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MF宇佐美貴史インタビュー「バイエルン移籍は大成功だった」

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 ドイツ最大のクラブ、バイエルンで1シーズンを戦い終え、来季からホッフェンハイムでプレーすることになったU-23日本代表MF宇佐美貴史。バイエルンでの2011-12シーズンは出場機会に恵まれなかったものの、日本人選手として初めてUEFAチャンピオンズリーグ(欧州CL)決勝でベンチ入りを果たすなど、確かな足跡を残した。U-23日本代表の一員として臨んだ5月のトゥーロン国際大会では2得点1アシストを記録し、成長した姿を見せた。「日本の至宝」とまで言われた20歳がドイツで得たもの、ロンドン五輪に向けた意気込みを語った。

―トゥーロンでの活躍はすごかったですね。
「はい。良かったですよ」

―『見たか』という感じですか?
「そうですね(笑)。1年間バイエルンでやって、『どれだけのモノになったんや』という感じで見られていたと思うし、アピールする最後の機会で結果を残せたのは良かったですね」

―大会前、『プレーのイメージはできている』と話していましたが?
「どんどん突破するというか、突破してからのパスとか、バイタル(エリア)で受けて、そこからの精度でチャンスをつくっていくイメージは持っていました。バイタルで多少きつめのパスが来ても、しっかり止められる自信はあったし、後ろから相手が迫って来ていても、相手をガードしながら前を向く自信も、イメージもあったので。そういうプレーを出して、変化を加えていければなと思っていました」

―実際に証明できたという手応えは?
「ある程度ですね。あそこでもっと突破の回数を増やしたり、強引に自陣から相手の一番嫌がるところまで運ぶことができたら良かったと思います。自分のところで一気にスピードを上げるということもしたかったのですが、そこでボールを失う回数が多かったかなというのは反省点です。それができれば、なお良かったなという感じですね」

―U-23日本代表でプレーしたのは11年4月の合宿以来でしたが?
「そうですね。(U-23日本代表の活動に)行きたいなとは思っていたのですが、バイエルンがどういう感じで対応しているか、俺は知らなかったので。(招集の)話が来ているのかどうかも、なかなかバイエルンから俺に直接話があることはなかったので。バイエルンが興味を持っていないというか、U-23代表に出してくれる感じではなかったし、代表に拘束力もなかったので、俺は行きたくても行けない状態でした。(バイエルンは)メンバーが少なかったので、一人でもいなくなると練習に支障が出るというのも、もちろん分かってはいましたけど、俺個人としてはもっと行きたいとずっと思っていました」

―『もう呼ばれないのでは』という不安は?
「ありましたね。これだけ行かへんと。連係のこともありますからね。アジア予選の突破に貢献したメンバーが、やっぱり評価されると思いましたし、アピールする機会もなかったので、行くチャンスも少ないのかなと思っていました」

―トゥーロンでアピールできましたね。
「そうですね。2試合でゴール2つとアシスト1つは良い方だと思いますし、自分のプレーを見せること、プラス、結果も求めて行っていたので。そこを2つとも、ある程度のノルマをクリアできたと思うので、そういう意味では良かったですね」

―連係の面はスムーズに見えましたが?
「こういうときにどうしようかというのは話し合いながらできました。これまで自分はあまり口で伝えてということをするタイプではなかったのですが、言葉が分かるということで、どんどん俺からいろんな選手に対して、積極的に要求するようになりましたね。もちろん、求められることも聞きながらですけど。お互いに話をしながらできたので、そういうところも1年前の自分にはなかったところかなと思います。言葉が分からないところから分かるところに行くと、それだけで余裕が出ますね」

―久しぶりに合流して『おしゃべりになった』と言われる?
「日本語でしゃべるのが楽しかったですね。止まらなかったです。ずっと(高木)善朗と部屋で何かしらしゃべっていましたね。結構、面白い人が多いので、みんなと絡んでいました」

―比嘉祐介選手とか?
「100のうち90ですね(笑)。でも、いろいろな選手とですよ」

―同じ海外組の高木善朗選手も日本語に飢えていた?
「善朗とはスカイプでもよく話したりしますが、あいつも海外でやっていて、同じ感じやったと思いますね。日本語で話せることの喜びというか、しっかり第一言語で理解し合えることは喜びやったと思いますね」

―いろんな国籍の選手がいるバイエルンでは特にコミュニケーションが難しかったですか?
「みんな、ドイツ語を話せるんですけどね。俺も相手が言っていることは理解できるんです。フィールドの中でも、外でも。でも、それを文章にして意見を伝え返すことができなかった。相槌だけになるというか。だから、向こうは『分かっているのかな?』という感じになっていたと思うので、コミュニケーションは難しかったですね。言いたいことが言えなくて、そういうところでもストレスがたまりました。きつめのことを言い返したいときも言えないとか。自己主張は普通のことなんですけどね」

―代表ではストレスがなかった?
「そうですね。俺がここに動いたら、ここにパスを入れてくれとか、多少きつめでもいいからとか。厳しめな要求もしつつ、要求した通りにしてくれたら、『今の感じでどんどん入れてきてほしい』とか。そういうところまで細かく言えたので、連係面では苦労しなかったです」

―守備面もドイツに行って変わりましたか?
「日本の守備の仕方は対応するというか、抜かれないことを考える。ドイツではまずアタックすることを考える。相手に突っ込んで、突っ込んだ先でミスが起きて、その先もまた強く行けば、どんどんミスが重なってボールが取れるという考え方なので、より距離を詰めることが求められる。だから、見るというより、まず取りに行って、体を寄せて、取り切れればベストですし、そのあとでミスも起こりやすくなる。海外の選手はバーンと行ってかわされたりもしますが、俺は日本での抜かれないように守備をするやり方も分かっているので、それをうまいバランスでするようにというのは心がけています。しっかり行きつつ、一発で飛び込める間合いでは行かない。単純に激しく行くところは相手をつぶすくらい、相手を狩りに行くくらいの気持ちでやっていたので。それは良い習慣として身についている感じがします」

―バイエルンで練習から世界的な選手を相手にやっていたため、精神的に余裕があったのでは?
「そうですね。でも、バイエルンの練習でやったら、めちゃくちゃキレられますからね。思いっきり行くんですが、めっちゃキレられて、めっちゃやり返される。そういうのをずっとやり続けていたので、他チームの選手相手にやることに何の抵抗もなかったですね。そういう世界なので。やられたまま黙っていることはない。それを上手さでいなすというのもありますけど、激しくやられたら激しくやる。そういうところでしっかりやっていかないと戦えないかなという感じはします」

―メンタル面はどうですか?
「メンタルが一番強くなったと思います。技術的なところも伸びたと思いますが、メンタルに関しては、多分、腐ることはないというか、『鋼のメンタル』を手に入れたと思いますね。あれだけ、あの扱いをされて、1年間やり切れたのは自信にさえなりますね」

―友達や家族にも『変わったね』と言われますか?
「言われますね。『雰囲気が大人になった』とか言われるし。新聞に『大人になった! やんちゃドリブラー変身!!』みたいに書かれたから、ちょっと気遣いすると地元の友達には『うわー、大人になったなぁ』とか言われる。だから、ああいうのはやめていただきたいですね(笑)。トゥーロンから帰るときの飛行機でも、その記事を見た(齋藤)学くんにイジられました。CAさんに何か頼んで、応じてもらえたときに『ありがとうございます』とか言うと、『大人になったねぇ』『大人になると違うねぇ』って。昔を知らんやろって感じでしたけどね(笑)」

―バイエルンに行って良かったと思いますか?
「そう思います。成功やったと思いますね。プレイヤーとしての成功というか、これからの自分に対してという意味でも大成功やったと思います。メンタルでも、技術でも、なかったもの、自分に必要なものを身に付けられたと思う。メンタル的な部分でもそうですし、フィジカル的な部分とか、守備への意識とか。ボールをもらったときの一工夫だったり。それをしないとサッカーで生活していけないというか。それぐらいの危機感の中に入ったことで、初めてその重要性が本当の意味で分かったので、それを自然にやるようになっていましたね。意識する前にやらないと、練習に付いていけなかった。どんどん置いていかれるような感じやったので」

―ボールをもらう際の動きについて。リベリ、ロッベンは1回必ずマークを外すようにしています。
「それはあの2人から一番見習わないといけないと思った部分ではありますね。もちろんボールを持ったときのプレーも脅威ですけど、リベリに関しては、毎試合あれだけやるとマークもきつくなるはずなのに、それでも活躍できている。ということは絶対に何かあるなと思って、ずっと見続けていました。そうしたらボールをもらう前に、何かしらしていますよね。単純に相手にボーンとぶつかってちょっと空間をつくるとか、ぶつかってわざと相手を怒らせて、相手が来た瞬間に裏でトップスピードに乗るとか。そういう駆け引きが尋常じゃないくらいに上手かった。プラス、ボールを持てば何でもできる選手なので。そういうところを見て、自分のことをしっかり知っているなと思いましたね。ボールを持てるから、ボールを持つ前の努力をしようというか。そんなことをしそうな感じではないのに、実際はしまくってましたね」

―どう体に染み込ませようとしたんですか?
「最初は意識しながらやって、だんだんと自然に出るようになっていきました。マネをするようになっていきましたね。わざと相手の近くに行ってみるとか。ボールをもらってからのトップスピードのイメージはあったんですが、ボールをもらう前にトップスピードで相手から離れるというイメージができました。そういうイメージを持ちながら練習していくと、自然と裏に走って行ったり、相手との空間をつくることに夢中になっている自分がいたり、自然と変わっていった気がします」

―リベリが同じチームにいることは大きかった?
「大きかったですね、想像以上に。テレビで見ていても分からないことだと思うし、単純にリベリはずっと口笛を鳴らしていましたよね。試合中、ボールを呼び込むために。『欲しい、欲しい』って。すごい高い音を出していた。それも自己主張の手段ですよね。声で呼び込むのもいいけど、声だと消されるので、口笛を鳴らして、味方に気付かせたり。そういう自己主張をしているのを見て、よほどボールを回してもらって、自分がやってやるという意識があるんやなって。あの人のメンタリティーも学びましたね」

―地元でのCL決勝を経験したのも大きかったですか?
「経験値としてはデカかったと思います。もう一回、こういう舞台に自分が主力として行けるようになりたいというモチベーションにもなりました。あそこで試合に出て、自分が何かしていればという期待感と、そうできなかった悔しさ。いろいろな感情を持つことができましたし、単純にそこにいることも、だれにでもできることではない。少ない人数しかできない。自分が日本人で初めてできたことは誇りに思います。でも、決勝に行けたことについては、自分の成果だとは捉えていません。彼ら(チームメイト)がそこまで持っていってくれたというだけで。だから、日本人史上初とか、そういう言われ方は全然良くない。そこに入っていないと自覚しているので。それは自分が本当にチームを(CL決勝に)連れて行ったときに言われるべき言葉だと思います」

―PK戦ではGKのノイアーが3人目で蹴りました。
「みんなPKを蹴るのを嫌がっていたんです。キックの名手と呼ばれる選手も、みんな後ろに行ってしまいました。それぐらい(プレッシャーが)大きいんやろうなと思っていました。そこの差がチェルシーとの最終的な差になったのかなと思いますが、結局、後ろに行って(PKを)蹴った選手が外したりした。ノイアーが蹴ることになったのもそうですし。そういう(世界トップレベルの)選手たちのそういう(PKを蹴りに行かない)姿を見ることができたこともプラスだったというか。あそこで自分で蹴られなくなるという気持ちはすごく分かりました。あの雰囲気で、(試合中に)何回も勝ちかけて、ギリギリで追いつかれて、最後、PKになるという状況でした。だから『自分で蹴りに行けよ』とは思わなかったですね。そこで勝負が付いたとは、そのときには思わなかったですし、本当に『蹴りに行けへんやろうな』と思っていたので」

―宇佐美選手が途中出場していたら、蹴りに行っていましたか?
「………。どうやろうなぁ。その一瞬でいろいろ考えたと思いますね。蹴りに行くべきか。でも、蹴りに行きたくないと思って蹴りに行ったときは、絶対に外す雰囲気じゃないですか。自信を持って行こうと思うのか。でも、あの試合に出ていた選手にしか分からない気持ちだと思いますね。ホンマに『ヘタレやな』とか、そういうことは思わなかったですね。その気持ちはめちゃめちゃ理解できました」

―ホームのプレッシャーもあった?
「あったと思いますね。バイエルンで育った選手も多いので。そのクラブが、ヨーロッパ王者になろうとしている。『そのキッカーを俺にできるか?』と思っているんだろうなと。その深層というか、どう思っているんだろうというのは考えましたね。それを吸収したいと思って。トニ・クロースが蹴るのを嫌がったことは本当にビックリしたんですよね。あの天才が断るって相当なんやなって」

―来季からはホッフェンハイムでプレーすることになりました。
「ビッグクラブを一度経験して、まだビッグクラブで戦える器にないと思ったこともあります。でも、19歳でビッグクラブを経験して、そこからもう一度ステップアップを繰り返して、またビッグクラブに挑戦することになっても、それでもまだ若いと思うので。もう1年、このままビッグクラブに行って、試合に出られるか出られないかというハードルが高いところでやるより、出られる可能性が高いところ、俺をより求めてくれるところに行って、試合経験を積むことが今年は絶対にいいと思ったので選びました。昨シーズンで学んだことを出したいですね」

―新たに『プレデター リーサル ゾーン』にスパイクが変わりましたが?
「これまで履いていた『F50』とは単純に全然つくりが違いますよね。俺がこれまで履いていたのは、アッパーが滑らかだったんですけど、『必殺5ゾーン』というのが入って、プレーのバリエーションもさらに増えると思うし、履き心地も個人的にすごく好きですね。軽さもありますし、本当にないところを探すのが難しいくらいの質の高さになっていると思います。これを履いて、どれほど力を貸してくれるのか、ボールタッチを助けてくれるのかという期待感があります」

―ロンドン五輪、来季のブンデスリーガも、このシューズで活躍できそうですか?
「俺はボールタッチがすべてのプレイヤーなので。このスパイクも、ボールタッチを一番大切にしてつくられたスパイクです。そういう意味では自分にピッタリだと思いますし、このスパイクを履いて、自分のプレースタイルをしっかり出して活躍できたらいいなと思います」

―ドイツでプレーして、スパイクに求めることは変わりましたか?
「ポイントが高い方がいいというか、固定式と取り替え式のミックスを履くようになりました。芝の下に敷いてある土が、日本とタイプが違って粘土質なので。芝が乾いていても足が滑ることが多いですし、雨が降ると、さらに踏ん張りが利かなくなる。日本では固定式しか履いたことがなかったんですが、向こうに行くようになってからミックスを履くようになりました。全然、違いますね。固定やとホンマに踏ん張りが利かなくなるので」

―ボールタッチの面では?
「ボールがしっかり止まってくれるというか、ボールをしっかり噛むというか。音で言うと、『キュッ、キュッ』となる。これがないと、ボールタッチをしながらボールが先走っていくというのがあるんですが、『プレデター リーサル ゾーン』はしっかりボールを止めてくれるラバーが付いているので、ボールを懐に入れたままドリブルができると思う。回転がすごくかかっているパスも、トラップでしっかり止め切れると思う。そういう部分ではすごく魅力を感じますね」

―バイエルンでは味方のパスも厳しかったですか?
「バイエルンはそんなことはなかったですね。ピタッと来ますから。ただ、バイエルンBとかに行くと、ホンマに雑やったんで。とりあえず方向が合っていればいいというか、バウンドは気にしないというか。お前の方に蹴っているんだから止めろよ、みたいな投げやりなパスだったので。バイエルンだと次のことも考えたパスをくれるから、ありがたかったんですが、普通はあの質でパスが来ることはないと思うので」

―香川真司選手の活躍はどう見ていますか?
「自分もあれくらい活躍して、次のステップに行ければいいと思います。俺はこれからドイツで、まだまだ成し遂げないといけないことがある。でも、真司くんはそれを終えて、次のステップに進んでいく。そういう意味では俺もああいう活躍をしたいというところですね」

―チームメイトにCL決勝に連れて行ってもらったということですが、今度は五輪代表のチームメイトを上に連れて行く自信はありますか?
「ありますね。ロンドンに行ければ、それぐらいの活躍をする自信はあります。1年ビッグクラブでプレーした以上、それぐらいの活躍をしないといけない危機感というか、責任もあります。オリンピックに行って、そういう活躍をしたいですね」

(取材・文 河合 拓)

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