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SEVENDAYS FOOTBALLDAY by 土屋雅史

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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』: 道標(関東一高・篠原友哉)
by 土屋雅史

「何もできずに終わったというのが今の心境です」。5か月前とほとんど同じフレーズが口を衝く。「『ただただ出たい』という一心でやってきた」2度目の選手権の舞台は、わずか1試合で幕を閉じることとなり、寡黙な10番との会話も終わりが近付いてくる。「カンイチでの3年間はどうだった?」という質問に、「『このチームに来て良かったな』というのは一番に思います。自分に対して真摯に向き合ってくれる監督だったり、コーチ陣の方々のおかげで自分は3年間で凄く成長できたと思うので、そこは感謝したいなと思います」と答えた彼へ、続けて「楽しかった?」と聞いてみる。悔しさを押し殺しながら話していた表情へ、ようやく“ニコ~”という擬音を使いたくなるような、いつもの笑顔が「はい!」という返事と共に少しだけ広がった。今シーズンの関東一高をプレーで牽引してきた篠原友哉の高校サッカーは、駒沢陸上競技場のピッチで終焉の時を迎えた。

 1年時から出場機会を得てきた篠原が、レギュラーの座を掴んだのは2年生の夏前のこと。ボランチ、サイドハーフ、1トップ下、そしてフォワード。中盤から前のポジションであれば、どこでもこなせるポリバレントさが評価され、様々な位置で起用されながら、チームにとって欠かせない1ピースの役割を確立する。

 初めて全国の舞台に立ったのは、前年度ベスト4の実績を引っ提げ、2年連続で東京王者として臨んだ昨年度の全国総体。初戦は1年前にファイナル進出への行く手を阻まれた、市立船橋高とのリターンマッチが組まれるが、篠原も「本当に何もまったくできなくて、力の差を見せ付けられました。スピードも何もかも違っていて、『ヤバいな』と思いました」と振り返る一戦は、0-1というスコア以上の完敗。結果的に日本一へと駆け上がる“イチフナ”に強烈なインパクトを突き付けられる。

 ボランチを主戦場に、ただ1人の2年生としてピッチに立つことの多かった篠原が、攻撃面で真価を発揮したのは選手権予選の準決勝。堀越高を相手に30m近いミドルを叩き込むと、チームもきっちり決勝進出を引き寄せる。試合後に話を聞いた2年生ボランチは、シュートシーンを振り返って「ボールをよく見ていなくて、みんなが喜んでいたので『あ、入ったんだな』と思いました」と独特のテンポで言葉を紡ぎ出す。元々は攻撃的なポジションの選手だけあって、「守備のことはまったくわからないんですけど」と言い切った潔さも印象深い。翌週の決勝は2トップの一角としてスタメン出場を果たし、攻守に80分間走り続け、全国切符獲得に貢献してみせた。

 関東一にとって、冬の全国デビューとなった駒沢での開幕戦。比較的押し込まれる展開の中で、篠原の能力が遺憾なく発揮される。スタートは右サイドハーフ。前半35分からは左サイドハーフ。後半15分からはボランチ。3つのポジションを水準以上のパフォーマンスでこなし切り、チームも1-0で勝利を手繰り寄せる。「篠原には試合前に『来年どうせお前がやるんだから、やらなきゃダメだぞ』という言い方はしたんですけどね」とは小野貴裕監督。本人からも「今日は開幕戦ということもあってワクワクしていて、楽しみが強かったので、前日も寝れないとか全然なかったですね。全然緊張はしなかったです」とアグレッシブな言葉が飛び出してくる。強気なプレーと、強気なメンタルが、17歳という怖いもの知らずの若さを感じさせた。

 2月。新チームとなった関東一の10番は、篠原の背中に託される。一昨年、昨年と攻撃のタクトを振るい続けた冨山大輔(専修大)から受け継ぐ格好の番号について、「10番は自分でも選手権に負けた後ぐらいから『付けたいな』と思っていた番号なので、付けられて光栄ですし、別に冨山大輔になろうとは思ってないので」と言った直後、一瞬「アッ」とした顔を挟んで、「でも、本当に尊敬しているので、理想像には置いています」と取って付けたような言葉に、思わずお互い笑ってしまった。決して饒舌ではないものの、その朴訥な話し方や時折見せる笑顔には不思議な魅力が内包されている。

 総体予選では自らのステージを一段階引き上げる。準々決勝で終了間際に強引な突破から決勝ゴールを演出すると、準決勝でもいわゆる“裏街道”でマーカー2人を置き去りにするドリブルから、全国を決めるゴールのアシストを記録。さらに決勝では直接FKと豪快なボレーで2ゴールをマークし、大会連覇を手繰り寄せる大活躍。「前回は“イチフナ”に初戦で当たって、何もできずに終わってしまったので、もっと1つ1つ着実に勝って上に行きたいです」と3度目の挑戦となる全国の舞台を力強く見据えた。

 ところが、ここから篠原が放ち続けていた光に影が落ち始める。総体予選決勝の翌週から生じた足の痛みが引かず、3週間近く練習のできない日々が続く。「『全国に間に合わないかも』と結構焦っていた」中で、何とかメンバー入りは果たしたものの、全国総体初戦の山形中央高戦は前半30分からの途中出場。スタメンで登場した2回戦の神村学園高戦もPKは決めたものの、自身のプレーには納得がいっていなかった。

 それでも広島観音高と激突した3回戦で、その存在価値を証明する。0-0で突入した後半アディショナルタイム。嶋林昂生からのクロスを収めた篠原は、左に持ち出しながら左足を強振。右スミへ向かったボールはゴールネットに激しく突き刺さった。ゴールの瞬間に足が攣り、交替を余儀なくされたのはご愛敬。「ゴールが入って篠原の方に行こうと思ったら足が攣っていて、『アレッ』てなって(笑) でも、アイツは最後の最後で点を決めてくれますから」とキャプテンの小野凌弥が話せば、本人も「ゴールを決めても攣って交替はカッコ悪いですよね」と苦笑い。準々決勝の対戦相手は、3年連続の対峙となった市立船橋。「前回はボールも持たせてもらえなかったので、自分のプレーを存分に発揮して絶対に勝ちたいです」と意気込む篠原。見事に舞台は整う。

「なんかもう… また何もできなかったです」。市立船橋戦後の取材エリアで、篠原はこう絞り出した。過去の2度と同様に1点差での敗戦だったが、「勝てない試合でもなかったし、自信にもなりましたけど、悔しさも感じました」と重田快が話したように、3度目の対戦が最も“イチフナ”に肉薄したのは間違いない。ただ、負傷を考慮された篠原は後半12分から途中出場したものの、流れに乗り切れず、今年も敗退のホイッスルをピッチで聞いた。「最初から出たかったですし、自分が入っても流れが変わらなかったので、まだまだ自分はダメだなと思いました」。懸ける想いも強かっただけに、その落胆も大きい。篠原にとって2度目となる夏の全国は、再び悔しさだけを募らせる結果となった。

 それから3週間後。取材で訪れたT1リーグのメンバーリストに篠原の名前はなかった。会場には姿を見せていた本人と、木陰に座りながら言葉を交わす。「インターハイの前にケガしたのがずっと治ってないという感じです」「みんながサッカーをやっているのに、自分はサッカーをやれないので、凄く歯がゆいです」。本音が顔を覗かせる。その直前。小野監督は彼に対して、厳しい見方を口にしていた。「言葉が上手ではない子なので、こちらに伝えてくるものが結構アバウトな状態なんですよ。もっとやれることはあるのに、それをやらないで来ている所があって、アイツのほんわかしている所は良い部分ですけど、そこは成熟して、大人としてやっていかなきゃいけない所だと思うんですよね」。

 篠原も指揮官の想いは重々承知していた。「“言葉足らず”とは言われていて、どう直せばいいのかわからないですけど、そこを考えていないというか、そこで理解できていないのがダメなんだと思います」「プレーで引っ張りたいというのもあるんですけど、声が大事だなと思うこともあって、言葉の数を増やさなきゃいけないというのは思っています」「監督にはずっと言われているので、頑張らないといけないですよね」。時折除く“ニコ~”といういつもの笑顔にも力がない。ボールを蹴ることのできない時間が続いていたことも相まってか、いつも以上に悩んでいるようにも見えた。

 ケガが癒え、戦列に復帰してからもなかなか調子が上がらなかったが、「自分がやらなきゃいけない」という想いを強く抱きつつ、高校生活最後の大会となる選手権の都予選を迎える。すると、初戦の東京実高戦で同点ゴールを、準々決勝の東大和南高戦で先制ゴールを、そして準決勝の東京朝鮮高戦でも2点目のゴールを挙げ、3戦連発でチームを決勝進出へ導く。

 準決勝の試合後。篠原はこう語っていた。「確かにインターハイであまりプレーできなかったのは悔しくて、今サッカーをできているのは嬉しいことなので、その喜びを表現したいというか、プレーで示せたらいいなと思っているんです」。サッカーができる喜びを噛みしめながら臨んだファイナル。10番を背負う彼にボールが入った時には、何かをやりそうな雰囲気が漂う。結果は重田の決勝ゴールを守り抜いた関東一が、2年続けて成立学園高を破る形で連覇を達成。「点を取った後は時間がメッチャ長くて、電光掲示板をずっと見ていて、『時間が消えたのにずっと続くな』と思っていたら、終わったので嬉しかったですね」と話した口調こそ普段通りではあったものの、安堵と嬉しさはこちらにも伝わってくる。「ずっとサッカーをやりたいのにやれなくて、凄くイヤな想いをした時期があったので、今は幸せですね」。自身4度目となる全国の舞台は3年間の集大成。意気込みを問われ、「今回はケガしていないので、出れると思うと楽しみです」と答えた口調にも、篠原らしさが帰ってきたような気がした。

「何もできずに終わったというのが今の心境です」と篠原が唇を噛む。昨年度の大会と同じ、開幕戦の駒沢陸上競技場。関東一は佐賀東高に0-2と敗れ、初戦で姿を消すことになった。率直に言って完敗。“カンイチ”らしさを最後までピッチ上で表現することができず、彼らの選手権は年を越すことなく、どのチームより早く終わってしまった。少し目を赤くした小野監督は多くの報道陣に囲まれながら、「選手は最後までよくやってくれたと思います」と教え子たちに労いの言葉を送る。

 タイムアップの瞬間を「真っ白になってあまり覚えていないです」と振り返る篠原は、いつも通り短い言葉で淡々と語っていく。「自分がやらなきゃいけないことがまったくできずに負けてしまったのが、申し訳ないと言ったらおかしいですけど、もっとやれたというのは自分の中で思っています」「チームに迷惑を掛けたので、そのチームに何も恩返しができないまま終わってしまったのが一番後悔していることです」。1つ1つのやり取りに悔しさが滲む。

 以前、彼がこう話していたのを思い出す。「自分がカンイチに入ってきて、ちょっとしたら関東大会に出て、インハイで全国ベスト4に行ってビックリしました」かつては“あと一歩”が遠く、全国出場を逃し続けてきた関東一だったが、総体予選は3年続けて、選手権予選も2年続けて東京を制し、晴れ舞台に立っている。そのすべてを知る今年の3年生が、新たな伝統を築いた学年であるということと同時に、ただ1人だけ3年間で4度の全国大会を主力として戦ってきた篠原の活躍が、“カンイチ”の後輩たちへと続く道標を力強く刻んでいったことも記憶にとどめておきたい。

 高校生活を振り返り、「『このチームに来て良かったな』というのは一番に思います。自分に対して真摯に向き合ってくれる監督だったり、コーチ陣の方々のおかげで自分は3年間で凄く成長できたと思うので、そこは感謝したいなと思います」と口にした篠原に、お決まりの質問を投げ掛ける。「楽しかった?」。最後にようやく“ニコ~”としたいつもの笑顔が、「はい!」という返事と共に少しだけ広がった。

「ここに来なかったらこの楽しさはなかったと思うので、本当に『カンイチに来て良かったな』と思います」。そう言葉を紡いだ背中が少しずつ遠くなっていく。大学経由でプロを目指すと明言している彼は、“カンイチ”での3年間をどう生かし、次のステージでどう変わっていくのだろうか。不思議な魅力を纏った篠原友哉の未来を切り拓く鍵は、きっと彼自身の手の中にある。

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