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日本一のGKへ by 東口順昭

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vol.3「ユースに昇格できず…本田、家長ら“個が強い”同期との思い出」
by 東口順昭

 ガンバ大阪ジュニアユースの同期ではアキ(家長昭博)が抜群にうまくて、中2のときから中3の試合に出ていた。(本田)圭佑は全然試合に出ていなかったけど存在感はあった。“あのまま”な感じです(笑)。同期はそんなタレント揃いの世代とあって、みんな個性が強くてまとまりがなかった。中3ではアキがキャプテンやったけど、アキも先頭に立ってみんなを引っ張るようなタイプではなかったから、「なんでお前がキャプテンやねん」みたいな衝突があって。ホンマにみんな個が強すぎた(笑)。俺はいつも静かに見守ってたけど。

 ガンバのジュニアユースに入ったら、やっぱりその先でプロになる道を考える。
 プロになるのはずっと夢やった。小学生のときは両親が万博競技場にガンバの試合を見に連れて行ってくれた。試合を見ながら「ここのピッチに立つんや」って夢を膨らませて、いつも寝る前に自分が万博でプレーするイメージをしていた。GKで自分がめっちゃ活躍している、都合のいい妄想。その夢を両親は熱心にサポートしてくれた。小学生時代はほぼ毎日練習に行っていたけど、小5になってチームが近所じゃなくなったので、それからは車で毎日オカンが送り迎えをしてくれた。片道約30分を毎日往復。兄弟もいるし、今思えば相当大変やったと思う。

 ジュニアユースでは勝てないライバルがいたり、自分のせいで試合に負けたりと挫折して、一度だけ「サッカーをやめたい」とオカンに言った。そしたら、予想外に「うん、いいよ、やめー」と。オカンに止められなくて意表を突かれた。やめることも考えたけど、実際にサッカーがなくなったら何したらいいんだろうと思ったときに、「やらなあかん」って自分で気持ちを立て直した。あのときにサッカーを押し付けられていたら、もしかしたら嫌になってたかもしれへん。
 ユースに上がれへんかったときに一度はプロの夢をあきらめた。実力が足らへんかったし、みんなうまかったから、「プロは無理やな」と受け止めた。それでもサッカーをやめる勇気はなかった。ユースに上がれへんって決まって、金光大阪高を受けたけど、それもセレクションに落ちてしまった。路頭に迷った末に京都府の洛南高に進学することができて、道は続いた。

 ユースに昇格できたメンバーも、昇格できなかったメンバーも、最後に全員で飯に行った。焼肉の食べ放題。はっきりとした記憶は残ってないけど、圭佑がアキに向かって「高校で俺はお前を越えるからな」ってずっと言っていたのは覚えている。いつもの負けず嫌い。周りはそれを見て、「また言ってるわ」みたいな感じで笑っていた。でもその後、星稜高で結果を出して、プロに入って、日本代表に招集されて、「あいつすげえな」と面食らった。当時、本田圭佑の今の姿を予想できた人はなかなかいなかったはず。ちゃんと有言実行したんだと思った。

 同期は仲が良い。当時はまとまりがなかったけど、今になってまとまりが出てきた。俺の結婚式の2次会でジュニアユースのメンバーが数人集まってくれて、そこからみんなで年に1回は集まるようになった。毎年、年末年始にフットサルをしてから飲みに行くのが恒例。最近はメンバーに結婚ブームがきてるんで、そこでも集合する。仲間は最高っすよ。

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