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都リーグから3年生FWがJ入り内定!山梨学院大の強化を専修大4連覇時の“実質監督”が進める

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町田入りを決めたFW平河悠(左)と山梨学院大の岩渕弘幹監督

 新型コロナウイルス蔓延が今夏の大学サッカー界にも大きな影響を及ぼしている。総理大臣杯が2年ぶりに開催されたが、福岡大が部員に感染者が出た影響で出場を辞退。繰り上がり出場となった流通経済大も辞退を強いられるなど、大会が始まっても混乱が続いた。

 そんな中で話題を集めたのが、実質3部リーグ、東京都1部リーグに所属する山梨学院大の快進撃だった。まずは総理大臣杯の関東地区予選となるアミノバイタルカップに出場すると、1回戦で関東1部の桐蔭横浜大を3-2で撃破。続く2回戦では昨冬の特例全国大会アタリマエニカップを優勝した東海大をPK戦の末に破ると、3回戦で日本大に勝利し、本戦出場権を獲得。

 そして初出場となった総理大臣杯では1回戦で全国大会の常連校・びわこ成蹊スポーツ大(関西4)を破ると、続く2回戦の福山大(中国2)戦には5-1で大勝。3回戦ではアミノバイタルカップを優勝した産業能率大に3-2で競り勝ち、全国大会ベスト4の好成績を残した。「よくやったと思います」。延長戦で惜しくも敗れた準決勝の東洋大戦後だったが、就任3年目の岩渕弘幹監督(55)はそう言って微笑んだ。

 岩渕氏は現役時代、川崎フロンターレの前身である富士通サッカー部でプレー。引退後は川崎フロンターレのコーチなどを歴任し、2004年からは専修大のコーチに就任。監督は源平貴久氏だったが、練習など選手への指導は当時、岩渕氏に一任されており、“実質監督”として任務にあたっていた。FW仲川輝人(横浜FM)やMF長澤和輝(名古屋)が在学した2011年から14年までは前人未到の関東大学リーグ4連覇を経験。黄金期を築き上げた。

 順風満帆に思えた日々。岩渕氏も当時の仕事に不満はなかったという。岩手県の遠野高から富士通サッカー部に入団。“監督”に興味はあったが、OBが務めることが多い世界、大卒でない自分を迎え入れてくれるチームはないと考えていたからだ。だがそんな岩渕氏に2018年末、あるオファーが舞い込んだ。「とにかくチームを上まで連れて行ってもらえないか」。チームを関東リーグの強豪に引き上げてほしいという山梨学院大からの依頼だった。

 当時の山梨学院大は強化の途上にいたが、同年の関東2部昇格決定戦では、決勝の日本大戦でラストプレーで同点に追い付かれ、さらにPK戦で敗戦。あと一歩というところで殻を破り切れずにいた。そんなチームの起爆剤として、岩渕氏に白羽の矢が立てられたというわけだ。

「それまで新しいことがしたいとか思ったことはなかったんですけど、たまたま人生の転機だったのか、この先どうするかなと考えていた時期でした。最初はお断りしていたんですけど、流経大の中野(雄二)さんの顔と、東京国際大の前田(秀樹)さんの顔が浮かびました。この2人は大学の弱いチームをガッと上に持ってきた。こういうことをやってみたいとふと思ったことがきっかけになりました」

 新たなプロジェクトへの参加は、思っていたよりも自身を奮い立たせてくれたという。専修大時代は仲川や長澤、下田北斗(大分)、町田也真人(大分)、北爪健吾(柏)といった実力者を指導していたが、下部リーグを指導する立場になっても、選手に求めるレベルは変えずにいる。「当時からやっている攻撃サッカーを築きたい。それで頂点に持っていきたいというのが僕に課せられているところだと思う。今はスタッフ7人いますから、協力しあって、攻撃的な常勝軍団を作ることを共有してきいたいと思います」。

 附属の山梨学院高は一昨年のインターハイ、そして今年1月に行われた高校選手権を優勝するなど、力を付けてきている。ただ「高校からすると日本一のチームが都リーグの附属大学を選ぶかというとなかなか難しいと思う」と直接的な強化に繋がっていない現実も理解している。それでも高校選手権優勝メンバーのDF一瀬大寿が入学。1年生で不動のレギュラーポジションを掴んでいる。

 さらに大会後には左サイドからの切れ味鋭いドリブルで強い印象を残していたFW平河悠(3年=佐賀東高)が23シーズンのFC町田ゼルビアへの入団を内定させた。強豪校への階段を一歩ずつ上っている。

 ただ「とにかくチームを上まで連れて行ってほしい」という最大の任務を遂行出来ていない。「アミノバイタル杯から力の差は歴然としていた。全部劣勢の試合を戦ってきた選手を褒めたいが、都リーグの戦いに向けたいい経験になったと言えるように頑張らせないといけない」。山梨学院大が大学サッカー界で存在感をみせていくのは、まだまだこれからだ。

(取材・文 児玉幸洋)
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