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【動画】“怪物CB”はどのように育ったのか――チェイス・アンリと尚志高・仲村浩二監督が師弟対談

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 U-21日本代表CBチェイス・アンリが、ブンデスリーガ1部・シュツットガルトへの加入を決断した。中学時代は無名の存在も、尚志高(福島)で努力を重ねて大ブレイク。尚志の仲村浩二監督はバルセロナ五輪予選日本代表の名プレーヤーで、指導者としてもFW染野唯月(鹿島)ら好選手を育て、チームを2度の選手権3位へ導いている。アンリの進化、誰もが予想しなかった欧州移籍に欠かせなかった人物だ。

 仲村監督はアンリのことを「日本の宝」と評し、時に厳しく接しながらピッチ内外で大事に、大事に育ててきた。アンリも「第2の親」と絶大な信頼を寄せる恩師と、アンリによる対談が実現。仲村監督も「知らなかったです」というアンリの苦しみもあった中、“怪物CB”はどのように育ったのか――。特別な絆で結ばれた2人がアンリの高校3年間と、これからなどについて、語り合った。

1回だけカミナリを落としたことがあった



―“日本の宝”と言えるアンリ君との3年間を終えて、今どのような思いでしょうか?
仲村「僕がアンリを育てたというつもりはあまりなくて、一緒に成長するために頑張ったというだけです。でも、今思えば、1年生で入って来た時に、今のアンリがあることはまるっきり想像していなかったので。確かにヘディング強いし、身体も大きかったけれど、ここまでの選手になるっていうのは全然想像できていなかったけれど、僕らの期待を遥かに越えて、自分で努力したアンリのことをちょっと尊敬しますね」
アンリ「自分、本当に監督とかに何回も怒られてきて、本当に、何回も怒られてきて、苦しい時もあったんですけれども、言われたことを練習とかでしっかりとして、そのお陰で自分も上手くなったので本当に感謝しています」

―アンリ君は、色々なインタビューで仲村先生だったから、尚志高校だったらから今があると話しています。改めて、仲村先生はどんな存在でしたか?
アンリ「本当にお父さんみたいな感じで、本当に自分のことを見捨てないで、自分のことを最後まで見てくれて、自分が代表とか呼ばれたとしても、本当に何回も怒ったりしてくれて、まだまだ色々なことを教えてくれたり、そこは本当に感謝しています」

―仲村先生にとっても、感慨深いところもあるかと。
仲村「最初、(20年2月に初めて)U-17日本代表に選ばれて『アンリ、呼ばれたぞ』と言ったらもっと喜ぶのかなと思ったら、意外とビビっていて。『えっ、えっ』みたいなことを言っていて。(合宿を視察していた現U-16日本代表監督の)森山(佳郎)さんに聞いたら『帰りたい』『帰りたい』と言っていたらしくて、『代表で一番下手くそでここにいるべきじゃない』『帰りたい』と。でも、合宿最終日の試合でヘディングシュートを決めた後に『もっともっと成長したい』と言って合宿を終えてからの、そこのスイッチからの取り組み方は、プロ選手以上の取り組み方をしたんじゃないかなと思います。自分の怪我との取り組みもあったし、怪我でイライラしながらもキックもっと上手くならないといけないとか、体幹強くならないといけないとか、怪我のところを治さないといけないとか、僕らもチェックしましたけれども、チェックしなくても良いくらいに100%こなしていたというところが今のこのアンリの身体つきになったんじゃないかと思います」


―1年生、2年生、3年生と言葉がけをされることは変わったんじゃないかと思います、どのような言葉を意識されたのですか?
仲村「そうですね、2年生の時はグロインペイン(症候群)から治って、僕らも選手権もあるんでCBだけでなくて、FWもちょっとやってもらったりしていました。僕は、アンリはディフェンスだけの選手ではないって今でも思っていて、もちろんチャンスがあればボランチをやることもできるようにしたかった。ボランチの練習では1タッチしか使っちゃダメとか、制限を掛けながらやったりしました。FWでも点を獲れる。点を獲る才能は高いと思うんですね、教えてもできないじゃないですか、天性のものというのは。将来的に色々なところで活躍できるんじゃないかと思っていて、色々なことを教えて来ました。けれども、2年生の時に1回だけ僕がカミナリを落としたことがあって、グラウンド抜け出そうとした時に『ここで抜け出したらサッカー選手としてオマエ、絶対に教えない』、と言って。でも、そこでちゃんと戻ってきました。次の日、選手権予選のベスト8だったんですよね。で、Jヴィレッジに泊まって、食事の時に『監督、ちょっと僕、話があるんです』って何言うんだ急にと思ってびっくりしていたら、『オレは……、すみません。ごめんなさい』『ちゃんとやります』と言って3年生に謝って、なぜか3年生が拍手しているという良く分からない食事の時間になったんですけれども。そういうのを言えるというのがまた凄いなと思いました。あそこからアンリが本当にどんどんやるようになった。あとは代表の活動がたまたま千葉で、僕の実家も千葉なんで泊まるところもあったし、見に行くことが多かったんですけれども、その時には『今日はここができた』『ここができなかった』というのをちゃんとメモしてチェックして、その都度アンリに全部練習の時に言って、『あの場面こうだったんじゃないの?』『どうだった?』という話をしながら、チェックをしていた分、次の代表に行きやすかったかなというのはちょっとあります」

―アンリ君はカミナリ落とされたことは覚えていますか?
アンリ「覚えています。一生覚えています。あれは一生忘れたらいけないです。あれはオレが悪かったです」

―なぜ抜け出そうとした?
アンリ「試合中、先輩と揉めちゃって、ボール持っていないのにずっとイジられちゃっていて、『帰れよ』みたいなことを言われて、イラッときちゃってもう限界で帰りました。すぐに謝りました。オレが悪かったです」

―その経験はあとに繋がった?
アンリ「これから自分、上でやるために、色々な人に試合中言われるし、そういうところは慣れないといけないし、そういうのから逃げちゃダメというのは学びました」

―代表へ行くたびに仲村先生からアドバイスをもらった。
アンリ「結構メッセージとか、アドバイスをくれて、そのあと自分も自分の試合を見て、その場面を探して、やっぱりそうだってなって次の代表で直せるようにしていました」

チャンスをものするための準備をすべてしてきた



―アンリ君の成長力は最近の高校生にはないくらいでした。その成長力の要因は?
仲村「何が?全て」

―尚志さんだったからの取り組みがあったかと思います。
仲村「ウチが規則とかがそんなにない学校なので、やるやつはやる、やらないやつはやらないで済んじゃうんですけれども、アンリはとにかく自分が一番下手だと自分でずっと言っていて、キックとかも壁に何度も何度も蹴っているのを見ていましたし、あとはウェートもキチンとコーチと話しながら、あと細かいところは(コーチの)小室(雅弘)さんと話をして修正してもらっているけれど、グラウンドとその外でメリハリがありましたね。やる時はやる、休む時は休む。でも一番にサッカーを考えているというのは分かったので、そこの努力は一番だったと思います」

―尚志さんの育成方針ともマッチしたと思います。
仲村「本当に染野(唯月、現鹿島)もそうだったんですけれども、型にハメないから、自分でやらなければいけないっていう。僕もそうだったんですけれども、自分が代表に入っていた時に、オレがやらないとチームが勝てないっていう風に高校時代思っていました。当時、自分がいっぱい努力しないとチームが負けちゃうと思っていたので、それはアンリにも伝えていました。上に行くほど責任も変わってくるから、染野にも『オマエが点獲らないと、ウチのチームは勝てなくなるよ』と言っていましたけれど、アンリは本当に代表に行ってその都度、ステップアップした。自分が上手くなれば周りはもっと付いて来るというのは表現してくれました」

―周りのサポートに恵まれたと感じる。
仲村「運も味方したけれど、アンリのキャラも良かった。さっきも(U-19日本代表監督の)冨樫(剛一)さんと話したんですけれども、1トレーニングごとにアンリが突然冨樫さんのところに走ってきて『このトレーニングでやっと自分ができなかったことが分かりました!』と言ってきたと。1トレーニング、1トレーニングごとにアンリがちゃんと冨樫さんのところへ行って、話をして『やっと意味が分かりました』と。そう言われると、冨樫さんもやっぱり『ここがこうだ』と教えたくなると。そのように、アンリが素直に聞きに行けるとか、その姿勢があるから、みんながどんどん成長させたくなるんだと思う。僕らもそうですけれども、アンリが何を思っているのかなと考えながら小室さんと話をしたり。ただ、FWの時はちょっと嫌なこともあったのかなと思うんですけれども、それも成長だからと言って敢えてやっていました」

―アンリ君は聞きに行くことを嫌だなと思わずに行ける才能がある。
アンリ「チャンスは1回しかないので、そういうところで行かないと絶対に後悔しちゃうし、自分が帰った後、こういうこと聞けば良かったなとなっちゃう。それだったら、指導者とか一番上の人を見てきているので聞けば、絶対に分かるし、そういう聞きに行くところは大事にしていましたね」

―アンリ君は自分の努力をどう評価している?
アンリ「本当に自分、朝練とか起きて、川崎フロンターレのパス(練習)とか色々な人とやっていて、そのお陰で自分も止めて・蹴るや、判断の速さが良くなったと思います。以前は、色々先輩とかに陰口とかも多分言われていたし、同級生にも色々なことを言われていたし、それが悔しすぎて。(彼らが)言っていることは合っているんですけれども、やっぱり直さないといけない、サッカーで見返してやろうと思ってやり始めました」

―尚志の学年で1番、チームで1番、そして世代を代表する選手になりました。
仲村「最初、ウチの梅津(知巳)コーチがプリンスリーグで使い始めて、でもオレは『無理するな』、と梅津に言ったんですよね。当時のアンリは、できないことがまだ多いので、『無理しなくて良いよ』と言ったんですけれども、梅津が『早くコイツは使わないとダメだ』と言って、使い始めて。たまたま1年の時に僕らファーストチームがプレミアリーグに出ていて、アンリがチャンスをもらってセカンドチームでほとんど出たよね」
アンリ「ほとんど出ました」
仲村「ほとんど出ていて、アンリのミスで負けることもあったり」
アンリ「(苦笑)」
仲村「アンリの突然のオーバーラップで仙台育英に勝っちゃったりとか、へんちくりんなヒールキックでアシストした時があったりとか、でも最終戦で退場したんだっけ」
アンリ「退場したし、自分の判断ミスで、余裕で失点しちゃうし……」
仲村「そういうのがあったんですけれども、梅津コーチが『育てる』って言って、キチンとしてくれて、僕も最後の方は『どんどん出して』と言ったんですけれども、安定したから。最初からそれをやり続けた梅津コーチがまず凄いなと思っていて、その後は怪我との戦いだったんですけれども、そこは僕も相当チェックしながら今やれることは何か、今やれることは何か、っていうのを(トレーナーの)松澤(遼大)コーチも交えてずっとやってきました。でも、アンリの場合はチャンス、チャンスを全部ものにしてきている。そのための準備を全部してきたというのが、個人の高校生としての能力の高さだと思っています」

運は引き寄せるもの



―持っていると言われがちですけれども、それを引き寄せた。
仲村「そうですね。持っている、というよりも努力した」

―アンリ君は高校3年間の努力で特に心に残っていることはある?
アンリ「そうですね。選手権予選決勝のあのゴールは、監督とかが朝、散歩の時にゴミを拾っているのを見て。自分も選手権の試合前、バスに乗る前に一番最後に出て、みんなが残したゴミとか拾って、みんながトイレのスリッパちょっとズレていたら直して、そのお陰で自分に運があって、それで決めれたんじゃないかと思いました」

―運を引き寄せるためにやっていた。
アンリ「やるようになりました。誰かに言われたからじゃなくて。(ゴミが)あったら、ひゅっと」

―やったら自分に戻ってくると。
アンリ「自分も(サッカーだけしっかり)やれば自分に戻って来るかなと思っていたんですけれども、その思考じゃダメと。人間としてそういうところを当たり前にやらなければいけないと思っているし、サッカーだけじゃないし、自分は人間として成長しなければいけないということでやりました」

―ピッチ外のその姿勢について、入学当初はどうだった?
アンリ「ストレッチとかも何もせずに、自分、今思うと何をしていたのかなと。逆に(先輩たちに)申し訳なかったです。トップとかも上がっていたのに」

ラッキーだったのは染野が3年生にいたこと



―彼は中学生の頃からプロになると言っていたそうです。
仲村「へぇ~」
アンリ「なんか言った。今振り返ると、言っていました。中2かな、言っていて。さすがに『オマエは無理』って直で言われたし、けどオレは『絶対になる』となって、中学校の先生に『プロになるためにはどうしたら良いですか』と直で聞いたりして。そのお陰で先生も真剣に見てくれて、中学校のチームメートは『無理無理』って言われていたんですけれども、絶対に見返してやろうと思って、そこからでした」

―現在の自分の立場をどう捉えている?
アンリ「注目されているけれど、自分メンタルが弱いところがあって、言われたことを気にしちゃうし、動画とかで自分の『ゴミ』みたいなプレーが出てきて、たまにずっと考えちゃう時があるんです。YouTubeとかたまに見て、(その映像やコメントとかで)気持ちを落とすというのがあった。注目されるのは嬉しいんですけれども、自分も言われている理由があるし、自分が下手ということで、その辺を直して、これからももっともっと努力しなければいけないなと思いました」

―プレッシャーと戦っていた。
仲村「僕も全然知らなかったです。楽しくてしょうがないのかなと思っていました。上の人とやれて」
アンリ「楽しいです!楽しいです!」
仲村「でも、ラッキーだったのは染野が3年生にいたこと。染野トップでアンリBチームだったので、染野とバチバチやって、染野と対峙しながら工夫しないとやられてしまうというのがあったので、そういうことも踏まえて色々な運が良かったのかなと思いますね」

―人間としても、サッカー選手としても成長した。
仲村「トイレ掃除とかしていたと言っていましたからね」

世界史とか、国語とかマジ分からないです



―学校生活はいかがでしたか?
仲村「尚志のサッカー部って学年の成績で1番から10番くらいに5人くらい入っていたりするんですけれども、あまり言いたくないですけれども、下の方にも5人くらいいるんですよ。どっちかと言ったら県外から来ているメンバーの成績が凄く良くて、(安江海)ラウルが3年間学年1番で、一番心配だったのがアンリだったんですね。社会の、歴史の人物なんて絶対に分からないと思うし。でも、周りのみんなに教えてもらいながら、ちゃんとクリアすることはクリアしていたんですよ。もっとクリアできないやつらがいっぱいいて、それをバカにしたりしてストレス解消したりして」
アンリ「そう、英語とか」
仲村「そういう仲間にも凄く恵まれているんです。笑い合いながらやっている。最後はみんながアンリに負けないように頑張っている。僕はプロになる人間というのはルールの中にあるところをクリアしていれば良いと考えています。もしも大学に入って目標があるならば、その目標の数値まで届かなければいけないから、その目標の数値に向かって努力しなさいと言っているので、一番の成績を取っておけば一番良い大学に行けると思っている人は、勉強を一生懸命頑張るし、サッカーで一番頑張りたいんだったら学業は最低限のルールのところまではしっかり持っていかなければ意味がないよね、と言っているので。その点、アンリは全部持って行きましたね」

―中学1年でアメリカから日本に。勉強は相当頑張ったのでは?
アンリ「そうですね。赤点が30点ということで、試験前は本当にオールとかして必死でやっていましたね。キツかったです」

―何が一番キツかった?
アンリ「世界史とか、国語とかマジ分からないです。自分、暗記しかできなかったので、教科書見て暗記していました」

―学校生活は楽しかった?
アンリ「楽しかったです。自分、代表などで高3の時あまり学校とか行っていないんですけれども、代表から帰って来る時たまに辛い時があって、そういう時は一般生徒とかとずっと自分のクラスでも喋っていました。それで元気をもらって、色々辛いこともサッカー部だけじゃなくて、一般生徒とずっと喋っていたお陰で、自分も元気が出たし、本当に良かった」

―尚志ファミリー。仲村先生も大事にしてきたものですが、アンリ君にとってどういうものだった?
アンリ「最初は自分の代はそんなに仲が良くなかったんですけれども、結構グループで分かれていて。でも、高2とかになってきたら、本当にみんなどんどん喋るようになったし、みんなで自主練とかしたり、高3になってからもどんどん仲良くなっていたりして、みんなで話すようになったし、そういう小さなグループとかあんまりなくなって、本当に良くなったなと思います」
仲村「3年生の時はまずクラスに8人くらいサッカー部がいて、(主力ボランチの)松尾(春希)とか(新谷)一真とか、あと草野太貴っているんですよ。草野太貴と仲良くて、絶対に教えてもらえ、オマエよりもいつも成績悪いんだからと言っていたんですけれども本当に仲良しでした。最後も今、自動車学校とか行って、近くに本田陸がいて、そこに夕飯食べに行ったり、温かいことをしてもらっていて本当に仲間に恵まれていました」

目指すのは世界一のCB



―卒業式はどうだった?
アンリ「卒業式は『頑張れよ』、みたいな感じでしたけれども。一番辛かったのは自分が寮にいない時間があって、戻ってきたらみんながいなくなって荷物とかなくて、自分だけ寮一人でそれが辛かったです。(遠征から戻ってきたら)自分一人の荷物だけあって、キツイっす」
仲村「3月3日の卒業式出て4日から高校選抜行って、U-21代表だなんだで色々動いて、13日に帰ってきたら、アンリの荷物だけポツンとあって、あとは清掃されていて」
アンリ「誰もいなくて辛かったです」

―卒業式ではどんなメッセージをもらった?
アンリ「色々なメッセージやメールで、『頑張れよ、オマエ』『何か奢れよ』というのが一番多かったです」

―一番嬉しかったメッセージは?
アンリ「多すぎて分からないんですけれども。でも、色紙に全員からのメッセージがあって、監督から『世界一を目指せ』と書いてあって、それが一番嬉しかったです」

―その言葉の意図は?
仲村「今、もう目指すのは世界一しかないです。アンリが目指している、『CBで世界一になる』。それを目指すしかないので、可能性しかないからやってもらうしかない。でも、卒業式終わって、帰って、ボケーッとテレビ見ていたら『あ、アンリがテレビに映っている』と思ってパッと見ていたら、アンリが『え~っ』て泣いていました」
アンリ「(テレビに映し出されていたのは)一言言わなければいけなかったんですよ。クラスのみんなに」
仲村「(本人は)『泣いていない、泣いていない』って」
アンリ「ちょっと涙が出ました。ちょっとキツかったです」

―そこでは何と?
アンリ「普通に『みんなのお陰で。自分も辛い時があって、みんなと会えて嬉しいし、あんまいなかったんですけれども、楽しかった』みたいな感じで」
仲村「テレビで出ていたので、びっくりしますよね、僕も。そのことは、知らなかったから」

監督と一緒にトロフィー持って写真撮りたい



―普段、お二人で話すことも多かったと思いますが、アンリ君から仲村先生にこうして欲しかったというのはある?
アンリ「無いです。全部完璧すぎて、無いです」

―後輩に期待することは?
アンリ「自分も頑張らないといけないし、後輩も頑張らないといけないということで、活躍して結構プレゼントとかいっぱいしたいなと思いました」

―仲村先生から期待することは?
仲村「プーマさんのお陰で、アンリが海外に行けた期間があって、海外に行って、吸収したことを尚志にいっぱい落としていってくれたんですよ。もっとCBは声を出さないといけないんだとか言って、もっと声を出すことを練習中もしてくれたり、海外ではこうだということを落としてくれた。みんなに伝えてくれたことが多かったです。世界のスタンダードがドイツだったり、世界ナンバー1の国ではあるじゃないですか、そこに今度は飛び込むから、それが当たり前になってくるのが彼の成長を加速させてくれるんじゃないかなと思うので、負けて欲しくないです」

―アンリ君はこれからチャレンジする。
アンリ「自分、これからいっぱい辛いこともあると思うし、でもやっぱり自分が目指しているのは世界一ということなので、そこで絶対に終わっちゃいけないし、色々なことを学んで、本当に頑張りたいと思います。全てをぶつけていきたい」

―後輩たちも背中を見ている。
アンリ「後輩のもっと良い見本になれるように、これから自分も代表に選ばれ続けないといけないし、努力した姿を見せれば後輩ももっと頑張るんじゃないかなと思っています。それで尚志も強くなる。尚志が目指しているのは全国制覇なので、もっとやんないと。自分も2回戦で負けたように、もっと努力しないと本当にすぐポロッと負けてしまうし、後悔のないようにもっと努力して欲しいですね」

―高校サッカーで学んだことは?
アンリ「まずは寮で、自立することだったり、高校サッカーやって、やっぱり、仲間の存在の大きさを学びました。自分は高校に入る前に仲間だったり他の人はどうでも良い人間だったので。やっぱり高校に入って他の人の気持ちを考えるようになったし、サッカーの面など全部成長したし、毎日練習したりして高校結構キツイと言われているんですけれども、そのお陰で色々な人が強くなっているし、尚志のお陰でここまでこれた」

―震災を乗り越えてきた福島でアンリ君も色々なものを乗り越えてきた。
アンリ「本当に良いことよりも苦しいことが多くて、怒られて泣いたり、ちょっとダサいですけれども。高1の時に辞めたいと思って、親にも辞めたいって電話して『無理だ』と言っていたんですけれども、そこで逃げたら終わりで、頑張って良かったなと思います」
仲村「(辞めたかったことは)全然知らなかったです。本当に寮生活って僕自身が高校時代にやれと言われたら多分できなかったと思います。今、ウチに来ている選手は寮生活とかやって凄いと思いますし、特にアンリとかは言葉とかも壁があるところでやっていて、それを普通に克服しているというか、逆に3年になったら寮生活を楽しみに変えている。人間的に良いなと思うので、次の環境に行くのも僕が今アンリと同じ立場だったら自分はビビって海外に行けないと思うんですよね。でも、アンリは新しいところに飛び込んで自分のことを一番伸ばしてくれるようなところに常に選んで行けていると思うので、それが今後もアンリの良いところだと思うし、そこをまたステップアップにして、また次のところ、次のところってどんどん行って、最後にはチャンピオンズリーグでファイナルのピッチに立っているのがアンリの目標でもあるので、そこを僕はお金貯めて見に行く、もしくはアンリに招待してもらうか」
アンリ「します!」

―選手権予選決勝で決勝ゴールを決めて仲村先生と抱き合ったように、また仲村先生に喜んでもらうこともモチベーション。
アンリ「高校選抜も監督だったので本当に勝たせてあげたかったんですけれども、全然勝たせてあげられなくて、プレミア参入戦だったり、選手権だったり、全国で勝たせてあげられなくて本当に申し訳ないなと思っていて、フロンターレ戦も……。その思いが多くて、でも、あのゴールは嬉しかったですね、あそこで負けたら終わりだったし」

―これからは遠いところになるが、また喜ばせられるように。
アンリ「最後は自分がチャンピオンズリーグ決勝出て、そこで優勝して、監督と一緒にトロフィー持って写真撮りたいです」

(取材・文 吉田太郎)
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