beacon

SEVENDAYS FOOTBALLDAY by 土屋雅史

このエントリーをはてなブックマークに追加

『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:超える(大成高・豊島裕介監督)
by 土屋雅史

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 かつて忠誠を誓ったカナリア色のユニフォームを目にしても、なぜか落ち着いている自分にはっきりと気付く。ここを超えなくては、悲願を引き寄せることはできない。それでも、カナリア色はただの“対戦相手”だと割り切ることができている。「実はまだ母校と戦ったことが公式戦では1度もないので、ウチが全国大会に行くチャンスの時は、やっぱり母校とやるのかなという、そんな気もちょっとしているんです」。少し前に口にしていたシチュエーションに直面した豊島裕介は、なぜか落ち着いている自分にはっきりと気付いていた。

 高校選手権で6度。全国総体で3度。過去9度もの日本一を経験している、高校サッカー界の“カナリア軍団”としてその名を知られる帝京高。豊島は1996年に同校の門をくぐり、サッカー部へと入部する。厳しい練習に食らい付き、レギュラーを獲得した3年時の選手権。準決勝の前橋育英高戦で憧れのピッチに立つと、2-2で迎えた終了間際に劇的な決勝ゴールを叩き出し、国立競技場に熱狂の渦を巻き起こす。決勝では東福岡高に敗れたものの、7番を背負った豊島は大会優秀選手にも選出。間違いなく将来を期待される存在だった。

 ところが、その後のサッカー界で彼の名前を聞く機会は限られていく。もともとプロ志望だったが、高校3年の時点でオファーがあったことはだいぶ後に知った。帝京大に進学するも、「やっぱりカテゴリーも上のレベルじゃなかったので悔しさはあって、どこかで切れてしまった部分はあったと思います」と豊島。大学卒業後にラストチャンスと位置付け、東京ヴェルディのセレクションを受けるはずだったものの、直前に膝の内側靱帯を負傷。「もうそこで『これは選手じゃない』と」自身の引き際を悟り、プレーヤーとしてのキャリアにピリオドを打った。

 以降は幼稚園生や小中学生のスクールコーチ、高校のアドバイザーなどを務めながら、少しずつ指導者の道を歩み出すと、2006年にサッカー部の強化を図っていた大成高に事務職員として採用され、監督に就任する。初めて任された“一国の主”。希望と期待を抱いて部員との対面を果たす。だが、そこはかつて自らが3年間を捧げていた環境とは天と地以上の差があった。

「本当に忘れもしないのは、最初にグラウンドに行ったら、敷いたマットの上であぐらをかいた生徒たちに『誰?』って言われて。茶髪の子がいて、腰履きの子がいて、当時はまだ“ROOKIES”はなかったですけど、本当にそんな感じでした」。試合に連れて行ったら、相手とケンカを始める選手もいた。「『オレはサッカーなんかいいから、アイツをボコボコにするんだ』とか言い出して(笑)」。ボールを蹴る段階以前の状況に頭を抱えつつ、まずやるべきことを整理する。

「『どこから手を入れようかな』と。それでまずは『3か月間試合させないよ』って。挨拶、荷物の管理、時間を守ること、仲間を大切にすること、って全部ルールを決めて、『これを全部守れたら初めて試合を組んであげる』って言って。そこからスタートしたんです」。とはいえ、生徒としっかり向き合うことの大切さを学んだのもこの頃だという。「彼らもちゃんと向き合ったら、本当にこちらに向き合ってくれたんです。みんな素直だったんですよ。だから、あの子たちのことも忘れていないです」。

 サッカー面でも以前は認識すらなかった大会を知ることになる。「『選手権の“地区予選”って何だ?』と。帝京は常にシードから全国に出るのが当たり前だったので、“地区予選”を知らなかったんです。でも、ウチはそこを抜けられないのが当たり前で、1回都大会に出た時に学校が凄くフィーバーしたんですよ(笑) 『これぐらいなのか…』と思いました」。

 すると、1人での指導に限界を感じ始めていたタイミングが、ある同級生の人生の岐路と交差する。高校時代のキャプテンであり、JFLのソニー仙台FCでプレーしていた藤倉寛が現役を引退し、教員を志望しているという話を耳にした豊島は、すぐさま行動に打って出る。「藤倉には『大成を受けろ』って勧めた上で、理事長の所に行って『コイツは絶対採ってください』って言って、何とか採ってもらえたんです(笑)」。

 豊島は2人の関係性をこう表現する。「彼はとやかく言うタイプじゃないんです。『オレが引っ張っていく』というよりはドスンと構えているタイプで、僕は気持ちが出てしまうタイプなので、うまくコントロールしてもらっていると思います。藤倉は本当に信頼できる男ですね」。2008年。今から11年前。まだ“地区予選”を抜けるのに一苦労していた頃。高校の同級生タッグが大成のグラウンドでスタートした。

 少しずつ選手も集まり出し、少しずつ結果も伴い始めていくが、豊島と藤倉が当たり前のように戦っていたような舞台までは辿り着かない。確実にチームとしての力が伸びている実感と、掲げた目標に到達しないジレンマ。さらに「やっぱりツラい想い、苦しい想いを一緒にしているので、『アイツらと一緒だったら乗り越えられる』と思って集めちゃいました(笑)」と豊島が笑ったように、2人の同級生に当たる日野寛もGKコーチとして加わり、帝京OBの3人体制でチームを運営していく中で、本格的なブレイクスルーは果たせないままに、時間は流れていく。

 2017年。藤倉が監督、豊島がコーチを務めていたタイミングで入学してきた選手たちを見て、豊島はあることに気付く。「今までの子たちとサッカーに対する姿勢がちょっと違うんじゃないか」。彼らとの初合宿の際に目にした光景は、いまだに鮮明に憶えている。「僕が忘れもしないのは初めて合宿に行った時に、今のキャプテンの杉田が集合の1時間前に1人でグラウンドに来て、用具をもう1回チェックしていて。その10分後に今の副キャプテンの宮脇がもう来ていたんです」。

 宮脇茂夫もそのことを記憶していた。「憶えています。中学の時はキャプテンをやっていて、普通の行動がそういう感じだったので、いつもの練習もギリギリには行かないですし、今も変わっていないです。高校に入ってから変えた訳ではないですね」。そういう選手たちが、この代には揃っていたのだ。

 豊島が帝京時代に一番の“売り”としていたのは走力であり、常に走る練習では先頭を走っていたほど。そういうメニューは豊富に持っていたが、この代にはそれを駆使する必要がないと判断した。「『こっちが与えるトレーニングを100でやって欲しい』と。それが1年生の時から根付いていて、こっちがコントロールをしてあげないと体が壊れちゃうくらい彼らはやってくれるんです」。今の3年生は、いわゆる“素走り”の練習をしたことがないそうだ。

 それは自分自身に対する新たなチャレンジでもあった。「僕は一番の強みを自分で封印したんです。そうすると、自分が考えないといけないじゃないですか。トレーニングでもそれを補える体づくりが必要なので、それを封印したことで『できていないのは自分の責任だ』って。昔は『オマエ、何でできないんだ』って感じていたことも、『ああ、教えられてないからできていないんだ』と思い始めることができたんですよね」。

“後輩”の影響は先輩たちの意識にもポジティブな変化をもたらした。「実は去年の3年生たちも、彼らに触発されて変わっていったんですね。もともと『遊びも好き』『サッカーも好き』が並列だったんですけど、今年の3年生たちは『サッカーが好き』がずば抜けて上にあったので、みんながそういう意識になっていって、ある意味で本気になったということでしょうね」。ようやく豊島の中で、自らの考える『サッカーが好き』の基準を十分に満たしたグループが醸成されていく。

 再び豊島が監督に復帰した昨年度の選手権予選。大成は初めて西が丘まで勝ち上がると、2人のJリーグ入団内定選手を擁する成立学園高を1-0で振り切り、とうとう全国大会出場に王手を懸ける。決勝の相手は国士舘高。悲願達成へ周囲の期待も大いに高まったが、結果は0-1の惜敗。一気に階段を駆け上がることは許されなかった。

 スタメンの半分以上が2年生というメンバー構成で経験したこの敗戦は、彼らの心に小さくない楔を打ち込む。「決勝まで行けたことは嬉しかったですけど、決勝で勝たないと本当に意味がないと思ったので、あの負けは大きかったですね」と話すのはセンターバックの金井渉。最後の最後で勝つことと負けることが、どれだけの違いをもたらすか。肌で感じた選手たちの決意もより強固になる。

 さらに、3人にとって帝京の後輩にあたるノグチ・ピント・エリキソンも新たにGKコーチへ就任し、より充実した体制を構築したが、杉田や宮脇、金井渉が最高学年になって最初の公式戦の関東大会予選でも、準決勝で東久留米総合高に2-3と競り負け、東京の代表権にはあと一歩で手が届かない。そして5月。運命の総体予選が幕を開ける。

 迎えた二次トーナメント。組み合わせが決まった時から、母校の名前は常に頭の片隅で意識せざるを得なかった。初戦で難敵の実践学園高を1-0で下した試合後。豊島はこう語っている。「実はまだ母校と戦ったことが公式戦では1度もないので、ウチが全国大会に行くチャンスの時は、やっぱり母校とやるのかなという、そんな気もちょっとしているんです」。帝京はトーナメントの“山”の一番上。お互いに勝ち上がれば激突するのは準決勝。2校が全国切符を手にすることができる東京の予選では、そこが決戦のステージとなる。

 準々決勝の堀越高戦は先制を許しながらも、延長で逆転に成功して2-1で辛勝。その1つ前の試合で、やはり延長の末に勝利を収めていた帝京との対戦が決まる。3度目となる代表決定戦への意気込みを問われ、答えた豊島の言葉が印象深い。「『揃ったな』って思っています。帝京と“決定戦”ができるのは『もう何かの縁かな』って。だから、『3度目の正直』という言葉を使いたいなと。でも、帝京なしでは僕はここにいないし、やっぱり母校愛はありますし、凄く良いチームですから、失うものはないのでチャレンジ精神でやっていきたいと思っています」。母校と初めて対峙する試合は、全国に行けるか、行けないかという結末だけが突き付けられる大一番。因縁に彩られた勝負の準決勝がやってくる。

 6月22日。かつて忠誠を誓ったカナリア色のユニフォームを目にしても、なぜか落ち着いている自分にはっきりと気付く。ここを超えなくては、悲願を引き寄せることはできない。それでも、カナリア色はただの“対戦相手”だと割り切ることができている。豊島はなぜか落ち着いている自分にはっきりと気付いていた。

 試合前。豊島は選手たちへ語り掛けた。「全員に目を瞑らせたんです。で、『今から言う言葉をみんな想像して。今日の試合が終わった時に、笑っている自分の顔を浮かべて。それだけでいい』って言ってから『笑ってたか?』って。『目を瞑って、笑ってる自分がいたか?』って。そう聞いたらみんな頷いていたので、『だったら大丈夫だ』と言い切って送り出しました」。

 その時を思い出して、宮脇は笑顔で語る。「家から勝つイメージしか持ってきていなかったですし、もうイメージはできていたので、そこでやっても変わらなかったです(笑)」。そう言ってから、付け足すように「でも、みんながそうとは限らないので、そこでみんながそういう意識を持っていけたのは、凄く良かったなと思います」と続けたあたりに、彼の人柄が滲む。きっと、みんなそうだった。豊島が思っている以上にきっと、みんなそうだった。選ばれた大成の11人が堂々とピッチの中央へ歩みを進めていく。覚悟は定まった。勝つしかない。もう、勝つしかない。

 不思議とPK戦は安心して見ていられたという。「『嘘でしょ』と思われるかもしれないですけど、全然緊張していなかったんですよ、僕自身。『大丈夫だな』って。なんか信じているというか、結果はどうであれ、彼らは悔いなくやってくるから、そこに対して安心感は凄くあったんですよね」。帝京9人目のキックがクロスバーを直撃する。大成9人目のキックがGKの逆を突き、ゴールネットへ吸い込まれる。隣には藤倉と日野が笑顔を湛えている。マットにあぐらをかいて座っていた、愛すべきヤツらとの出会いから13年。目標としてきた母校を超える格好で、全国大会へと出場するための切符は初めて豊島の手の中へ収まることとなった。

 2年前。豊島は1年生にある“予言”を与えていた。「ウチに入ってくる子は、中学校時代に優れた選手っていないんです。ただ、彼らが1年で入ってきた時に僕は『2年後、必ず君たちを全国に出すよ』と。『どこでやってたかなんて関係ない。この3年間でどう成長するかだから』って言ったんです」。おぼろげながら根拠はあった。「口だけではなくて、行動が伴っているのが今のこの子たちですから」。

 積み上げてきた日常は確信に変わる。豊島は嬉しそうに言葉を紡ぐ。「『試合に出ている人間は仕事をしない』とか、よく言われると思うんですけど、今でも3年生の彼らは仕事をするんですよ。だから、『コイツらはサッカーの神様がいるなら、たぶん愛してもらえるだろうな』というのを凄く感じているんです」。

 彼らを愛してくれているであろう“サッカーの神様”が与えてくれた、劇的なシチュエーションにも感謝の念がある。「試合中は母校ということを忘れていました。でも、自分の成長している姿を見せることが一番の恩返しだと、最後まで諦めずにやることが正しいことだと思っていたので、そういった意味では今日恩返しをしたと、僕は思っています」。試合が終わって少しした頃。日野は豊島に声を掛ける。「やっぱり最後は帝京だったな」。短いフレーズに、凝縮された想いがすべて詰め込まれていた気がした。

 意外にも高校時代はそれほど仲が良かった訳ではないそうだ。「正直、藤倉も日野も卒業してからの方が仲良くなりました(笑) 帝京ではみんなライバルなので自分の弱い所を見せられないですし、あまりプライベートは知らなかったんですよ。でも、今は毎年僕が計画して、年末に同期を呼んで旅行に行っていて。みんなに家族が増えた今でもそういうことをやっているんです」。

 この夏は3人での“沖縄旅行”が待っている。あるいは場所に誘われた他の同期も、南国の地を訪れるのではないだろうか。だが、とうとう母校を超え、晴れ舞台に臨む豊島の想いには少しの揺るぎもない。「もちろん3人で全国に行きたいという気持ちはありますけど、一番は選手たちですよ。彼らが輝く姿を見たいんです。ただ、それだけなので。最初は自信がなかった子たちが、東京を代表して行くチームになれたことを誇りに思っているので、また彼らと楽しんできたいと思っています」。

 きっとすべてが必要だった。プレーヤーとしての未来を諦めたことも。“ROOKIES”なヤツらと出会ったことも。藤倉と日野と同じ道を歩み出したことも。昨年の決勝で敗れたことも。すべてが繋がって、今ここに立っている。今年の彼らは次に何をやってくれるのだろうか。“サッカーの神様”は次に何を用意してくれているのだろうか。豊島がさまざまなことを“超える”時、そこにはいつも信頼の置ける同級生の、そして日々を共にする子供たちの笑顔がある。


■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」

▼関連リンク
●【特設】高校総体2019
SEVENDAYS FOOTBALLDAY by 土屋雅史

TOP