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【クラセンの思い出 vol.2 齊藤聖七(流通経済大)】「凄く特別なものだったので、優勝カップを持った瞬間は重みが違いました」

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 ゲキサカでは7月25日に開幕する、第45回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会に向けて、過去の大会で日本一を経験した選手たちにインタビューを敢行!『クラセンの思い出』と題し、当時の大会にまつわるさまざまな思い出を語っていただきます。第2回は流通経済大のFW齊藤聖七選手。2018年大会で清水エスパルスユースのキャプテンとして、決勝戦でもゴールを挙げた齊藤選手に、お話を伺いました。

――まず“クラセン”と聞くと、どういうイメージがありますか?

「短期間で行われる大会で、自分は日本一になっているので、その思い出が一番に浮かんできますね。ただ、どんどん年を重ねていくごとに、『ああ、もうあんなに前のことなのか』と。今でも鮮明に覚えているので、その印象があります」

――夏休みでの開催、静岡から離れた遠征、みたいな部分での楽しさはありましたか?

「ありました。『夏はクラセン』というイメージがあるので、そのクラセンの連戦期間は、負ければ帰ることになるんですけど、勝てばずっと残れるじゃないですか。みんなでホテルに泊まれるのも楽しいですし、その思い出はありますね」

――では、先にピッチ外の思い出から聞かせてもらえますか?(笑)

「はい(笑)。たぶん平岡(宏章)監督の考えだと思うんですけど、自分たちは試合前日にいつも温泉施設に行くんです。ほぼ毎日のように近くの温泉施設に行って、みんなで身体を休めて、というのがクラセンのルーティンで、それは毎年だったので、(川本)梨誉たちの代もそれをやったと聞いていますし、もうずっと続けているのだと思います。その楽しみはありましたね」

――そういえば、準決勝と決勝の間の1日は平岡さんが『自由に遊んでいい』という日にしていましたよね?

「あの日ももともと練習の予定が入っていたんですけど、平岡さんが『もう練習はいいや』って言い始めて。『もう遊んで来い』と(笑)。ビックリしました。各自でしたいことをして、みたいな感じでしたね。もちろん賛否両論はあると思いますが、平岡さんはかなり選手想いの監督なので、選手のことを第一に考えてくれるような人だからこその提案というか、『さすがだな』と思いましたね」

――ちなみに齊藤選手は何をしていたんでしたっけ?

「僕はボーリングをしていました(笑)。3年生たちと一緒に新宿へ行きましたね」

――それは結果的に優勝に結び付いたんですか?(笑)

「どうなんですかね。それが特に結び付いたとは思わないですけど(笑)、リフレッシュという意味では、普段静岡に住んでいると、東京にはそうそう出てこないので、そういう雰囲気を楽しみつつ、メンタル的には回復できましたね。中2日ぐらいでずっと試合をしていましたから。群馬でも“スポッチャ”に行ったんですよ。平岡さんが『スポッチャ行くぞ』って言って、メッチャ遊びましたね。『練習よりキツいんじゃないか』ぐらいにみんなではしゃいで(笑)。平岡さんはサッカーと、もう片方の日常をコントロールできるのが凄いなと思いました」

――大会自体の印象はいかがですか?

「結構波乱が多かったと思うんです。誰もが勝つだろうと思っていたチームが負けていったイメージがありますね。その時のプレミアリーグEASTの首位で、僕たちも何もできずに負けた鹿島アントラーズユースも、決勝ラウンドですぐに負けてしまいましたし、決勝戦もサンフレッチェ広島ユースが来るかなと思っていたら、大宮アルディージャユースが勝ったりして、プレミアとかプリンスとか、そういう力の差みたいなものは全く関係のない、トーナメント特有の結果なのかなと。自分たちも上に行くとは周りも思っていなかったはずなので、そういうこともあって、いろいろ楽しい大会でした」

――最も印象に残っている試合はどの試合ですか?

「準々決勝の浦和レッズユース戦です。西が丘の準決勝が懸かった試合で、とりあえずみんなの中では西が丘を目標にしていたので、チームの雰囲気も悪くなかったですし、ラウンド16で三菱養和(SCユース)にもしっかり勝って、行けると思っていたんですけど、雨も降っていて難しい試合でしたね。最後はPK戦で勝ったんですけど、そういう難しい試合をモノにできた瞬間に、『ああ、これは優勝まで行けるな』という確信がありました」

――齊藤選手も3人目のキッカーとして、PKを成功させています。

「あの時の相手のキーパーが鈴木彩艶選手(現・浦和レッズ)だったんですよ。もう大き過ぎて、手を広げられたら『うわ、隙間ないよ』と(笑)。後ろで並んで見ている時は感じなかったですけど、ボールを置いてパッと顔を上げた時に迫力はハンパなかったですね。あの時で高校1年生でしたっけ。噂には聞いていましたけど、『凄いな』と思いました」

――準決勝のアビスパ福岡U-18戦の試合後に、平岡監督が『聖七は熱中症気味だった』と話していたのが印象に残っています。

「西が丘というのもありましたし、観客もいて、たぶん緊張もあったと思うんですよね。もう最初のスプリントで息が急に上がってしまって。あの試合は最初の飲水タイムまでの時間が凄く長かったんですよ。結構視界もフワッとなっていたので、本当だったらハーフタイムで代わっている予定だったんですけど、前半で決定機を2本外していて、『後半は絶対決めます。出してください』と言って、後半も出たんですよね。最後は75分ぐらいに交代して、それまでほとんどフルで出ていたので、結構悔しかったですけど、自分の代わりに出た(山崎)稜介が決めてくれたので、あの試合は1個下の代に助けられましたね」

――そこで終わらなかったのが齊藤選手で、ボーリングの効果もあってか(笑)、決勝で点を獲ってしまうのが、10番でキャプテンを任されている所以でしたね。あの試合はいかがでしたか?

「自分が絶対に点を獲らないといけないとは思っていたんですけど、そこまでガチガチにはなっていなくて、結構リラックスしながら、フラットに試合へ入れたんですよね。あの時のチームのテーマが『JOY』で、『その場を楽しもう』ということが10日間のチームのテーマとして掲げられていたので、全国大会の決勝なんて、この先にも1回あるかないか、みたいな舞台じゃないですか。自分はエリートの階段を上がってきていない選手で、中学時代も街クラブからずっと頑張ってきたので、全国大会に出ることがまず凄いことでしたし、楽しくて仕方がなかったですね。それがうまく行ったのか、あのゴールはコースを見ながら蹴れましたし、しっかり決められて良かったです。そこまであまりゴールを決められていなかったので」

――綺麗なワンツーからのゴールでしたね。

「あれは自分のキャリアの中でも、ベストの方に入るゴールです」

――タイムアップの瞬間はどういうことを考えましたか?

「何が何だかわからなかったですね。凄く疲れましたし、とりあえず膝からピッチに崩れ落ちて。実感がそもそも湧いていなかったんですよ。その日は余韻もあって寝れなかったですけど、やっぱり『日本一って凄いな』って。本当に中学生の3年間は全国大会に出るなんて想像もしていなかったですし、将来自分が日本一になるなんて思ってもみなかったので、夢のような時間でしたね」

――日本一のカップを掲げるのって、どんな感覚なんですか?

「重かったです。僕はチームメイトが凄く好きだったので、自分が交代した準決勝でみんなに助けられたこともそうですし、それ以外にもいろいろなところで助けてもらいましたし、本当に良いチームだったんです。だから、凄く特別なものだったので、優勝カップを持った瞬間は重みが違いました。個人で掴み取ったわけではなく、確実にみんなで掴んだタイトルだと思うので、本当に重みが違いました」

――ちなみに、MVPになれると思っていたんじゃないですか?(笑)

「『ワンチャン、オレじゃね?』って思ってました(笑)。『点決めたし』みたいな。ちょっと期待はしていましたけど、(梅田)透吾になって、『ああ、妥当だな』と素直に思いました。アイツにも本当に助けられましたし、透吾だけじゃなくて、もう1人のGKの天野(友心)もそうですし、あの2人の物語もゲキサカに載っていましたけど、まさにあの通りでしたね。だから、『何で自分じゃないんだよ』とはまったくならなかったですし、それをみんながイジりに変えてくれたというか、『あれ?オマエは点決めたよな?』みたいな(笑)。まあ欲しかったですけどね、MVP(笑)」

――そう思いますよね(笑)

「思いますよ。全国大会のMVPですから(笑)」

――改めてエスパルスユースで過ごした3年間は、どういう時間でしたか?

「エスパルスは自分を育ててくれたクラブです。神奈川の街クラブから、いきなりJクラブに行った時に、温かく迎えてくれましたし、僕たちの代は穏やかな人が多くて、ちょっとひねくれているようなヤツとか、やんちゃなヤツとか1人もいなかったので、1年目から凄く楽しかったんです。プレミアリーグも1年生の初めの方から経験させてもらって、デビュー戦で点を決めたりして、良いスタートは切れたんですけど、だいたい1年目から試合に出ると、周囲から敬遠されることもあると思うんですよね。態度には出さなくても、どんどん距離が離れていくような。自分たちはそれがまったくなくて、『オマエ、明日スタメンじゃん。頑張れよ』みたいな感じで、みんなの人柄に助けられました。まったく知らない所に1人で飛び込んで、うまく溶け込むことができたことは、みんなに感謝していますし、3年間がただただ楽しかったですね。凄く充実していました」

――サッカーという共通項があるにしても、それだけ肌の合うグループにはそうそう巡り合えないと思いますし、それは人生の財産ですね。

「そうですね。今でも電話したり、関東圏のヤツらとはゴハンを食べに行ったり、通信してゲームをやったりして(笑)、そのぐらい仲がいいので、もう一生付き合っていく仲間だと思っています」

――流通経済大に入って3年目ですが、今の自分をどういうふうに捉えていますか?

「今は少しケガしていて、プロが決まっているわけではないですけど、焦っている感じもないですね。今年で頑張って活躍したい想いは強かったので、凄くサッカーがしたいですけど、ここまでは悪くないかなと。1年目からずっと試合に絡んでいましたし、天皇杯にも出してもらって、2年目もチョウ(キジェ)さんに出会えましたし、それは大きかったですね。あの人に出会えたことは大きなターニングポイントでした。最近凄く思うのは『人との出会いって本当に大切だな』って。3年間でいろいろな人に出会ってきて、いろいろな人に支えてもらっているからこそ、今の自分がいるなと思っています」

――梅田選手は岡山で試合に出始めていますし、大学で頑張っている同期も多いと思いますが、そういう刺激も含めて、残された大学での1年半をどう過ごしていきたいですか?

「それこそ透吾とか、一緒にやっていたような選手はもうプロの世界で活躍していますし、対戦相手として試合したような選手をテレビで見ることも多くて、そこからの刺激は凄くもらいます。そんな何年もプロの世界で戦っている選手たちに、まずは追い付かないといけないですよね。僕は大学に来たことをまったく後悔していないですし、大学には大学でいろいろな魅力があって、彼らとも十分張り合えるとも思っているので、この流通経済大学という素晴らしい環境で、残りの1年半悔いのないように、無駄な時間を過ごさないように、頑張っていきたいです」

FW齊藤聖七【流通経済大】 
2000年11月21日生まれ(20歳)
神奈川のFCパルピターレジュニアユースから、清水エスパルスユースへ入団。1年時から高円宮杯プレミアリーグでも出場機会を掴む。2年時のクラブユース選手権ではグループステージ敗退を強いられたが、3年時はキャプテンとして決勝戦でもゴールをマーク。チームを16年ぶりの日本一へ導いた。現在は流通経済大サッカー部に所属し、プロサッカー選手を目指して奮闘中。

(取材・文 土屋雅史)
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