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【GK's Voice 1】シュミット・ダニエル、「君もやってみる?」から始まる「想像できなかった」サッカー人生

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シントトロイデンGKシュミット・ダニエル

GKヒューマンドラマ『蒼のアインツ』第1話を読む↑

 試合に一人しか出場できない。そしてピッチ上でただ一人、手でボールを扱うことが許されたポジション。それがGKだ。“孤独なポジション”で戦う彼らはどのような思い、考えを持ちながらトレーニングに打ち込み、ピッチに立っているのか――。ゲキサカではコミックDAYSで好評連載中の『蒼のアインツ』とのコラボ企画として、GKにスポットライトを当てた連載をスタート。第1回はベルギーのシントトロイデンでプレーする日本代表GKシュミット・ダニエルに小学校時代から現在までを振り返ってもらい、GKとして生きていく術を聞いた。


中学まではボランチでプレー
GKは全然面白くなかった


――まず、サッカーを始めたきっかけを教えて下さい。
「自分でも記憶が曖昧なんですけど、小学2年生の頃にテレビでJリーグの試合を見て、サッカーって面白そうだなと思ったことが、サッカーを始めるきっかけになりました。僕が通っていた小学校には少年団があって、わざわざ見に行ったのか、学校に遊びに行ったときにたまたま少年団が練習をやっていたのかは覚えてないけど、その少年団のコーチに声をかけられたんです。僕がずっと横から見ていたことに気付いたコーチが、『君もやってみる?』という感じで仲間に入れてくれて。それが最初だったと思います」

――サッカーを始めた当初のポジションはGKではなかったようですね。
「低学年の頃はポジションも何もない感じだったけど、GK以外のポジションでプレーしていて、小学5年生くらいからはボランチでプレーし始めました。当時のプレースタイルですか? フィールドの中央に君臨して、一切動かずにひたすら左右両足でボールをサイドに蹴り分けていた感じです。あとは、身長が周りよりも少し高かったので、ハイボールが来たらはね返していました」

――フィールドプレーヤーとして、サッカーの面白さも感じていたと思います。
「普段はボランチでプレーしていて、たまにフォワードもやらせてもらい、前線に入って活躍した試合もあった。ボランチをやりながらフォワードもやっていたけど、とにかくゴールに結び付くプレーをすることに楽しさを感じていました」

――当時、GKに対する印象をどのように持っていましたか。
「正直、シュート練習をやっていてもボールを思い切り蹴ってこられていて、かわいそうだなって(笑)。当時は、そういうイメージを持っていました。サッカースクールみたいなところで、いろいろなチームの選手が集まり、ランダムにチームを決めてミニゲームをする時にはGKをやったこともありましたが、そこでGKをやっても全然面白くなかった。だから、まさか数年後に自分がGKをやることになるなんて、まったく思っていなかったですね」

――東北学院中に入学してからもポジションはGKではなく、サッカー部も一度辞めているようですね。
「中学生のときに一度サッカーを辞めています。小学生から中学生になるとグラウンドやボールが大きくなり、グラウンドが大きくなったことで、ボランチとしてプレーするにはスタミナがより必要になった。でも僕は長距離を走るのが苦手だったし、それに加えて素走りのメニューが練習に入ってきて、全然ついていけなくなった。『これはきついな』と思い始めても何とか頑張っていましたが、体育の授業で素人にボールを奪われたことが決め手となり、『これはダメだな』と思ってサッカー部を一度辞めています」

――その後はバレー部を選んだみたいですが、なぜバレー部だったのですか。
「何でバレー部だったんですかね(笑)。ただ、バレー部に友達がいたのは間違いなくて、バレー部は部員が少ないから試合にすぐに出られると言われたり、熱心な勧誘があったと思います。バスケ部という選択肢もあったけど、バレーよりも走るじゃないですか。それなら、バレー部だなと。その時の僕は、どうしても走ることから逃げたかったんだと思います(笑)」

――ただ、その後はまたサッカー部に戻ることになりました。その時からGKとしてのトレーニングも積み始めたようですね。
「中学2年の新人戦直前に後輩の控えGKが出れなくなってしまって、サブGKがいなくなった。バレー部を経験したことで、手でボールを扱うことにも慣れていたので、ミッドフィルダー兼GKという形で登録してもらい、そこからGKの練習にたまに混ざることになった。でも、あくまでメインはボランチで、そのときもボランチの方が楽しいと思っていた」

――中学時代にはGKとして試合出場はなかったようですが、東北学院高入学と同時にGKに転向することになります。なぜ、GKとしてプレーするようになったのでしょう?
「中高一貫だったので、中3の最後の試合で負けて引退しても、すぐに高校の部活に混ざる感じでした。中3の引退からすぐにシフトしましたが、そのタイミングで高校の顧問から『身長も大きくなってきているし、GK一本でやってみないか』と声をかけてもらい、すんなり受け入れた気がします」

――フィールドプレーヤーとしての楽しさを感じていた中で、すんなりと受け入れられるものですか。
「それまでも週1回とか2週間に1回、GKの練習をしているうちに少しずつGKの面白さを感じられてきていたのは間違いありません。それと、同期のGKの存在が大きかった。同期のGKは中学のときに県の選抜に入っていて、一緒に練習をしていてもレベルの高さを感じて、すごく刺激を受けた。彼と一緒にずっとトレーニングするのは楽しいんだろうなという気持ちがあったし、切磋琢磨できる関係だったので、彼がいるならやってみようとすんなり受け入れられたと思います」

18年8月に初選出された日本代表では同年11月のベネズエラ戦で代表デビュー

試合に出られないのは辛いけど
チームのことを考えないといけない


――GKとしてプレーし始めて、面白さを初めて感じられた瞬間を覚えていますか。
「きれいに飛んで派手なセーブをしたときですね。シュートを止めた後にシューターの反応を見るのも好きだったし、味方から『ナイス!』と言ってもらえたときも嬉しかった」

――逆にGKならではの辛さもあったと思います。
「自分のミスが失点に直結するので、その瞬間は本当に辛いです。自分のシチュエーションを細かい部分まで理解できる人はフィールド上には誰もいないので、いくら『切り替えろ』と良い声掛けをしてもらえても、そういうときにはすごく孤独感がある。自分にとっては仕方のないミスだったとしても、仲間からは完全に僕のせいだと思われているかもしれない。そういうことを瞬間的に考えてしまうんですよね。試合を通して、基本的にネガティブなことが起こりやすいポジションだと思うので、それはやっぱり辛いです」

――どうしてもGKは一つのミスがフィーチャーされがちですが、そういうポジションだから仕方ないと割り切れるものですか。
「ただ、僕はその分GKは走っていないから、そういう責任を負うべきポジションなんだと考えるようにしています。多分、走ることが嫌いだから、そう思えるのかもしれませんけど。やっぱり、フィールドプレーヤーは試合中にものすごい距離を走っているじゃないですか。肉体的な疲労も相当なものがあると思う。GKは肉体的な疲労が少ない分、精神的なダメージを受ける可能性が高いポジションであるべきなんじゃないかと思うようにしています」

――失点につながるミスをしても試合は続きます。すぐに立ち直るために自分をどのようにコントロールしていますか。
「正直、最初の何回かは本当に立ち直れなかったし、試合中もどうしても引きずってしまっていた。ただ、経験を重ねることで、あまり小さいことを考えずに試合に集中できるようになったし、良い意味で細かいミスを気にしないようになり、『考えるだけ無駄だ』と思うようになった。だから、GKを始めたばかりの選手に『ミスをしたときにどうすればいいですか?』と質問されたら、『何回もミスをしてきたから言えるけど、試合中は考えない方がいいよ』とアドバイスするようになった。試合中にミスのことを考えていてはプレーにも影響がでるので、ミスをした直後の、ミスをした次のファーストプレーをしっかり成功させようと意識することが大事だと思います」

――ミスをした試合後には映像で見直したり、トレーニングで改善することもありますか。
「映像で見直して、完全に技術的なミス、キャッチングのミスだった場合は、意識してキャッチングのメニューを入れてもらうように言います。でも、例えば判断ミスだったりしたら、映像をまったく見ないこともある。技術的なミスでなければ、あえて忘れることも大事。ポジティブに考えるというか、あまり物事を深刻に考えすぎない能力もGKには必要かもしれません」

――フィールドプレーヤーとは違い、GKはポジションが一つしかない特殊なポジションです。中央大学時代には一つ上の先輩に岡西宏祐選手(現甲府)がいて、大学3年まではなかなか出場機会をつかめませんでした。モチベーションを保つ難しさもあったと思います。
「僕が恵まれていたのは、大学1年から3年まで川崎フロンターレの特別指定選手として登録してもらい、関東選抜などに選んで頂けたことです。たとえ大学で試合に出ていなくても、いろいろな人が自分を評価してくれていると感じられたので、その時は周りの人たちに助けられていたと思います。それでも試合に出られないのは辛かったけど、スタメンで出ているGKと控えのGKがバチバチしていたら、試合に出ているGKが気持ち良くプレーできないし、チームに迷惑がかかります。もし、控えのGKがスタメンのGKを引きずり落そうとしていたら、絶対にチームはうまく回らないと思う」

――GKのレギュラーは簡単には変わらず、試合に出られなければ悔しさはあると思いますが、まずはチームのことを考えなければいけない。
「控えに回ったら回ったで、チームのためにやれることをやろうと考えなければいけません。僕が今まで接してきたGKの中で、チームのことを考えないGKはいませんでした。それは日本代表であっても同じです。代表に行っても試合に出られないGKは裏方の仕事を手伝ったり、何かチームのために働こうと考えて行動しています。皆、もちろん試合に出たい思いはありますが、状況に応じて自分がすべきことをしなければいけないと思っています」

――ではGKとしてピッチに立ったとき、最も充実感を得られる試合展開、内容はどのような試合か教えて下さい。
「2パターンありますね。試合開始早々に味方が点を取ってくれて、1-0の試合展開の中で前半から2、3回のピンチをしのいで、試合終盤のピンチもしのいだ試合は自分がヒーローになれたと感じられます。もう一つは、試合終了間際に味方が点を取って、その後のピンチをしのいだ時ですね。終了間際のピンチをしのいで、そのまま勝ち切った試合ほど、僕は気持ち良さを感じます。試合の結果を良い意味でも悪い意味でも左右するポジションなので、良い意味で試合の結果を変えられたときに快感を得られるのがGKの醍醐味、魅力だと思っています」

――選手によっては、GKの守備機会がほとんどなく、チームが勝てたときが良い試合だったと感じる選手もいます。
「僕は自分がシュートストップした試合の方が充実感を得られます。守備機会がほとんどなく試合が終わったら、自分じゃなくても勝てたんじゃないかと思ってしまうのが、僕の感覚です」

19-20シーズンからシントトロイデンでプレー。初年度は20試合に出場した

GKを辞めようと思ったことはない
若い選手が目指すべきGKになりたい


――昨年7月にベガルタ仙台からシントトロイデンに完全移籍することになりました。改めて海外挑戦を決断した理由を教えて下さい。
「15年に仙台からロアッソ熊本に期限付き移籍しているとき、澤村公康GKコーチと出会いました。それまでは出場機会をなかなかつかめなかったけど、その年からJリーグの試合に出られるようになり、澤村コーチのおかげで自信をすごく深められた。練習後には頻繁にミーティングをしていたし、『今すぐにでも日本代表に入れると思うし、日本にもこんなGKがいるんだぞと海外にアピールしてほしい』と背中を押してもらっていた。その時から、いつかは海外でプレーしたい気持ちを強く持つようになり、ステップアップするチャンスが来たと思えたので海外挑戦を決断しました。今振り返ってみても、その時に澤村コーチに出会っていなければ、今の自分は絶対になかったと思います」

――シントトロイデンではデビュー戦で6失点と難しいスタートを切りました。特にコーチングの面での苦労はありませんでしたか。
「デビュー戦を0-6で落とした後は、自分のコーチングを聞いてくれている感覚がありませんでした。でも、次のホーム戦で勝利を収めたことで、徐々に状況が変わってきた印象があり、指示も聞いてもらえるようになった。指示は英語で出していますが、試合中のコーチングは限られた単語しか使いません。もう少し良い伝え方があるかもしれないけど、単語だけでも十分に意思の疎通を図れます。一番使ったのは『Behind you』という言葉ですね。『背中にいるよ』みたいな意味で。人につかせるコーチングを求められていたので、2単語だけですが『Behind you』はよく使いました」

――ベルギーでのシーズンを終え、GKとして海外で生き残るためには何が必要だと感じていますか。
「一番は結果を出すこと。しっかりと活躍してゴールを守り、チームを勝たせる能力があると理解してもらえれば全員が納得してくれるし、『こいつは良いGKだ』と思ってもらって信頼関係も深まります。2番目に大事なのはコミュニケーションの部分。やっぱり、ゴールは一人では守れないので味方との連係が大事になる。チームのピンチの芽を“事前の声”で積むことができるような能力があれば、ヨーロッパでも求められる存在になると思います」

――中学時代には一度、サッカーと距離を置きましたが、GKを辞めようと思ったことは?
「GKを辞めようと思ったことはないけど、辛いミスをした後にはサッカー自体を辞めたいと思ったことは何度かあった。でも、自分が今まで関わってきた人や、自分に対していろいろなチャンスを提供してくれた人たちのことを考えると、ここで引き下がるわけにはいかないと思える。僕自身もGKについて考える時間をとったり、いろいろなGKの映像を見て勉強したり、努力してきたけど、間違いなくいろいろな人が支えてくれたことでここまで来れたと思っています」

――多くの人の支えもあり、日本代表まで上り詰めることになりましたが、GKを続けてきて良かったと感じたときはどういうときですか。
「GKを続けていなければ、絶対に日本代表に入れなかったと思う。やっぱり、代表に入れたことは嬉しいですね。高校から本格的にGKを始めたけど、当時は日本代表になれるなんてまったく想像できなかった。高校2年の途中までは国公立の大学を受験して体育教員になると思っていたのに、それがすごく短い期間で目標がガラッと変わっていって。短い期間で人生ってこんなに変わるんだと実感した。ただ、これからもGKをやっていて良かったと感じられることが自分には待っていると思うので、そこを追い求めてやっていきたいし、日本の若いGKが自分の姿を見て、『俺もGKとして海外でやりたい」と思ってもらえるようなGKになれるように努力していきます」

――今後、新たな取り組みとしてGKのためのオンラインサロンを始めることになりますが、どのような思いを持ってスタートさせようと思いましたか。
「今シーズンの終盤はケガの影響もあって、まったく試合に絡めず、新型コロナウイルスの影響でリーグ戦が中断となり、日本代表の試合も延期となったことで、いろいろと考える時間がありました。サッカー選手がユーチューブなどで自分のスキルを紹介する動画を目にする機会も増え、自分にも何かできないかと考えたときにパッと浮かんだのがオンラインサロンでした。GKはフィールドプレーヤーとは違う悩みが多く、それを解決できるような場所があればいいと感じた。自分のSNSでGKに関しての質問を募集したところ、育成年代の選手や社会人の選手から多くの連絡が来て、自分に質問してくれる人がこんなにいるんだと再認識できたことで、オンラインサロンで少しでも役に立ちたいという思いが強くなりました」

――具体的にどういうことをやりたい、発信していきたいと考えていますか。
「まずは悩みを相談できるようなチャットが必要だと思いました。日本の育成年代のチームにはGKコーチがいないチームがたくさんあるので、気軽に質問を投げてもらい、その質問に僕が答えるだけでなく、参加してくれた人たちが議論しながら、GKの悩みをGKで解決するような場にしたい。それと、シントトロイデンにも協力してもらい、GKのトレーニング映像を配信する予定なので、育成年代の選手に練習する姿を見てもらい、自分自身のプレーの参考にしてもらえればと思います。僕自身、順風満帆なサッカー人生を送って日本代表になれたわけではありません。それでも日本代表になれるんだということを育成年代のGKに伝えたいし、この試みが日本のGKのレベルの底上げにつながっていけばと考えています」

――最後にGKとしてプレーしている若い選手たちにメッセージをお願いします。
「僕もまだまだ伸ばさないといけないと思っていますが、技術的な部分で言えばキャッチングの部分を伸ばしてほしい。キャッチングを成長させることで、どんな状況でも自信を持ってプレーできるようになると思います。すごく基礎的な部分だけど、そこは大事にしてほしい。あと、GKをやっていると本当に辛いことも多いと思うけど、辛くて悔しい経験をしても立ち止まらないでほしい。その経験が次に必ずつながっていくし、その後の努力によって報われるときは絶対に来ると思うので、反骨心を大事にして頑張ってほしいと若い選手たちに伝えたいです」

【『蒼のアインツ』とは…】
コミックDAYSで好評連載中。プロ3年目、20歳のGK・神谷蒼は、万年下位のクラブを3位に躍進させる活躍が認められて、日本代表に初選出された。その後、さらなる成長を求め、ドイツ2部のチームに海外移籍。だが、合流早々、足に大怪我を負い、出遅れてしまった上に、新監督から事実上の戦力外通告を突きつけられてしまう。蒼はドイツで輝くことができるのか――。『1/11 じゅういちぶんのいち』の中村尚儁が贈る、GKサッカーヒューマンドラマ、キックオフ!

(取材・文 折戸岳彦)

↑GKヒューマンドラマ『蒼のアインツ』第1話を読む↑

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