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プロになるため、“J下部”のGKが中2でフィールド転向を決意。伝統校で成長続ける東海大福岡FW大森裕介がサニックス杯得点王

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東海大福岡高(福岡)のFW大森裕介(新3年=広島ジュニアユース出身)は神戸U-18戦で2得点を挙げるなど、サニックス杯で得点王を獲得した

 JクラブアカデミーのGKからフィールドプレーヤーへ転向という大きな決断をしてから3年半。東海大福岡高(福岡)のFW大森裕介(新3年=広島ジュニアユース出身)が伝統のサニックスカップ国際ユースサッカー大会(福岡、3月)で得点王を獲得した

 長崎総合科学大附高(長崎)との予選リーグ初戦で決勝点。続く神戸U-18(兵庫)戦では前半からシザースを交えたドリブルで幾度も仕掛け、相手にとって嫌な存在となっていた。そして、後半に連続ゴール。逆転負けしたものの、インパクトのある活躍をした大森は予選リーグ最終戦の東山高(京都)戦でも2得点を叩き出し、計5得点でライバルのFWたちを上回った。

 東海大福岡はDF樋口雅人(新3年)を中心とした堅守と大森や3位決定戦で決勝点をマークした10番FW中島慧(新3年)、右の快足FW倉田連(新2年)の活躍などもあり、プレミアリーグ勢7チームなどが参加したサニックスカップで3位と健闘した。中でも、コーチング、抜群のチェイシング含めて目立っていた大森は特別な経歴の持ち主だ。

 大森は幼稚園の年長からGK。中学ではサンフレッチェ広島ジュニアユースへ進んだ。広島は数々のアカデミー出身選手をトップチームや日本代表に送り出しているクラブ。大森はGKとして“プロ予備軍”に加わったが、中学2年時にフィールドプレーヤーへ転向することを決断する。

「GKとしては身長小さい方で、この低身長でプロで戦うのは難しいとなった時に人生は1回しかないので、『なら、フィールドプレーヤーやな』って。後悔のないようにサッカー人生を終わりたい、と思って。自分、小さい頃からの目標が本田圭佑さんなんですけれども、子供に夢を与えられる選手にずっとなりたくて、プロになれなかったら意味がないと思って決意しました」

 それまでフィールドのプレー経験は無し。基礎のボールコントロールよりも、キャッチングなどGKのスキルアップに時間を割いてきた。それでも、プロになるという夢に近づくため、コーチ陣に直訴。「3か月くらいずっと考えて。(少ないGK枠で育ててもらって)言うのも怖くて、『GKやめたい』と言った時に、『じゃ、いらない』と言われるかもと……でも、辞めることになっても良いから言ったら……」。当時指揮を執っていた高田哲也監督(現大分アカデミーヘッドオブコーチング)らコーチ陣は、大森の決断を後押し。すぐには試合に出ることができなかったが、地道に努力を重ねたFWは3年時に先発の座を掴み、全国大会のピッチにも立っている。

 ユースチームに上がることはできなかったが、大森がFWとして出場した初めての試合を見たという東海大福岡・大丸監督の目に留まり、福岡の伝統校へ進学。「ドリブルするにはシザースからと思って。シザースは毎日練習して動画を取ってを繰り返した」というドリブル、スピードを武器に台頭し、苦手だったシュートもGK心理を利用してゴールに結び付けられるようになってきた。

 大丸監督は、「これくらいチェイシングできるやつはいない。パスゼロ本シュートを狙え、と言っています」。サニックスカップ得点王でスカウトたちにアピール。やるべきことはまだまだ多いが、プロになるという思いは全くブレない。

「こういう大会で活躍して、プロとか大学の目に留まる選手になりたい。(アピールするためにも)全国に出て、大丸先生を胴上げしたい」。東海大福岡の礎を築き、22年3月で総監督を勇退した平清孝氏が、岡山学芸館高(岡山)のゼネラルアドバイザーとして今冬の選手権日本一。大森ら刺激を受けた選手たちが、23年度のインターハイや選手権で大暴れする。

(取材・文 吉田太郎)

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