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【GK's Voice 7】8年間Jリーガー、出場はゼロ…クリアソン新宿・岩舘直が歩んできた道

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19年シーズン限りで浦和を退団し、ファン・サポーターにあいさつするGK岩舘直

GKヒューマンドラマ『蒼のアインツ』第1話を読む↑

 試合に一人しか出場できない。そしてピッチ上でただ一人、手でボールを扱うことが許されたポジション。それがGKだ。“孤独なポジション”で戦う彼らはどのような思い、考えを持ちながらトレーニングに打ち込み、ピッチに立っているのか――。ゲキサカではコミックDAYSで好評連載中の『蒼のアインツ』とのコラボ企画として、GKにスポットライトを当てた連載を不定期で掲載中。第7回は関東サッカーリーグに所属するクリアソン新宿でプレーするGK岩舘直に幼少時代から現在までを振り返ってもらい、GKとして生きていく術を聞いた。

GKを始めたきっかけはGKをしていた兄
GKをやることが一番貢献できると考えていた


――まず、サッカーを始めたきっかけを教えて下さい。
「僕は4人兄弟の末っ子で、兄、姉、兄がいます。兄弟全員がサッカーをやっていた影響もあり、小学生になったらサッカーを始めるという自然の流れでクラブに入りました。小学生時代はサイドバック以外のポジションでプレーして、一番面白かったのは点を取ったときの喜びを感じられるフォワードでした。走ることも嫌いではなく、ラインの裏に飛び出して点を取れたときは嬉しかったし、フォワードは楽しいと思ってプレーしていた」

――当時はGKに対して、どのような印象を持っていましたか。
「GKに対して、良いイメージを持っている人はあまり多くないと思いますが、僕は違いました。2つ上の兄がGKをやっていて、クラブの中ではうまかったし、シュートを止める姿が格好良かった。だから、GKって格好良いなという印象を持っていました」

――いつからGKとしてプレーし始めるようになったのでしょう。
「きっかけは兄との練習です。兄とめちゃくちゃ仲が良く、放課後はキャッチボールをしたりして、毎日のように遊んでいた。ただ、サッカーをやるとなると、どちらかがシュートを打ち、どちらかがシュートを止めることになります。当然、兄はしっかりGKをやってくれますが、GKをやったことがない僕は簡単にシュートを決められてしまう。兄はそれが物足りなかったようで、『こうやって飛ぶんだよ』とGKの動きを教えてくれました」

――お兄さんとの練習の中で、自然とGKスキルが身に付いていったのですね。
「クラブの中でもGKがうまい存在になっていき、背も高かったので、少しずつGKの役割が回ってくるようになりました。フィールドプレーヤーとしてプレーすることの方が多かったけど、小学6年生になるときくらいに、GKをやっていた選手がフィールドプレーヤーになり、『誰がGKをやる?』という話になった。それで、僕に話が回ってきたのですが、自分としても『フィールドプレーヤーとして、大してうまい方ではない』と感じていたし、ポジションに特にこだわりもなかったので、『GKをやることで、自分がチームの役に立てるのなら』と思い、小学6年生からGKとしてプレーするようになりました」

――GKとしてプレーし始めた頃、どのような部分にやりがいを感じていましたか。
「小学生の頃は単純にPKを止めて、周りから褒められたときです。小さい大会のPK戦で2本くらい止めて勝ったことがありました。僕はチームで目立つタイプではなかったけど、PKをストップして『ナイスキーパー!!』と感謝されたことで、チームに貢献できたと感じられたのが嬉しかったです」

――学生の頃にどのような将来像を描き、どのような目標を持っていたのでしょう。
「正直、あまり先のことは見えていなかった。中学生の頃は弱いチームだったので、GKをやることがチームに一番貢献できると考えてGKをやっていましたが、区の選抜に入れても市の選抜に入れず、ようやく市の選抜に入っても県の選抜までは入れないようなGKでした。出身地の横浜にはクラブチームがたくさんあり、そこにはうまいGKが何人もいたので、中体連の横浜市選抜くらいで足踏みしている僕が、絶対にプロになんてなれないだろうと感じていた。だから、今、所属しているチームでどれだけ一生懸命、どれだけ楽しくやれるかを自分の中でテーマに、最大の目標にしてサッカーを続けていました」

――それは、高校に入っても変わりませんでしたか。
「高校のときも高体連の県選抜より上に行けなかったので、ここが限界だろうと感じていた。高校3年間、いかに熱い青春を過ごせるかというのが目標だったし、高校を卒業したら就職しようと考えていました。ただ、高校2年の最後に、高校OBでマリノスのジュニアユースのGKコーチをしている方が違う選手を見る目的で、僕が出場する試合を見に来ていたんです。その時に僕のプレーも見てくれて、『プロに行ける可能性が残っている』『まだ、諦めるな。頑張ろう』と言ってくれたので、高校3年生の1年間は本気でプロを目指そうという思いになり、必死にトレーニングをしたのを覚えています」

――Jリーグ入りを目指していましたが、07年に旭高校からJFLのアルテ高崎に加入することになります。
「何とかJリーグのクラブにと思っていましたが、スカウトの方に見に来てもらった試合で良いパフォーマンスを見せられず、高校の先生の伝手でベガルタ仙台の練習に参加させてもらったけど、『この人たちは全然レベルが違う』という感覚になり、自分的にも『まだまだプロは早いんだ』と感じるようになりました。高校の先輩がいたアルテ高崎に練習参加し、加入させてもらえる話になったのですが、就職しようにも自分には何かやりたいこともなかったので、そこでサッカーをさせてもらいながら将来のことを考えていこうという部分も多少あったと思います」

――アルバイトをしながらアルテ高崎でプレーし、JFLの試合にも出場できるようになりますが、11年限りでチームが解散することになりました。
「僕はまだ大卒くらいの年齢で若い方でしたが、自分より年齢が上の人たちは、この先どうするのだろうと思ったし、サッカーを続けられても“先”はもろいんだなとすごく感じたのを覚えています。サッカーを辞める選択をした選手もたくさんいたし、僕もバイト先の居酒屋でウチの社員になるかと誘われました。仕事は嫌いではなかったし、『そういう選択肢を与えてもらえるなら』という気持ちもあったので、『このタイミングでプロになれなかったら本当に終わりだな』という思いで、最後にセレクションを受けに行きました」

セレクションを経て、12年に水戸に加入。目標だったJリーガーとなった

ピッチに立てない人間にできることは限られているけど
できることがあるのなら、やらなければいけない


――結果的に12年から水戸に加入し、目標だったJリーガーになります。
「『本当にプロになれるのか』と半信半疑でサッカーを続けていましたが、アルテ高崎で成長し、水戸の練習に1か月くらい参加してからの契約だったので、それなりにやれる自信もついていました。でも、初めてサッカーで生活できる環境となり、本当に嬉しかったし、ありがたかった」

――ただ、水戸では公式戦の出場がなく、2年半後の14年シーズン途中に浦和に期限付き移籍することになります。出場機会がない中、浦和に移籍することに戸惑いはありませんでしたか。
「戸惑いしかなかったですね(笑)。最初、移籍の話を言われたときも『何で俺?』という思いしかなかった。水戸でベンチに入っていたのは同い年の笠原昂史(現大宮)だったので、『呼ばれるのは笠原じゃないですか?』という話もしましたが、『お前なんだ』と言われ、『行けるなら行きたい』と伝えました。クラブからも『半年間のレンタルだから、浦和のビッグクラブたる所以を色々と学んで還元してほしい。そういう意味も含めてお前に行ってほしい』と言われたように、本当に半年間で終わりだろうなという思いでレッズに行きました」

――しかし、半年後の15年には期限付き移籍が延長され、1年後の16年には浦和に完全移籍を果たします。ただ、公式戦での出場機会をなかなかつかめませんでした。
「水戸にいたときもそうだし、レッズに初めて行ったときも、『自分がこのピッチに立つのは早い』『実力が全然足りていない』と感じながらトレーニングをしていたので、試合に出られないのは当たり前だと思っていた。でも、2年、3年とレッズにいさせてもらえるようになり、ようやくトレーニングもまともにできるようになってから、『今の自分だったら…』『もしかしたら、このピッチで…』と思えるようになり、そこからは『試合に出たい』という思いが強くなっていきました」

――水戸に戻ることや他クラブへの移籍を考えたことはありませんでしたか。
「水戸に戻る選択肢があったのも、最初の1、2年だけだったし、レッズでまだまだ学ぶべきことがあると思っていた。中途半端な実力で他クラブに移っても、ポジションを守り続けられる絶対的なものがないと感じ、それならレッズで成長しようと残る選択をしたこともあります」

――第3GKとしての期間が長く、出場機会を得られなければ、気持ちが折れても仕方ないと思います。自分を支えていたものは何だったと思いますか。
「練習をしていく中で、自分が成長している実感があったのは良かったことです。あと、普段は一緒にトレーニングをすることが多いセカンドの選手がカップ戦に出場したり、アクシデントが起きて試合に出て活躍する姿を見ると、『自分たちがここでやっていることは間違いじゃない』『日々の積み重ねが、ピッチに立ったときにちゃんと表現されるんだ』と思えたことも大きかった。それと、18年には当時4番手とされていた福島春樹が、第2GKの榎本哲也さんと第3GKの僕が怪我をしたことで、試合に出場したこともあります。そういうことも起こるので、あとはチャンスをつかめるか、つかめないか。そのチャンスは必ず来るし、そのチャンスをつかんだら大きく化けるはずだと考えていました」

――第3GKという立場で、どのようにチームに貢献しようとしていましたか。
「そもそも、自分みたいな選手がレッズに在籍するというのは、めちゃくちゃレアなパターンだと思っています。試合に出ていないし、結果も出せていないし、若くもないですから。でも、そういう選手が一生懸命に頑張る姿を見せるというのは、すごく根本的なことだけど大事だと思った。毎日毎日、努力する姿を示し続け、『あいつがやっているんだから、俺もやらないといけない』と思ってもらえれば良かったし、フィールドプレーヤーのシュート練習に最後まで付き合い、良い状態で試合に臨んでほしかった。あと、下手くそだった自分が成長していく姿を見せることは、自分で言うのはおこがましいけど、良い影響もあったかなと思っています」

――在籍期間が長くなり、選手会長も務めることで貢献できることも増えていったと思います。
「年を重ねるごとに、若い選手に声掛けをすることも増えました。ユースから昇格した選手や高卒、大卒の若い選手はメンタルの波が激しかったり、これまで試合に出るのが当たり前の環境からメンバー外になって不貞腐れ、準備を怠ったりしてしまう選手もいた。自分みたいに年齢が上の選手がしっかり準備する姿を見せることで、そういう取り組みが大事だと思ってもらえれば良かったし、シンプルに声を掛けて『今、腐ったら、そのままだけど、続ければ絶対にうまくいく』という話をしながら、メンバー外の選手たちのメンタリティーをコーチと一緒に高めていくことも意識した。メンバー外の練習の雰囲気が良いと、試合に出ている選手もすごく刺激を受けると思うので、雰囲気づくりは心掛けていました」

――チームが少しでも良い方向に向かうように細かい部分まで気配りをしていたのですね。
「それが、自分のできることでした。ピッチに立てない人間にできることは限られているし、それしかできないかもしれないけど、できることがあるのならば、やらなければいけない。僕はそう思います」

――16年ルヴァンカップ、17年ACL、18年天皇杯と、在籍中に浦和は多くのタイトルを獲得します。レギュラーをつかみ切れなかった選手の中には、悔しさも感じるという選手もいますが、率直な気持ちはいかがでしたか。
「ただ、ただ、嬉しいだけでした。ACL優勝はすごく興奮したし、ミシャ(ペトロヴィッチ監督)にとってレッズで最初のタイトルとなったルヴァンカップ優勝のときは、『やっと、レッズのすごい選手たちの頑張りや努力が結果としてついてきたんだ』と本当に嬉しくなった。自分がまったく試合に出られない若干の寂しさは感じたかもしれないけど、自分とシュート練習をずっとやってきた選手が優勝を決定させるゴールを決めたりすると、『あの形はめちゃくちゃ練習したもんな』『あいつのシュートを何回受けたか分からないよ』という思いが出てきて、自分のことのように嬉しくなりました。GKは西川周作さんが試合に出ていましたが、GKは一つのチームだと僕は思っています。その代表として試合に出ている西川さんが活躍してタイトルを獲得することは、GKというチームの結果でもあると感じているので、シンプルに喜びでしかなかった」

20年からクリアソン新宿でプレー。今季の関東リーグでは9試合に出場した

僕はある意味、持っている選手だったかもしれないし
持っていない選手だったのだろうと感じる


――浦和に5年半在籍できた理由をご自身ではどのように考えていますか。
「プレーヤーとして成長してきたことは前提としてあると思いますが、その中で自分が3番手、4番手でいたときにチームに対して何か貢献できることはないかを、常に考えて行動できたからかなと自分では思います。プロサッカーチームの中で3番手、4番手のGKは、能力的に最低限のところをクリアしていれば誰でもいい、若い選手を入れればいいと思われる方もいるかもしれません。でも、自分はそうなってしまうのが嫌だった。『3番手に岩舘がいるからGKチームの雰囲気は良い』『岩舘が若手のサポートもしてくれるからチームの雰囲気が良くなる』となるように行動していた部分もあるので、それが評価された結果なのかなと自分では思っています。本当かどうかは分かりませんけどね(笑)」

――昨年、浦和から戦力外通告を受けることになりました。心境的にはいかがでしたか。
「正直、ついに来たかと…。19年にユースから石井僚がトップチームに昇格してきて、2つ下には鈴木彩艶がいます。将来有望な若手GKが出てきたことで、自分も瀬戸際かなという予感もあったので…。8年間のJリーガーとしての生活を振り返ると、本当に自分と向き合う時間を作れたと思う。今後、サッカー選手じゃなくなったとしても、この8年間の過ごし方が、僕の人間としてのあり方やベースになっていくのだろうと思っています」

――公式戦に1試合でも出場したかった思いもあると思います。
「もちろん、水戸や浦和で公式戦に出場したかった思いはあります。8年も試合に出ていないのにクビにならず、8年もいたのに1試合も出られなかったですから。どうなんでしょうね…。僕はある意味、持っている選手だったかもしれないし、持っていない選手だったのだろうなと感じます」

――今季から、関東サッカーリーグに所属するクリアソン新宿に加入しました。どのような生活を送っているのでしょう。
「サッカー選手をやりながら社会人としての生活を送っています。クラブの『パートナー』として活動いただく企業とのやり取りを担う営業の仕事、あとはチームのホームタウン活動に取り組むなど、地域との関係づくりを主にやっています。営業の経験がなく、新型コロナウイルスの影響があって、右も左も分からないまま在宅ワークに入ったので、まだまだのところが多いですが、ようやく少しずつオフィスに行く機会が増え、いろいろと教えて頂く時間も増えてきました。仕事をしながら、水木の夜と土日の週4日はサッカーの練習をしています」

――今季の関東サッカーリーグは新型コロナウイルスの影響もあり、後期しか開催されませんでしたが、全9試合でフル出場を果たしました。公式戦のピッチに立つことで、改めて感じたこともあると思います。
「練習での何気ない1本のセービングや自分のプレーが、公式戦になるとものすごく価値のあるものに変わります。チームの危機を救うだけでなく、勝敗に大きく関わる一つのプレーとなりますが、それはゲームに出るから感じられることだと思う。あと、8年間積み上げてきた、水戸や浦和で得たものを表現でき、今までしてきたことが間違いではないと証明できるのは嬉しいし、カテゴリーがどこであろうとピッチ上でチームに貢献できる喜びを感じています」

――試合に出なければ得られないものもありましたか。
「緊張感や緊迫感のある中でプレーする難しさがあり、そのプレッシャーをはねのけて成功したときの喜びは、練習で感じるものの何倍も大きなものであり、ガチンコ勝負の中だからこそ得られる仲間との絆というのも公式戦を経験することで感じています。あと、『負けたくない』『負けちゃいけない』と思うのなら、自分が良いプレーをしなければいけないということです。GKである自分がやられなければ、チームの負けはありません。自分次第で結果を導けると思えるようになったことで、よりサッカーが楽しくなったというのはあります。やはり、一味違うものがゲームの中にはあると感じます」

――今後、どのようなGKになっていきたいか理想像を教えて下さい。
「チームを勝たせられるGKになれるのが理想です。自分がピッチ上で活躍する、しないではなく、結果としてチームに勝利をもたらせられるように行動できるGKが、自分の目指すところだと思います。個人的な目標で言えば、チームがいつかJ3、J2に上がっていき、その場で自分がJリーグデビューを果たすことです。8年間出場できなかったけど、またJリーグに戻り、そこで試合に出られたら面白くないですか。それが実現できたら最高だなと思っています」

――最後にGKとしてプレーする若い選手にメッセージをお願いします。
「僕が頂いた言葉ですごく印象に残っているのが、『GKは1人しか試合に出られないけど、チームにいるGK全員が幸せになってほしい』という言葉です。『幸せというのは、人それぞれの価値観で決まり、試合に出られないから『もうダメだ』ではなく、自分なりの価値観を持ってプレーできるか。そうすれば、試合に出ることがすべてではなく、『サッカーをやっていて良かった』『このチームにいて良かった』と思える時間を過ごせるんじゃないか』とコーチに言われたことがあります。その言葉が自分にしっくりきました。もちろん、若い選手には試合に出たいという気持ちがあると思いますが、そう考えることで、よりサッカーが楽しくなり、打ち込めるようになると思うので、自分なりの価値観を持って日々を過ごしてほしいと思います」

現在はサッカー選手と両立しながら社会人としての生活も送り、営業などの仕事をこなしている


【『蒼のアインツ』とは…】
コミックDAYSで好評連載中。プロ3年目、20歳のGK・神谷蒼は、万年下位のクラブを3位に躍進させる活躍が認められて、日本代表に初選出された。その後、さらなる成長を求め、ドイツ2部のチームに海外移籍。だが、合流早々、足に大怪我を負い、出遅れてしまった上に、新監督から事実上の戦力外通告を突きつけられてしまう。蒼はドイツで輝くことができるのか――。『1/11 じゅういちぶんのいち』の中村尚儁が贈る、GKサッカーヒューマンドラマ、キックオフ!


(取材・文 折戸岳彦)

↑GKヒューマンドラマ『蒼のアインツ』第1話を読む↑

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