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SEVENDAYS FOOTBALLDAY by 土屋雅史

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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:2020年のキャプテン(FC東京U-18・常盤亨太)
by 土屋雅史

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 それは表彰式の時だった。準優勝チームのキャプテンとして、賞状を受け取るために1人で中央へ進み出る。その刹那。見上げた空は、どこまでも高かった。「ずっと泣いて下を向いていたので、最後は上を向こうと思って。そうしたら空が見えて、『終わったんだな』っていう気持ちと、『やっぱり楽しかったな』っていう気持ちが湧いてきました」。2020年のFC東京U-18を率いてきた闘将。常盤亨太(3年)が見上げた空は、どこまでも高かった。

 1月。FC東京U-18が新チームで臨む最初の公式戦。東京都クラブユースU-17サッカー選手権大会は常盤のゴールで幕を開けた。相手は大森FC。開始3分に佐藤恵介(3年)のラストパスへ走り込むと、華麗なループシュートでゴールを陥れる。

「自分がすべての局面に顔を出して、もちろん最後のフィニッシュ、アシストも含めて結果も残さなければいけないなと。そうしないと、今年1年で“上”には届かないかなと思っているので」と言い切るあたりに、アカデミーラストイヤーへの覚悟が滲む。『“上”に届く』ための時間がそれほど残されていないことも強く自覚していた常盤は、格の違いを見せ付けるようなパフォーマンスを90分間に渡って披露し続けた。

 左腕にはキャプテンマークも巻かれていた。その理由を中村忠監督は、こう説明する。「新チームを立ち上げてすぐの存在感とか、彼が躍動的な働きをするとチームは活性化されるし、逆に練習で彼が出し惜しみしたりすると、良くない方向になったり、良くも悪くも常盤の出来次第で左右される所を感じたので、責任感を芽生えさせるという形です」。

『良くも悪くも常盤の出来次第』という信頼と責任は、本人も十分感じていた。「去年から忠さんに使ってもらって、ある程度の信頼はもらっていると思っているので、キャプテンとしてチームを引っ張らないといけない立場だということは、結構自覚してやっているつもりです」。その上で、自身の目指すべき場所も明確に意識の中へ刻み込んでいく。

「個人としてはプレミアの舞台で活躍するのは当たり前で、J3でいかに力を出して、結果を残せるかが大事ですし、トップに届くか届かないかの勝負をして、ダメでも良い形で次の所に行けるぐらいの成長を求めてやっていこうと思います」。何よりも目標にしてきたトップチーム昇格とチームとしての成長。真剣に二兎を追う、常盤の2020年が幕を開ける。

 5月。彼らを取り巻く環境は、想像すらしていなかった事態に見舞われていた。新型コロナウイルスの影響で、1年での復帰を決めていた高円宮杯プレミアリーグの開幕も延期。同様にJ3リーグも開幕前に延期を余儀なくされる。東京という土地柄もあって、日常のトレーニングも自粛せざるを得ない状況に、不安は募る。

「休みが始まって数日で『(再開は)まだですか?まだですか?』という選手もいて、『今はまだサッカーやれる状況じゃないぞ』と抑えるのが大変ですよね。この子たちがサッカーから離れないように、いかに自主トレをやるかとか、この期間に何をしようとか、どういうことができるかとか、そういう方向に気持ちが向くようにするにはどうしたらいいんだろうというのは心配だったし、いろいろ考えましたね」と中村監督も苦しい胸の内を打ち明ける。

 常盤も早くボールを蹴りたい想いを隠せない。「自分が1年生の時に降格させた最後のピッチに立っていたので、『絶対プレミアに戻ってきて活躍したい』と思っていて、コンディション的にも2年からずっといい感じで来られていたんですけど、そこでいきなりなくなってしまったので、早くサッカーをしたいですし、活躍している姿をもっと見せたいなという想いがあります」。

 とはいえ、基本的には細かいことにこだわらないタイプ。「今までになかったコーチ陣との連絡とかが全部自分なので、『めんどくさいな』とか思いながらもやっています(笑)」。ちなみに好きな教科は数学。「答えまで行き付く過程が楽しいですし、自分が努力したらした分だけ力になってくるみたいな。サッカーは答えがないスポーツで、100点満点もないですけど、数学は100点満点があって絶対的な評価がしやすいと思うので好きですね」。意外な一面を覗かせた後、照れ笑いを浮かべる姿はピッチ上とのギャップがあって面白い。

 先の見えない状況にも、残された時間への決意は固かった。「自分は三冠という目標を今年も立てたいなと。ここから試合を重ねていく中で、自分の良さがどんどん出てくれば、最後にトップチームに上がれるかのふるいに掛けられるはずなので、個人としてトップチーム昇格を目指しながら、成長するために三冠を目指して、日々やっていきたいなと思っています」。

 だが、6月にはプレミアリーグの開催中止が決定。さらにFC東京はスタジアム確保が困難という理由で、U-23チームのJ3への参加辞退を発表する。それは常盤をはじめとした青赤の3年生にとって、強い意志で挑む覚悟を決めていた2つのコンペティションがなくなってしまったことと同時に、トップチーム昇格へとアピールする場が突如として奪われてしまったことも意味していた。

 9月。プレミアリーグ関東が開幕する。プレミアEAST所属チームの中から、関東に本拠地を置く8チームで構成された1年限りの特別なリーグ戦。ようやく訪れた公式戦の舞台を前に、常盤はチームを離脱していた。「夏にケガをしてしまって、3週間から1か月くらい練習もできなくて、結構メンタル的にはキツかったですね、プレミアにも間に合うかなという感じでした」。

 練習試合でも結果が出ず、プレミア開幕に暗雲が漂う。「でも、みんなもやっぱりオレがいないから勝てないとは絶対言わせたくないという想いがあったはずで、あまり勝てていなかった時に忠さんも『常盤がいないとダメか』と少し煽って、そこでみんなもまたやってやろうという雰囲気になったので、自分が戻った時にはまたさらに良くなったと思います」。

 キャプテンの不在は、結果としてグループの一体感を増す方向に針が振れた。「みんなが頑張っている姿を見て、練習に戻っても『このままじゃ試合に出れないな』というのがあったので、みんなには練習や試合から『もっとやらなきゃな』という刺激ももらいました」。少しおとなしかったチーム内で、活発な話し合いが行われるようになったことも嬉しかったし、仲間たちが今まで以上に頼もしく見えた。

 常盤も自身の変化を感じていた。「落ち込んでいるヤツとか調子のいいヤツとかが見えてきて、人によって声の掛け方を考えるようになりました。試合に出させてもらっている分、残さなきゃいけないものがあると思っていて、そういう所で1、2年生に言えることが増えたかなと感じていますし、チームとして強くなって来年のプレミアも優勝して欲しい気持ちもあるので、周りのことと自分のことを半々ぐらいで考えられるようになったかなと」。

 そして、この少し前。常盤はクラブから通達を受ける。何より切望していたトップチーム昇格は、見送られることとなった。

「単純に実力不足で、実際に(大森)理生が上がっている中で、自分の力が足りなかったんだと思います。1、2年までは甘えていたというか、U-18でも試合に出て、J3も出してもらって、それに満足していた訳ではないですけど、どこかでそれが当たり前になっていたのかなと。もっとサッカーに真剣に向き合って、もっとプロになるためにどうすればいいか考えろ、という意味でのコロナの期間だったと捉えています」。

「でも、“リバウンドメンタリティ”というか、もともと自分は中1の時も高1の時も試合に出ていない所からのスタートだったので、そこから這い上がっていく所でやってきて、ここでやらなかったらそれまでの選手ですし、正直『見返してやる』という気持ちも強くて、『アイツを上げれば良かったな』と思わせるぐらいのプレーを、ここからやってやろうと思ってます」。

 何とか開幕に間に合ったプレミア関東では圧倒的な存在感を発揮。その際立ったパフォーマンスに周囲から感嘆の声が漏れたのも、一度や二度といったレベルではない。トップ昇格を叶えられなかった事実を、絶対に成長に繋げてやるという執念のようなものが、常盤の全身から放たれていた。

 11月。3年生はトップチームのグラウンドに立っていた。ACLが行われるカタールへの遠征メンバーが日本に帰国した際、14日間の隔離期間が適用されることを考慮すると、J1の試合に出場することが困難なため、そこでの起用も視野に入れた練習へ参加することになる。

 普段慣れ親しんだ“人工芝”の隣の“天然芝”で、トップチームの選手と汗を流す。常盤は毎日の練習がとにかく楽しかった。「ずっと言われていたことは、相手との距離を詰めてボールを奪い切る所だったり、抜かれてもすぐ戻る所で、そういう部分を長澤徹さんは“ヘビメタ”って言っていたんですけど(笑)、『“ヘビメタ”で行こう』というのを合言葉にみんなでやっていましたね」。

 ある選手の存在は、“後輩”としても大いに感じるところがあった。「矢島(輝一)選手みたいな人がみんなから信頼されるんだろうなっていうのは、すぐにわかりました。絶対プロの選手と一緒にやった方が矢島選手にとってもいいはずなんですけど、自分たちを普通に受け入れてくれて、一番先頭で戦ってくれて。自分もああいう人になりたいなと思います」。

 結果的に隔離期間の適用が緩和され、カタールからの帰国組も出場可能となったことで、3年生がJ1の舞台に立つことはなかったが、この2週間は彼らにとってかけがえのない時間になったと常盤は振り返る。

「あの2週間の経験は本当に大きくて、特に3年生がみんなでJ1に向かうという気持ちの中で、本当に高いテンションで毎日練習できていて、結果は叶わなかったですけど、そこで1つレベルアップしたなというか、殻を破れたなと。それは自分もそうですし、みんなもそう感じていたと思います」。失ったものと同じくらい、多くの大切なものを得て、1年間の集大成となるクラブユース選手権へ視線を向ける。泣いても、笑っても、アカデミーでの最後の大会がやってくる。

 12月29日。常盤は“チームの力”を誰よりも実感していた。クラブユース選手権準決勝。大宮アルディージャU18との試合は、押し気味に進めながらもゴールが遠い。もつれ込んだPK戦。3人目のキッカーとして登場したキャプテンは、枠の右側へキックを外してしまう。

 ここで奮い立ったのは西山草汰(1年)。準々決勝で負傷した彼島優(2年)の代役として、急遽起用されたGKは「亨太くんが一番強い想いを持って戦っていたので、自分がやらないといけないと思いました」と相手の4人目、5人目と連続セーブを披露し、決勝進出を手繰り寄せる。「本当にみんなのおかげですし、もう西山さんには頭が上がらないです」と笑った常盤も、試合終了直後には思わず涙を流していた。

 2回戦で負傷した右手の親指には入念にテーピングが施されている。「最後の大会なんですけど、高3では最初の全国大会ですし、ここでやらなかったらいつやるんだということで、多少の痛みは関係ないですね。正直痛いですけど、そんなことは言っていられないですから。でも、右手は使えないので、ゴハンは左手で食べています(笑) そういうのは不便ですね」。

 みんなのおかげで辿り着いた決勝。積み上げてきた想いが昂る。「FC東京には深川時代から6年間お世話になって、このアカデミーにまだ自分は何も恩返しできていないので、ここで優勝して恩返ししたいです。自分ができるプレーを100パーセントでやりたいですし、今は良い雰囲気で来れているので、この雰囲気を維持したまま、自分がみんなの先頭に立って戦う姿勢を見せたいと思います」。文字通りの集大成。今度は自分がみんなを一番高い所へ連れていく。

 ピッチに青赤の選手たちが次々と崩れ落ちる。12月30日。決勝。先制し、逆転を許し、追い付いたゲームは、後半45分に決勝点を叩き込まれ、サガン鳥栖U-18の軍門に降る。3年前。常盤もプレーしていたFC東京U-15深川は、高円宮杯の決勝でやはり鳥栖U-15に敗れている。因縁の相手との、因縁の一戦。携え続けてきたリベンジの想いは、またも果たすことができなかった。

「終わった瞬間に実感がなくて、笛が鳴った瞬間でも『まだできるんじゃないか』と思って。でも、仲間の顔が見えた時に『自分たちが負けて終わったんだな』という想いで、悔しさがその次に来ました」。常盤も突っ伏したまま、しばらく立ち上がれない。健闘を称えに来た鳥栖のキャプテンを務める兒玉澪王斗(3年)に促され、ようやく起き上がって整列に向かう。

 一番泣いていたのは佐藤だった。思えばこのチームは佐藤のアシストから、常盤のゴールで始まった。3年前にも決勝で負けた経験を共有している2人。涙の止まらない佐藤の頭を、常盤が優しく撫でる。

「恵介も熱い気持ちがあるヤツで。『ああ、また負けるのか』って。『優勝したかったな…』って言っていて、それがすべてかなと。やっぱり世間から見たら結果がすべてで、たぶん鳥栖が優勝したということしか残らなくて、FC東京が2位だったとか頑張ったとか、そういうことはほとんどの人が覚えてすらいないと思うので、やっぱりサッカーをやっている以上は結果を出したかったですね」。

 ただ、この1年間でチームが成長できたという手応えは、キャプテンの中にはっきりとした確信があった。

「最初は3年生も本当にバラバラで、自分のやりたいこととか言いたいことを言い合っていて、『本当にこれでいいのかな』と感じていたんですけど、当たり前にやっていたサッカーができない時間があったからこそ、プレミア開幕の前にもう1回1つになろうと思えて、プレミアで勝てなかったからこそ、この大会に懸ける想いをもう1つ高く掲げることができて、一番弱いと言われていた3年生みんなが成長したなと。今日は負けてしまったんですけど、その成功体験というか、みんなが力を付けられたというのは1,2年生にも見せられたなと自分は思っています」。

 2度目の全国準優勝。ただ、常盤の中には前回と違う感情が渦巻いていた。

「3年前に負けた時は悔しさがずっとあって、『何で負けたんだろう』って考えていたんですけど、今日は少し清々しいというか、『今日の負けだったらしょうがない』と思って。3年前より今日の方が自分自身楽しめていて、みんなと一体感を持てて、1つの目標に向かってやっていけたという楽しさが自分の中で先にあって、そこが違った所かなって。だから、みんなに感謝したいです」。

 それは表彰式の時だった。準優勝チームのキャプテンとして、賞状を受け取るために1人で中央へ進み出る。その刹那。見上げた空は、どこまでも高かった。「ずっと泣いて下を向いていたので、最後は上を向こうと思って。そうしたら空が見えて、『終わったんだな』っていう気持ちと、『やっぱり楽しかったな』っていう気持ちが湧いてきました」。涙の跡の残る表情で見上げた空は、どこまでも高かった。その顔が少しだけ笑っているように見えたのは、気のせいだっただろうか。

「やっぱりこの仲間と、最後の試合までできたことが一番嬉しくて、負けてしまったんですけど、そこは自分にチームを勝たせる力がまだなかったということで、逆にこの決勝に来るまでずっと仲間に助けられてきた感謝と、本当にこの3年間、深川から6年間、みんなと一緒にサッカーができて楽しかったです」。

 時が経つにつれ、誰もが様々な記憶を重ね続けていく。それでもこの素晴らしいチームの“2位”という結果は、この素晴らしいチームが“頑張った”という事実は、きっと少なくない人が心の中に刻み込んだはずだ。そして、そのチームのど真ん中に常盤亨太というキャプテンがいたことも、2020年という特別な年の思い出と共に、きっと少なくない人が語り継いでいくことだろう。

■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」

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