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スペインで戦うフットサル選手・荒牧太郎の挑戦 by 荒牧太郎

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ブラジル・フットサルとの遭遇
by 荒牧太郎

 前回フウガでフットサルを始めた話を書きましたが、今回は僕が大きな影響を受けたブラジルでのフットサルについても書こうと思います。

 初めてブラジルに行ったのは、僕がフウガに加入した直後のことでした。民間の大会であるPivo!チャンピオンズカップで優勝したのがきっかけです。その大会の優勝賞品は、なんとチームでブラジルに遠征できる権利でした!!  4月にフウガの一員となった僕は、この大会で優勝し、10月頃にブラジルへ遠征に行くことになったのです。しかも、その遠征には当時の中心選手数名が各々の事情によって参加出来ませんでした。当時そこまで出場時間に恵まれていなかった僕にとっては、出場機会を得るチャンスでした。

 チームとしての遠征は1週間。サンパウロ州のフットサル連盟の施設に寝泊まりして、その施設内で練習試合をしたり、バスで移動して試合をしたり、ブラジル人監督にトレーニングしてもらったりもしました。このブラジル遠征がフットサルに対する取り組み方を変え、考え方をも変えるきっかけになったと思います。

 ブラジル人の選手たちには驚かされました。試合相手としてやってくるブラジル人達は見るからに弱そうで、試合へ臨むモチベーションも低く、中にはサンダルで試合会場に来るような選手もいたのです。でも、試合が始まるとそれまでとは打って変わって、物凄いモチベーションとテクニックや戦術を発揮して、違いをまざまざと見せつけられました。

 試合をしていて、いつも通りプレー出来ているような感覚はあるんだけど、試合に勝てそうという時間帯になってパッと逆転されてしまうとか、何か特別なことをされているわけじゃないんだけどボールを奪えないとか、常に違和感を持ってプレーしていた印象があります。対戦相手もプロチームばかりではなく大学生のチームなど、本当に大きな差があったわけではないはずです。

 そんな違和感について、チームメイトといろいろ話しました。どうしたら勝てるのか、どうすればもっと良くなるのか、そういうことをみんなで考えながら時間を過ごせたのが、個人としてもチームとしても大きかったと思います。

 ただ同時に具体的な解決策を見付けだせたのかというと、そうではありませんでした。どんな事を話し合っていたのかというと、一つはパス回しからフィニッシュへどう繋げていくのかという部分です。

 フットサルにはサインプレーという程ではないのですが、ボール回しのベースになるような動きがいくつかあります。それは、あくまでもベースであり、状況や相手によってそれぞれが決断してその形を崩したり、その変化する状況を周りの選手も敏感に察知して動き変えたり、味方に合わせなければなりません。しかし、当時の僕らはボールを回すなら、そのベースの動きをする為だけにプレーしてしまっている状態でした。

 簡単に言ってしまえば、形通りの動きは出来てもそれを自ら崩したり、応用出来ていなかった。形を守ることはもちろん大事なのですが、フィニッシュに繋げる為にはもっとシンプルにやるべき部分もあるのではないか…。形にこだわり過ぎず、シュートチャンスがあればまずはゴールを目指すべきではないか…。そういうことを話し合いながら日々それを実戦の中で試していきました。

 当時対戦した相手のレベルは、もちろんブラジルのトップレベルではありませんでした、しかし、自分たちに近いレベルの相手にも個人能力の差を突き付けられました。

 フットサルは5対5で勝負するスポーツです。一人が1対1に負けてしまうと、チームとして大きな穴になってしまいます。完全に1対1で負けてしまうということはなかなかないにしろ、例えば自分の所で30㎝ほどズラされたとします。その影響から、その次は50㎝のズレが生じ、最後はゴール前で1mマークをズラされたら、それは失点を意味します。

 自分の所で30㎝ズラされるのではなく、逆に有利な状況に持って行く。例えばボールを奪うとか…攻撃時で言えば、相手のマークを外して、シュートまで持って行く。そういった個人の能力を、より高いレベルに身を置くことで身に付けたい。身に付けなければならないと強く感じるようになりました。

 では、その能力を身に付けるにはどうしたらいいのか、厳しい環境に身を置いて、その能力がなければロクにプレー出来ない状況に自分を追い込もう。そう思ったからこそ、その次の年に再びブラジルに行く決断をしました。

 実は同じように考えていた選手がもう1人いました。当時フウガでチームメイトだった星翔太です。「ブラジルに行こうと思ってる…」なんてふとした時に話したら「えっ!俺も!」となったことを覚えています。僕らは個人としてのレベルアップを求めて、翌年もう一度、二人でブラジルに行く決断をしたわけです。試合中に感じた違和感を解明する為に。そして、ブラジルでも通じる個人能力を身に付ける為に。

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