beacon

蹴活生ガイド2021(関西) by 森田将義

このエントリーをはてなブックマークに追加

[蹴活生ガイド2021(関西)]今でも忘れられない4年前の夏。大阪経済大MF澤田理玖は恩返しのために鳥取への””帰”を目指す
by 森田将義

 2017年7月17日のことを大阪経済大のMF澤田理玖(4年=鳥取U-18)は、今でも鮮明に覚えている。当時、ガイナーレ鳥取U-18の右サイドバック(SB)としてプレーしていた澤田は、群馬県でクラブユース選手権(U-18)に挑んでいた。グループリーグの初戦で強豪・鹿島ユースから勝ち点1をもぎ取ったチームは、横浜FCユースと熊本ユースから白星を奪い、グループ2位でノックアウトステージへと進出。トーナメント初戦で、浦和ユースと対戦した。勢いのまま試合を進めたかったが、前半6分にMF井澤春輝(現北九州)に先制点を献上。30分に澤田のミスからDF荻原拓也(現京都)に2点目を許すると、澤田はその直後の33分に足を攣らせて、交代を余儀なくされた。元気印を失ったチームの勢いは更に低下し、最終的には1-3という結果に終わった。

 高校2年生でU-18の定位置を掴んでからは、トップチームの練習に度々参加してきた。「鳥取は土地柄もあって、暖かい人が多い」と評するトップチームの指揮官やコーチ陣からのアドバイスもあり、持ち味の走力を活かした攻撃参加に磨きがかかった。

 3年生になるとトップチーム昇格への想いがより強くなったが、「浦和戦で足が止まって、これじゃプロでやれないと思った。プロは目指していた舞台だったんですけど、力不足なのが悔しくて。代えられた直後に、監督に『大学に行ってきます』と伝えました」。澤田は一呼吸置いて、こう続ける。「ずっと泣いていた記憶だけが残っています。今でも失点シーンは覚えていますし、忘れちゃいけないと思っています」。

 そこからは最後まで戦い続ける選手になろうと強く決心した。ユース時代から体力アップを目指し、練習後に30分間かけて有酸素運動を行ってきたが、大阪経済大に入ってからも「雨が降っていてもやらなくちゃいけない」とひと時も欠かさすことなく、続けてきた。そうした努力もあり、2年生の頃から一度も試合で足を攣っていないという。

 大学1年目は右SBでのプレーを続けたが、2年目にボランチが不足していたチーム事情により、”頑張れる”タイプである澤田に白羽の矢が立った。コンバートされた当初は「ボールを失ってしまうんじゃないかって思い、最初は受けるのが怖かった」が、試合映像を見返し、分からないことがあれば中田雄一朗監督やスタッフに話を聞きに行く真面目な性格が功を奏し、徐々に自らのモノにしていった。

 持ち前の走力と頑張る姿勢は前からのプレスや、セカンドボールの回収などに活きている。SB時代にクロスを上げることで培ったキック精度も、展開力に繋がっている。攻撃への貢献度と精度は高校時代と比べて格段に上がっており、今のプレーを見ていると、ボランチに“なるべくしてなった”のかもしれない。

 トップチームへの昇格を自ら断った4年前の夏とは違い、プロでも活躍できる自信はついている。「ずっとトップチームを目指してやってきたし、ガイナーレに育てて貰ったので、鳥取のために何か恩返しがしたいと思っています。大学で経験を積んで、即戦力として帰りたいという気持ちは年々強くなっています」。1部リーグに復帰した今年は、成長した姿を多くの人たちに見てもらうチャンスだ。「あの時に涙があったから強くなれた」と言い切れるよう、大学生活の最後まで走り切る。

※大阪経済大は4月24日・25日の第2節で大阪体育大と初戦

執筆者紹介:森田将義(もりた・まさよし)
1985年、京都府生まれ。路頭に迷っていたころに放送作家事務所の社長に拾われ、10代の頃から在阪テレビ局で構成作家、リサーチとして活動を始める。その後、2年間のサラリーマン生活を経て、2012年から本格的にサッカーライターへと転向。主にジュニアから大学までの育成年代を取材する。ゲキサカの他、エル・ゴラッソ、サッカーダイジェストなどに寄稿している。

▼関連リンク
蹴活生ガイド2021(関西) by 森田将義

TOP