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山本昌邦のビッグデータ・フットボール by 山本昌邦

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第5回「日本代表の惨敗を解明する」(前編)
by 山本昌邦

次期日本代表監督が内定したというニュースが日本サッカー界をにぎわせている。しかし、未来を託す前に、日本代表はなぜアジア杯で惨敗してしまったのかを分析する必要があるのではないか。指導者・解説者の山本昌邦が、データを基に徹底分析する人気コラムの第5回。
データ提供:Football LAB

固定化の弊害

 1月にオーストラリアで行われたアジア杯で日本はベスト8に終わった。1次ラウンドはパレスチナ、イラク、ヨルダンに3連勝したが、準々決勝でアラブ首長国連邦(UAE)にPK戦の末に敗れた。優勝を狙いながら1996年UAE大会以来の低調な成績に終わった原因は、順調に見えた1次リーグの戦いの中にあったように思う。

 日本代表が戦った4試合を振り返るとチームとしての成熟は感じられた。4年前のカタール大会を優勝した時のメンバーで、昨夏のW杯ブラジル大会の主力でもあったメンバーをほぼそのまま踏襲して戦ったのだから、試合運びにある種の落ち着きがあったのは当然だった。

 表1は2011年大会と今回のメンバーを比較したものである。4年前の登録23選手の平均年齢は25・1歳、先発出場選手の平均年齢は25・4歳だった。今回はそれから登録選手で1・6歳、先発出場選手は2・4歳、平均年齢はアップした。

 4年前のアジア杯優勝を勝ち取ったGK川島永嗣(27歳→31歳)、DF長友佑都(24歳→28歳)、DF吉田麻也(22歳→26歳)、MF長谷部誠(26歳→30歳)、MF遠藤保仁(30歳→34歳)、MF本田圭佑(24歳→28歳)、MF香川真司(21歳→25歳)、FW岡崎慎司(24歳→28歳)らは今回も主戦を張った。彼らが確実に4つ、年を取ったのだから平均年齢が上がるのも無理はない。

 驚いたことに、日本代表のハビエル・アギーレ監督は平均年齢が28歳に迫る先発組を全4試合とも固定して戦った。南半球の1月のオーストラリアは日本とは逆の夏である。暑い盛りにニューカッスル、ブリスベン、メルボルン、そしてシドニーと試合ごとに移動して日本は戦った。

 開催国としてA組にシードされたオーストラリアは真っ先に大会に突入するため試合のローテーションは緩やかだが、D組に置かれた日本は1次ラウンドから2次ラウンドにかけて日程がどんどんタイトになる。そういうハンディを考慮すれば、着実に勝ち点を積み上げつつ、選手のエネルギーをうまくセーブして2次ラウンドに進むマネジメントは絶対に不可欠だった。暑さも日程も移動も組み合わせが決まった時点ですべて分かっていたことなのだから、全4試合、先発を固定したアギーレ監督にはそうした視点が欠けていたと言われても仕方ないだろう。

 6試合と4試合の違いがあるとはいえ、4年前に采配を振るったアルベルト・ザッケローニ監督はその点、選手の出し入れをうまくやった。最終的に出番がなかったのはGK権田修一、DF森脇良太の2人だけ。21人の選手を使い分けながら、FW李忠成(2試合、67分)やMF細貝萌(2試合、34分)、DF伊野波雅彦(4試合、152分)のように短い出場時間の中でゴールという結果まで出した選手がいた。

 それに比べると今回は出番のないまま終わった選手が7人もいた。初戦にグループの中で一番軽い相手のパレスチナとやり、その後はイラク、ヨルダンと気の抜けない相手との試合が続く日程のアヤはあったけれど、せっかく2連勝して勝ち点6を積み上げたアドバンテージを3戦目のヨルダン戦でうまく生かせなかった。口では招集したメンバー全員への信頼を唱えながら、3戦目を落とすことを恐れて先発を変えなかったのだとしたら、実はベンチに置いた選手をそれほど信用していなかったことになろう。

 使えば、やれる選手がいたことは、UAE戦で会心のゴールを決めた柴崎を見れば分かることである。判で押したように交代で使われたMF清武弘嗣、FW豊田陽平、FW武藤嘉紀らを3戦目のヨルダン戦に思い切って先発させる手はあったはず。練習を見る限り、DF太田宏介やFW小林悠も調子が良さそうだった。

 私が3戦目のヨルダン戦を今回の敗退の分岐点に挙げるのは、次の2次ラウンドに入ると90分から延長込みの120分に試合時間が延びるリスクがあったからだ。当たり前の話だが、90分と120分では試合の中身が全然違ってくる。スタミナは消耗するし、故障のリスクも高まる。最悪の場合、準々決勝、準決勝、決勝とすべて延長戦になる可能性だってある。となれば、試合に向けた準備も念には念を入れた方がいい。日本の場合、準々決勝は相手より1日少ない中2日の戦いになるのだから、余計に先を見据えたトータルな戦略を立てる必要があった。

「勝っているチームはいじらない」という意見もあるが、結果論ではなく、私はヨルダン戦は“いじる”べきだったと思う。前回の優勝から4歳、年を取ったあのメンバーで本当に優勝を目指すのであれば、効率的なターンオーバーが必要なのは戦う前から分かりきったことだった。

 準々決勝で長友に故障が発生した。UAEにPK戦で勝っていたとしても、準決勝のオーストラリア戦にチームとしてどれほどのエネルギーを振り向けられただろうか。

 今回の日本代表に優勝する力は十分にあった。海外のリーグでの経験、踏んできた国際大会の場数でいえば、出場国の中で最高だったろう。
残念なのは、戦い方、選手の選び方、システムの選択のすべてに硬直性が見られたことである。監督のマネジメントが、選手の持てる力を十分に引き出せなかったことである。

(後編はこちら)


やまもと・まさくに
1958年4月4日、静岡県生まれ。日本代表コーチとして2002年の日韓W杯を戦いベスト16進出に貢献。五輪には、コーチとしては1996年アトランタと2000年シドニー、監督としては2004年アテネを指揮し、その後は古巣であるジュビロ磐田の監督を務めた。現在は解説者として、書籍も多数刊行するなど精力的に活動を続けている。近著に武智幸徳氏との共著『深読みサッカー論』(日本経済新聞出版社)がある。


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