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再び韓国に夢絶たれ…永井「A代表でしか借りは返せない」

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[8.10 ロンドン五輪3位決定戦 日本0-2韓国 カーディフ]

 FWとしての責任を感じていた。FW永井謙佑は1トップで先発するも見せ場をつくれず、後半26分に交代。最後まで、そのスピードを生かし切れなかった。「内容で勝っても、相手より1点多く決めないと試合には勝てない。FWがどんな状況でも決められるように成長しないと。そこが韓国との差だった」と唇をかんだ。

 永井のスピードと運動量がチームの快進撃を支えていた。グループリーグ初戦でスペインを1-0で下す大金星も、永井の前線からのプレッシングと俊足を生かしたカウンターがあってこそだった。モロッコとのグループリーグ第2戦(1-0)、準々決勝・エジプト戦(3-0)では決勝点。しかし、エジプト戦で痛めた左太腿の影響もあったか、中2日で続く連戦の中、永井自身のコンディションも徐々に落ちていった。

 相手の戦い方にも左右された。準決勝で対戦したメキシコも、この日の韓国も、永井のスピードを警戒してスペースを消してきた。さらに日本が追う展開になると、ブロックをつくってリトリート。永井のスピードを生かすスペースはなかった。「準決勝、3位決定戦と、相手に引かれたとき、点が取れていない。そこを打開できるように、そこを成長させないと、自分も次のステップに行けない」。世界で感じた課題を次に生かさない手はない。

 関塚ジャパンの立ち上げとなった10年11月のアジア競技大会からチームの主力として走り抜けてきた。「楽しかったし、いいチームだった。みんなが監督を信頼して、2年間やってきて、メダルは取れなかったけど、悔いのない戦いができた」。そう胸を張り、「またいつか一緒にやれたらいいなと思う」と、A代表での“再会”を誓った。

 また一つ借りもできた。サウジアラビアで開催された08年11月のAFC U-19選手権準々決勝。当時、永井やGK権田修一らがメンバーだったU-19日本代表は韓国に0-3の惨敗を喫し、U-20W杯への連続出場が7で途絶えた。「U-19で負けて、オリンピックで負けて……。次はA代表に入って、A代表でしか借りは返せない。A代表に行けるようにチームでがんばって、A代表に呼ばれるようにしたい」。五輪代表のチームメイトと、今度こそフル代表で韓国にリベンジを果たす。新たなモチベーションとともに、稀代のスピードスターはさらなる進化を遂げる。

(取材・文 西山紘平)

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