど、何を食べているんだ』とよく聞かれるんですが、こうした記録を残せたのもその効果じゃないかなと思っていますし、これからも続けていきたいですね」

帰国時にトレーニングを行う『LP BASE』で取材に応じてくれた

(取材・文 西山紘平)

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