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まさかのカタールW杯落選「あの感情は一生忘れない」審判員勇退の佐藤隆治氏が後進育成の道へ

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JFA審判マネジャーの佐藤隆治

 日本サッカー協会(JFA)は27日、千葉市内で2023年の第1回レフェリーブリーフィングを行い、昨季限りでJリーグ担当審判員・国際主審から勇退した佐藤隆治氏も出席した。今季からは現場を離れ、JFA審判マネジャーとしてビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)の指導を担当。終了後には報道陣の取材に応じ、今後の決意を表明した。

 愛知県出身の佐藤氏は2004年、1級審判員に登録。09年から国際主審、プロフェッショナルレフェリーとなった。昨年までにJ1リーグ通算276試合を担当。リオデジャネイロ五輪やクラブW杯、アジア各種大会など国際試合を含めれば、500試合をゆうに上回る数の公式戦で笛を吹いてきた。

 ラストイヤーとなった昨年は甲府対広島の天皇杯決勝、京都対熊本のJ1参入プレーオフ決定戦などビッグマッチを複数担当。18年に続いて自身2度目のJリーグ最優秀主審賞に輝き、名実ともにトップレフェリーと言える立場のまま身を引く決断をした。

 この日、取材に応じた佐藤氏は「なんで辞めたのとか、いつ決めたのとかは誰にも言わず墓場まで持っていきます」と決断の背景については多くを語らなかった。

 それでも「シーズンが終わってから決めたわけではなく、シーズンがあるタイミングですでに決めていた」と明かした佐藤氏。「昇格プレーオフという最も重い試合が入ってきていたので、ちゃんとやり切りたい」との思いから勇退発表がシーズン後になったのだという。

 Jリーグ最優秀主審賞を受け取った表彰式(Jリーグアウォーズ)の壇上では、2022年のシーズンを振り返りつつ、「個人的には辛いことや、胸を抉られるようなことも正直あった」と悲痛な心境も吐露していた佐藤氏。その悔恨はやはり、カタールW杯のピッチに立つことができなかったことだった。

 まさかの落選の一報が届いたのは昨年5月。国際サッカー連盟(FIFA)から発表された情報に基づく報道を通じて知った。リストを確認すると、日本から選ばれたのは史上初の女性審判員の一人に名を連ねた山下良美氏のみ。4年前のロシアW杯はリスト入りしながらも第4審の担当だけに終わった佐藤氏だったが、今度は現地に入ることさえできないことがわかった。

 アジア圏の担当審判員リストを見れば、佐藤氏よりも経験が少ないレフェリーもズラリ。実力だけで選ばれたものでないことは誰の目にも明らかだった。

「リストを見て、なるほどねと思った。W杯というのはロシアの時もそう思ったけど、いろんなものが複雑に噛み合ってセレクトされている。どの試合を吹くか、何試合を吹くかというのもいろんなものがあるし、それはロシアの時も身をもって体験してきたこと。それはそれで素直に受け入れた」

 とはいえ、W杯は4年間ずっと目指し続けてきた場所。「当然、穏やかでは無かったし、あのリストを見た時の気持ち、自分は11月にカタールの地に立つことはできないんだって知った時の感情、感覚はたぶん一生忘れないと思う」と筆舌に尽くし難い悔しさはあった。

 それでもなお、FIFAからの決定を真摯に受け止めた。

「振り返った時にたとえば誰々がサポートしてくれなかったとか、あの試合がこうだったというのは正直ない。コロナ禍というとんでもない事態になって、日本政府としてもそうだし、JFAとしてもそうだし、なかなか海外で笛を吹くのにいろんなリスクがあった中、どうしてもW杯に行きたいという僕をJFAはフルサポートしてくれた。そして僕もそれに向かってやってきた」

「細かいことを言えばあの判定がというのはあるけど、自分がこうだということはやってきた自負がある。みんなにもそうやってサポートしてもらった。その中で選ばれなかった落とし所は、力がなかったということと、縁がなかったのかなと」

 そこからの使命はまず、昨季のJリーグ担当を務め上げることだったという。

「最後の試合まできっちりやり切りたい。それが僕のモチベーションだった。W杯は大きな目標だったのでトレーニングなどいろんなつらいことがあっても、支えてもらえるものがあった。5月にそれがなくなった時、シーズンを最後まできちっとやり切るところがモチベーションだった」

 Jリーグ最優秀主審賞は悲痛な経験を乗り越え、その先の活躍が評価されての栄誉だった。佐藤氏は「その結果ああやってアウォーズで賞をいただけたことが嬉しかったし、悪いことばかりではなかったなという思いです」と晴れやかな表情で振り返った。

 カタールW杯落選の悔しさは、次世代の育成を通じてなんとか晴らしていくつもりだ。

 カタールW杯審判員のレフェリングを見ても、日本人審判員のレベルが低くないことは明らか。それでも2014年ブラジル大会の西村雄一主審を最後に誰もW杯の主審担当がないという現実を覆していくためには、引き続き現場の審判員が自己研鑽に励むことはもちろんだが、日本の審判員のプレゼンスをこれまで以上に高めていくことが不可欠になる。

「(W杯落選は)アジアの中での序列であったり、中東のレフェリーが上手くなってきたのも事実。それは競争だと思うし、日本も当然あぐらをかいているわけにはいけない。今回の結果を次に活かさないといけない。美味しい思いもしたけど、つらい思いもしてきた。次の世代や、次の次の世代が世界で戦う姿を僕も見たいし、できることは小さいかもしれないけど、生の声を伝えてやれることがあればやっていきたいです」(佐藤氏)

 また佐藤氏は勇退を決断して臨んだJリーグアウォーズで「この賞に甘んずることなく、高い目標を持ってチャレンジしたいと思います」と決意も語っていた。その目線の先には国内ラストマッチとなるJ1参入プレーオフがあったのは間違いないが、今後のキャリアへの覚悟も込めていたのだという。

「これからは今までと違ったチャレンジで、本当にチャレンジだと思う。さっき荒木(友輔主審)が自分は身体が動くほうだと言っていたけど、僕はいま45でもまだまだ動くし、彼らに負けるつもりはない。それでも区切りをつけるという決断を自分がした。いま歩き出しているし、後悔はしたくない」

 トップレフェリーとしての地位も、十分に現役審判員を続けられるコンディションもある中での勇退。その決意を新たなキャリアに全てぶつけていく構えだ。「あの時に辞めなければ、あの時に戻ればとは思いたくない。そこはチャレンジ。自分で決断したことなので、その責任を持って、きちっと振り向かずに前を向いてやっていきたい」

(取材・文 竹内達也)
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