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SEVENDAYS FOOTBALLDAY by 土屋雅史

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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:空色の将(都立東久留米総合高・下田将太郎)
by 土屋雅史

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 幼い頃から憧れてきた舞台へ、別れを告げる瞬間が近付いてくる。1人で歩くことはできず、チームメイトの野崎稜凱に背負われて、ようやく大きな声援を送り続けてくれた空色のスタンドの前へ辿り着き、感謝の気持ちを伝え始めたが、少しずつ言葉が途切れていく。「そんなに泣くと思っていなかったんですけど、みんなの顔を見ていたら『終わっちゃうんだなあ』って」。都立東久留米総合高の230人をまとめる主将。下田将太郎の3年間は涙と共に、“2度目”の西が丘でその幕が降りた。

 キッカケは父親の存在だった。「お父さんが久留米高校出身ということもあって、小学生の頃からずっと久留総の試合を見に行っていました。今となっては笑い話ですけど、『オマエが久留総でプレーするようにずっと仕向けてきた』みたいな感じのことを言っていましたね(笑)」。水色ではなく“空色”と呼ばれるユニフォームを纏った高校生たちは、下田少年にとって尊敬の対象以外の何物でもなかった。

 特に覚えているのは、東京高校サッカー界の聖地と呼ばれるスタジアムで躍動する姿。「自分が小学生の頃に見ていた東久留米総合は凄く強くて、本当に憧れの気持ちもありましたし、特に西が丘で試合がある時はずっと見に行っていたので、空色のユニフォームを着て西が丘に立つことが本当に夢でした」。父親が秘めた思惑は、息子の未来を導く。『空色のユニフォームを着て、西が丘へ』。2017年4月。下田は桜舞う季節の校門をくぐり、東久留米総合高校へと入学する。

 200人を超える部員を擁したチームの中で、下田は2年時からレギュラーを掴んだものの、自身が描いていたような青写真は実現を見ない。2次トーナメント初戦敗退を突き付けられた総体予選に続き、選手権予選でもベスト16で同じ都立勢の国分寺高に0-1と競り負けると、その国分寺が西が丘のピッチまで辿り着いてしまう。かつては毎年のようにベスト4以上まで勝ち上がっていた東久留米総合だったが、聖地を経験することのないまま、下田たちにとっての高校ラストイヤーがやってくる。

 春先は快調そのもの。シーズン最初のトーナメントに当たる関東大会予選では、接戦を制しながら粘り強く勝ち上がり、準決勝でも夏の全国総体へ出場することになる大成高相手に、2度のビハインドを跳ね返しての逆転勝利を収め、本大会への進出権を獲得。ゴールを決める活躍を見せた下田も試合後に、「なんか『ああ、勝っちゃった。これで関東大会出場かあ』みたいな。でも、素直にメチャクチャ嬉しかったですね」と満面の笑顔。最高のスタートを切ったはずだった。

 ところが、2つ勝てば全国というシードをもらった総体予選では、初戦で駒澤大高に0-3とまさかの完敗。リーグ戦でもなかなか勝ち星を得られず、チームのバイオリズムは下降線を辿っていく。「『やはり粘りだけではダメだな』というシーズンを過ごしていた中で、その粘りすらも徐々になくなってきてしまって…」と明かすのは加藤悠監督。下田が掲げた目標は日々の向こう側に霞んでいく。

 大きな不安を抱えながら迎えた選手権予選。初戦で目白研心高を1-0と下し、次の西が丘を懸けた準々決勝で対峙したのは前回王者の国士舘高。前半から相手の圧力は強く、下田とセンターバックのパートナーを組む岩田蓮太を中心に、相手の攻撃を1つずつ凌いでいくと、後半1分にフォワードの松山翔哉がゴールまで30メートル近い距離からミドルシュートをゴールへ流し込み、劣勢の東久留米総合が先制点を挙げる。

 このまま負ける訳にはいかない国士舘のラッシュにも、「ウチはどのチームよりも技術が低い方なので、『気持ちの面で絶対に負けるな』ということは加藤先生にも3年間通して言われてきたことで、その気持ちがしっかり出せたので、ゴール前の攻防でうまく体を投げ出せたかなというのはありますね」と振り返る空色の主将。粘って、粘って、時間を潰し続けた東久留米総合のイレブンの耳に、タイムアップのホイッスルが届く。最後の最後で掴んだ『空色のユニフォームを着て、西が丘へ』。万感の想いが下田を覆い尽くす。

「この2年間は西が丘に行けなかったので、自分たちの代で行けるのは本当に嬉しいし、今まで関わって来てくれた人に感謝したいなと思います。西が丘で戦うということは、本当に東京都の高校生が目指す所だと思うので、負けてしまったチームの想いとか、そういうものを持って、責任感を感じて戦わなきゃいけないなというのはありますし、気持ちを前面に出して東久留米総合のサッカーをして、しっかり勝ち切ることができればいいなと感じます」。準備は整った。聖地が彼らを待っている。

 11月10日。味の素フィールド西が丘。良く晴れた青空の下、空色のユニフォームを纏った11人がピッチに歩みを進めていく。もちろん先頭にはキャプテンマークを巻いた下田の姿があった。「なんか正直『もっと緊張するかな』と思っていたんですけど、ワクワクの方が強くて」。ふとスタンドを見れば、空色の仲間たちが声を張り上げている。覚悟は決まった。小学生の頃から憧れ続けたこのピッチ。戦うしかない。楽しむしかない。

 準決勝ということもあってか、東久留米総合も関東一高も慎重なゲーム運び。ほとんどお互いにチャンスのないまま、時間が経過していく。ただ、この展開はある程度織り込み済み。「0-0で進めていけたらいいと思っていたので、押し込まれるシーンもあったんですけど、みんながハードワークして、しっかり抑えられたことで、ゲームが落ち着いた部分はありますね」と下田。夢の舞台を噛み締めながら、冷静に最後尾からチームを鼓舞する5番の背中が大きく見える。

 スコアレスで迎えた延長後半5分。ロングカウンターから歓喜の瞬間が訪れる。決めたのはまたも松山。実は殊勲のストライカーと何度も衝突してきた経緯を下田が明かす。「『もっと守備の部分で行けるだろ』という部分があって、自分もかなり厳しめに言ってきたんですけど、前はメッチャムカついてました(笑) それでも最近は本当にしっかり走ってくれるようになって、チームのために大事な試合で結果を残してくれて、本当に言い続けてきて良かったなと思います」。主将としての責任感が、このゴールを呼び込んだと言っても良いかもしれない。聖地を司る女神は東久留米総合に微笑んだ。

 11月16日。駒沢陸上競技場。決勝も東海大高輪台高に押し込まれ続けるが、戦い方にブレはない。下田の脳裏に父親からのメッセージが繰り返される。「『ここまで来たらもう楽しんで、勝っても負けても自分が思う存分やってくればいいよ』って言葉をもらったので、心置きなくやれたなって感じです」。後半のアディショナルタイム。コーナーキックに舞った岩田の頭がボールを相手ゴールにねじ込むと、ほとんど同時にタイムアップのホイッスルが吹き鳴らされる。

 何と4試合続けての1-0。驚異的な勝負強さを発揮し、8年ぶりの東京制覇を手繰り寄せた東久留米総合。「良い時もあれば、凄く悪い時もあって、結構山あり谷ありって感じでした。でも、最後の最後でこういう大舞台で、凄い応援の中でプレーできて、3年間頑張ってきて良かったなと思いますね」と胸を張る下田が誇らしげに笑う。西が丘を超え、駒沢を超えた先には、全国の猛者たちが手ぐすねを引いて待ち受けている。

 12月31日。空色のユニフォームを白のセカンドジャージに着替えた東久留米総合のイレブンは、“2度目”となる西が丘に帰ってきた。抽選の結果、全国大会の初戦で草津東高と対峙する舞台は、1か月半ぶりとなる聖地に定まっていた。圧倒的な空色がスタンドを包む中、下田を先頭に11人がピッチへと歩みを進めていく。

「2回も立てると思っていなかったので、凄く感慨深かったというか、ちょっと整列の時に興奮して泣きそうになっていたんですけど、そのぐらい“西が丘”は特別な場所ですね」。夢にまで見た晴れ舞台への帰還。しかも、そのステージは選手権という高校生にとって最高のそれ。だが、下田にとっての“2度目”は信じられないような事態に見舞われることとなる。

 前半8分。ピッチサイドに現れた第4の審判員が“5”と記された交替ボードを掲げ、鈴木亜藍が慌ててセンターバックの位置へと駆け出していく頃、既に下田の姿はグラウンド上のどこにもなかった。

「渡邉颯太くんが少しボールを流したので、届くと思ってスライディングしたら、思ったよりも渡邉くんの足が出てきて、そのまま巻き込まれちゃったみたいな感じで、『やっちゃったな』というふうに思ったんですけど、まあ、しょうがないかなと思いますね」。

 相手フォワードと競り合った際に、巻き込まれた右足が悲鳴を上げる。うずくまったまま、起き上がれない。その時間、まだ開始4分。ようやくピッチの外に出て、トレーナーと相談しながら少しだけ歩いてみるものの、自らの状況を悟る。「力が入らなかったので、『もう無理かな』と思いました」。下田にとって“2度目”の西が丘は、わずか8分間で負傷退場という形のピリオドが打たれた。

 羅針盤を失ったチームは荒れる。前半だけで3失点。ボランチの足立真がチームメイトの想いを代弁する。「将太郎という精神的な柱がいなくなっちゃったので、たぶん自分たちが思っていなくても『どうしよう』というのはあったはずです」。攻守に精彩を欠いて帰ってきたハーフタイム。交替を余儀なくされた主将も、言わずにいられなかった。「『もう下を向かないで、楽しんでやろう』と。『このまま終わったらもったいない』と」。

 後半13分。この日も松山がゴールネットを揺らす。「将太郎はいつも僕に怒っていましたけど、いなくなったらいなくなったで『頼もしい人がいないな』みたいな感じでした。やっぱり将太郎の存在はかなり大きかったんだなと思います」と口にしたストライカーが一仕事。1-3。スタジアムの空気が変わる。

 24分。今度は松山に続いて、柳田晃陽が得点を奪う。「ハーフタイムにもう一度スタンドを見て、出られなくて悔しい人たちがいるので、出ている自分がこんなプレーをしていて申し訳ないなと思って、気持ちを入れ直しました」と話すフォワードの一撃。もはや西が丘は完全に東久留米総合の“ホーム”となる。「『コレ、逆転まで行けるんじゃないか』と思って、ベンチでも興奮していました」と下田。その雰囲気は、明らかにあった。

 試合終了の瞬間、白いユニフォームがピッチに崩れ落ちる。ファイナルスコアは2-4。東久留米総合の冒険は、“2度目”の西が丘で終幕を迎えたが、誰よりも悔しいはずの下田は、苦楽を共にしてきた仲間の雄姿が何より嬉しかった。「この全国の舞台に来られただけでも自分たちとしては誇らしいことですし、最後の最後で自分たちの力は出せたので、本当に悔いはないなと思います」。帰ってきた仲間を笑顔で迎え、痛む右足を引きずりながら、主将として最後の仕事となる整列と挨拶に向かう。

 1人で歩くことはできず、チームメイトの野崎稜凱に背負われて、ようやく大きな声援を送り続けてくれた空色のスタンドの前へ辿り着き、感謝の気持ちを伝え始めたが、少しずつ言葉が途切れていく。「『みんなのおかげで全国に出られた』と、『本当にこの出た選手たちがしっかり頑張ってくれたので、自分自身悔いはない』と話して、後は感謝の気持ちを伝えて。そんなに泣くと思っていなかったんですけど、みんなの顔を見ていたら『終わっちゃうんだなあ』って」。西が丘を目指し、西が丘で終わった3年間が、滲んだ視界の先にある仲間の顔に重なった。

 加藤監督に付き添われ、右足を固定された下田が取材エリアへやってくる。用意された椅子に座った表情は、思っていたよりすっきりしているように見えた。「『オレがいなくてもこんなにできちゃうんだ』みたいな(笑) まあそれは冗談ですけど、本当に良い試合だったなと思います」。報道陣を笑わせる余裕が、何とも空色の主将らしい。

 父親への感謝も口を衝く。「お父さんは今日もゴール裏で写真を撮っていました。もう計画的な“犯行”だったと思うんですけど(笑)、やっぱり久留総に来て良かったなと、素直に3年間が終わってみても思いますね」。ゴール裏で見守っていた“先輩”も、同じ空色の意志を受け継ぎ、2度までも西が丘へ連れてきてくれた“後輩”に、きっと最大限の感謝を抱いていることだろう。

 最後に聞いてみた。「3年間、楽しかった?」。一瞬考えて、想いを吐き出す。「うーん、まあ、今となっては良い3年間と言えるかもしれないですけど、かなり厳しくて辛い3年間でもありました。でも、良い仲間に巡り合えたので、やっぱり良い3年間だったんじゃないかなと思います」。そう言い切った下田は、濃密な3年間を過ごした仲間の元へ消えていった。

 戦いの終わった西が丘の上空には、冬の澄み切った綺麗な青空が続いていた。水色ではなく“空色”と呼ばれてきた東久留米総合のユニフォームと、どこまでも青い空が瞼の裏で結び付き、ふとスタンドの仲間を前に、言葉を絞り出した下田の涙の意味を想う。心に刻まれた今日は、明日の自分を形作る。毅然とした態度で“空色の将”を務め切った18歳の青年の未来には間違いなく、あの空と同じくらいに無限の可能性が広がっている。

■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」

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