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SEVENDAYS FOOTBALLDAY by 土屋雅史

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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:凱旋の記憶(米子北高・小島優翔、飯島巧貴)
by 土屋雅史

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 生まれ育った故郷への凱旋は、思い描いていた想像とは違う静かなものだったが、それでもなお、残された1年で自分自身を磨き、かの地に行った理由を証明するための小さくないモチベーションになった。「今はなかなか試合に出られていないんですけど、私生活から改めて、サッカー面も1つ1つ見直していって、そこからどんどんレベルアップして、選手権に出場して、全員で優勝を目指したいです」(小島優翔)「今はまだBチームなので、小島と自分で一緒にスタメンを獲りたいという気持ちはありますし、もっと自分自身に期待できるように頑張ります」(飯島巧貴)。米子北高(鳥取)で勝負している群馬県出身のセンターバックコンビ。小島優翔(2年)と飯島巧貴 (2年)。日々奮闘中。

 3月6日。2021プーマカップ群馬初日。第1試合で名古屋グランパスU-18(愛知)と対戦していた米子北は、ハーフタイムを挟んでフィールドプレーヤー10人を全員入れ替える。改めて背番号と選手名を確認していると、あることに気付いた。25人の名前が記載されているメンバー表の中で、2人だけの前所属にあった“前橋”の文字。小島優翔は前橋ジュニア出身。飯島巧貴は前橋FC出身。センターバックとして並ぶ2人の選手にとって、この日は地元への“凱旋”試合だったのだ。

「自分は桐生第一と迷っていて、前橋育英を倒したいという気持ちもあったんですけど、やっぱり親元を離れることで、親への感謝の気持ちとかをしっかり感じながら、厳しい環境で自分を鍛えたいと思って選びました」。前橋ジュニアの先輩が進学していた縁もあり、小島は米子北への越境入学を決める。

「前橋育英か健大高崎とか、県内の高校を元々考えていた中で、前橋FCの監督だった湯浅(英明)さんが中村(真吾)監督と知り合いで『米子北に行ってみないか?』と。結構迷いましたけど、昌子源さんみたいに守備の良い選手が出ていることを知って、自分は守備的なポジションなので、そういう憧れもあって決めました」。一方の飯島も当初は県内での進学を考えていたが、熟考の末に米子北の門を叩く決断を下す。

 初めて経験する寮生活。毎日の生活に慣れていくことが求められる状況下で、飯島にも今までの恵まれた環境へ感謝の念が湧いた。「あっちに行ってからは洗濯とか家事も自分で全部やらないといけないので、親のありがたみはわかりましたね」。

 もちろんサッカー面でも、レベルの高い仲間と切磋琢磨していく。「『このくらいのパススピードでは通用しないな』と気付きましたし、技術的な部分もサッカーに対する考え方も、まだまだ足りていないと痛感しました。でも、自分が思っていた通り厳しくて、『こういう所じゃないと成長できないな』と感じられたので、それは良かったです」と小島。苦しみながら、もがきながら、少しずつ、少しずつ、自分の色を纏っていく。

 そんな彼らには1つの目標があった。春先に毎年開催されるプーマカップ。会場は群馬。いわば地元に“凱旋”するチャンスになる。「自分が中学3年生の時に、今の大学1年生や2年生になる米子北の先輩たちの試合を目の前で見ていたので、『自分も米子北に入ったら絶対に帰ってこよう』と思っていました」(小島)「年に1回しかない群馬でプレーするチャンスなので、入学した時からずっと楽しみにしていました」(飯島)。

 ところが、昨年の大会は新型コロナウイルスの影響で中止に。さらに、彼らが最もその出場を望んでいた群馬県開催のインターハイも、同様の理由で中止を余儀なくされる。2人にとって残された“凱旋”の機会はわずか1回のみ。「去年の大会がコロナで中止になってから、『これからの1年間はもっと頑張ろう』と思って、ずっとプーマカップを意識していました」と飯島。高校選手権でのメンバー入りは両者ともに果たせなかったが、年が明け、新チームが発足してからも努力を重ねる。

 3月。発表されたプーマカップの遠征メンバーは25人。その中に小島と飯島の名前があった。「ここは絶対に選ばれたかったので、嬉しかったです」。2人の想いを小島が代弁する。無観客での開催ということもあり、感謝の意を伝えたい多くの方々にプレーする姿を見てもらうことは叶わないと知りながら、はやる気持ちを抑えつつ、地元へと向かうバスに乗り込む。

 そして迎えた初日。意外な事実を知る。大会スケジュールの変更に伴い、当初は予定されていなかった前橋育英高(群馬)との試合が組まれていたのだ。名古屋U-18、長崎総合科学大附高に続く、彼らの3試合目がその一戦。すべてが大事な真剣勝負の機会ではあるが、どうしても特別な気合は入る。

 15時30分。前橋育英戦のキックオフを告げる笛を、2人はベンチで聞く。出場は後半から。気持ちを高めていく飯島の耳には、懐かしい声が響いていた。「湯浅さんが育英のベンチに座っていて、いろいろと指示していたので、その声を聞いたら『ああ、懐かしいな』って。ちょっとそういう気持ちはありましたね」。恩師に成長した姿を見せたい。さらなるモチベーションが加わる。

 チームは1-0とリードしてハーフタイムへ。後半のピッチへと向かう飯島には、意識せざるを得ない選手がいた。前橋育英のフォワード、野本京佑 (2年)。前所属は前橋FC。中学時代のチームメイトだ。「今日久々に会って、試合前には『久しぶり。最近どう?』みたいな、今の状況とかを話しました」と飯島。ポジション的にもマッチアップは確実。闘志が沸き立つ。

 後半12分。一瞬の隙を突き、前橋育英は同点に追い付く。スコアラーは野本。かつての仲間に食らった痛恨の一撃。「前のチームメイトにゴールを獲られるのは避けたかったので、『マジかよ。やられたな』と思いました」(飯島)。以降も攻め立てられる展開の中、何とか小島と飯島も必死に食い下がり、1-1のドローでタイムアップ。様々な想いが詰まった35分間は、少し苦い記憶を伴って2人の脳裏へ刻まれた。

 センターバックには強烈なライバルも複数控えており、ポジションは約束されていない。それは承知した上で、彼らには簡単に諦めたくない理由がある。

「今回も鳥取県を代表してここに来ているので、僕らは背負っているものが違うと感じています。県のトレセンで一緒にやっていた子も育英にいて、その子たちが頑張っていたりしているのを見たことで刺激にもなって、『自分ももっと頑張らないと』と思いました」(小島)

「湯浅さんがメッチャ大きな声で指示を出していたので、『あの人、相変わらずだな』みたいなことを野本と話しました(笑) 米子北で人間的な部分はとても厳しく教えてもらってきたので、そういう部分は成長したかなと感じていますし、あと1年間頑張っていきたいなと思います」(飯島)。

 生まれ育った故郷への凱旋は、思い描いていた想像とは違う静かなものだったが、それでもなお、残された1年で自分自身を磨き、かの地に行った理由を証明するための小さくないモチベーションになった。米子北で勝負している群馬県出身のセンターバックコンビ。小島優翔と飯島巧貴。日々奮闘中。


■執筆者紹介:
土屋雅史
「群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。株式会社ジェイ・スポーツ入社後は番組ディレクターや中継プロデューサーを務める。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」

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