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SEVENDAYS FOOTBALLDAY by 土屋雅史

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[SEVENDAYS FOOTBALLDAY]:あの日、あのグラウンドで(山梨学院高・大石悠介)
by 土屋雅史

「縁ですね。素晴らしい縁に出会えて良かったなと。今大会がこの三重という開催地で良かったなと思います」。そう言って、決勝戦を終えたばかりの大石悠介は、まるであらかじめ定められていたかのような“縁”に想いを馳せる。あの日、あのグラウンドで涙を流していた中学生は3年後、そのすぐ隣のピッチで日本一のセンターバックになっていた。

 もともとは静岡県出身の大石。中学時代は東海大翔洋高等学校中等部に在籍していたものの、同校サッカー部のコーチであり、クラスの担任でもあった方と山梨学院高のコーチが同級生だった関係性に加え、親の勧めもあって、冬の全国優勝経験を有する青と赤の強豪校へと進路を決める。

 最高学年となってセンターバックの定位置を掴み、初めて主力として臨んだ今年の総体予選。大石にはどうしても勝ちたい理由があった。「僕は中学最後の大会だった東海総体の時に、三重で負けたんですよ。それで三重ってインターハイの会場を聞いた時に『来るしかない!』と思ったんです」。3年越しとも言うべき、因縁の地でのリベンジを誓う大石と、キャプテンの西澤俊を中心に堅い守備を誇る山梨学院は、県予選をいずれの試合も2点差以上で勝利し、4年ぶりとなる全国総体出場権を獲得。山梨代表として開催地の三重へと乗り込むことになった。

 初戦の前原高戦を5-0で乗り越え、2回戦で対峙するのは優勝候補筆頭との呼び声も高い市立船橋高。「こっちはもう150パーセントくらいの力を出さないと勝てないですよ」と安部一雄監督も苦笑交じりに語った難敵相手の一戦だったが、「市船には練習試合で2回勝っていて、『強いな』という想いはあったんですけど、勝つ自信はあったので、みんなで『勝てるぞ』と話していました」と大石がチームの雰囲気を明かす。
 
 開始早々の前半2分。市立船橋に訪れた絶好の先制機を、守護神の市川隼がファインセーブで凌ぐと、守備のリズムが生まれていく。そして23分。右に開いたエースの宮崎純真の折り返しから、市川大葵が左スミへ流し込む先制ゴール。山梨学院が1点のリードを奪って、ハーフタイムを迎える。

 後半は市立船橋の猛攻が続く中、守備陣は高い集中力で相手の攻撃を1つ1つ凌いでいく。1-0のままで迎えた後半のアディショナルタイムは何と8分。クーリングブレイクや飲水タイムがあったとはいえ、なかなか見ることのない数字にスタンドからもどよめきが起こった。「キツかったんですけど、勝ちたい気持ちの方が強かったですね。もう全身が攣りそうでしたけど、頑張りました」(大石)。

 永遠にも思える長い長いアディショナルタイムも消え去り、ようやくタイムアップの笛が聞こえる。「まだ優勝していないですし、優勝が目標なので何とも言えないですけど」と前置きした大石も「人生で一番を争うくらいの嬉しさがありました」と笑顔を見せた優勝候補撃破。チームは次のラウンドへと駒を進める。

 続く3回戦の高川学園高戦。再び大石にはどうしても勝ちたい理由があった。「中学3年の時に三重で戦った東海大会で負けたのが、鈴鹿の第2グラウンドだったんです。だから、県予選に勝って全国の組み合わせが決まった時に、3回勝つと第2グラウンドに戻れるって聞いたので、『絶対3回勝って、第2グラウンドに帰る!』と思っていました」。PK戦までもつれ込んだ熱戦は山梨学院に軍配が上がり、見事に全国で『3回勝った』大石は中学最後のゲーム以来となる、鈴鹿の“第2グラウンド”へと舞い戻る。

 8月11日。全国4強を懸け、3年ぶりに訪れた思い出のグラウンド。さらに大石にとって、対戦相手となった日章学園高は「中学2年の時に出た全中で負けた相手」でもあったという。「もう“日章”と“第2グラウンド”が揃って、これは負けられないなと思った」因縁渦巻く準々決勝。2度のビハインドを背負った山梨学院は、その2度とも執念を見せて追い付くと、後半28分に宮崎が勝ち越しゴールを叩き込み、この日初めてとなるリードを奪う。

 後半のアディショナルタイムはまたも8分。キャプテンの西澤が「こういう時間はこの大会が初めてなので、『ちょっと意味わかんないな』と思いました」と笑った時間も、丁寧に丁寧に消し去りつつ、35+7分には相手の決定的なFKを市川隼がビッグセーブ。失点を許さない。すると、市立船橋戦に続く長い長い8分が経過し、山梨学院の勝利を告げるホイッスルが“第2グラウンド”に鳴り響く。「ずっと『ここに戻ってきたいな』と思っていて、日章にも借りを返せて、あのグラウンドにも借りを返せたので、本当に良かったなと思います」。2つの借りはきっちり返した。あとは、みんなで誓った一番高い場所へ。

 その時、大石は「負けても勝っても悔いは残したくなかったので、もうやるしかない」と覚悟を決めていた。8月13日。“第2グラウンド”のすぐ隣にある鈴鹿メイングラウンド。桐光学園高と激突する、夏の日本一へ王手を懸けたファイナル。前半に奪われた1点を跳ね返せないまま、後半も最終盤に差し掛かったタイミングで、山梨学院のベンチはこの大会を通じて空中戦に威力を発揮してきた大石に、最前線へ上がるよう指示を送る。アディショナルタイムは、またも8分。初めてビハインドの状況で目にした “8”の数字。ただ、3番を背負った急造フォワードは不思議と落ち着いていた。

 保坂紘生からのフィードが裏へ抜けた。DFのクリアへ懸命に体を投げ出すと、ボールはエリア内で自らの足元にこぼれる。「あの時は結構冷静に見れていました。ボールが自分の所にこぼれてきて、敵が寄ってきて、中の川野(大成)も見れて、純真も奥に見えていて、これぐらいでいいかなと思って」左足のアウトサイドで中へ送ったボールを川野がスルー。飛び込んできた宮崎のシュートはゴールネットを確実に揺らす。

「自分で決められたら一番良いんですけど、ウチのエースは純真なので、純真をどう生かせるかを考えて前へ行きました」と話した大石のアシストは、自らも「まあ右足蹴れないんで(笑) 左でしか蹴れないんです」と笑った得意の左足で。土壇場で追い付いた山梨学院は、延長前半5分に宮崎のクロスがオウンゴールを呼び込んで見事に逆転。最終ラインに戻った大石と、その彼が「本当に最高の相棒」と称する西澤が軸となり、桐光学園の攻撃を凌ぎ続けたチームは、劇的な展開で決勝戦を制し、夢にまで見た“一番高い場所”の景色を見ることになった。

「もう、本当に経験したことがないくらい嬉しかったですね。『こんなに嬉しいことがあるんだな』って思いました」と振り返った試合終了の瞬間。一目散に応援スタンドへ駆け出していった大石の姿が印象深い。そのことを尋ねると、きっぱりこう言い切った。「あの最高の応援がなければ絶対に勝てなかったので、そこが勝因かなと思っていますし、この勝利は自分たちだけのものじゃなくて、みんなで勝ち獲ったものなので、サポートしてくれた仲間とか親とか、そういう人たちに本当に感謝したいです」。

 あの日、あのグラウンドで涙を流していた中学生は3年後、そのすぐ隣のピッチで日本一のセンターバックになっていた。「縁ですね。素晴らしい縁に出会えて良かったなと。今大会がこの三重という開催地で良かったなと思います」。大石悠介にとって過去の苦い記憶を払拭し、新たな歓喜の記憶を刻み込んだ“三重の夏”は、きっとこれからも彼の人生を彩り続けることだろう。

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