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町田・アルディレス前監督が帰国「ゼルビアというサッカースクールを構築したい、という思いがあった」

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 来季のJFL降格が決まり、FC町田ゼルビアの監督を退任したオズワルド・アルディレス氏が21日、自宅のある英国へと旅立った。

 カウンター戦術を採用するクラブが多いJ2としては異例のポゼッションサッカーを掲げ「美しい冒険」(アルディレス氏)に挑んだが、志半ばで日本を去ることになった名伯楽。J昇格初年の若く資金規模の小さいクラブで『オジー』は何を目指し、どんな未来を描いていたのか。帰国前、思いの丈を語り尽くした。

――日本を去るにあたって、改めてこの1年を振り返ってください。
「まず、とても悲しい。悲しいというのは、長い期間ここにいたかったからです。信じられないくらい本当に素晴らしい時間を過ごせましたが、それができなくなりました。悲しい気持ちというのがほとんどです」

――来年以降も積み重ねたかったとは思うが、心残りなことはなんでしょうか。
「ここに来るにあたって、2つのアイデアがありました。1つは、最大の目標であるJ2に残留するということ。そして2つ目は、このクラブを『フットボールのスクール』と捉えて臨むことでした。将来を考えたうえで『ゼルビアというサッカースクールを構築したい』という思いがあった。これに関しては、1シーズンという時間の中で最大限にやれたという自負はあります。

 結果はシーズンを通じて下位をうろうろしていましたが、試合内容としては、本当にみんなが学ぶ機会を作ることも少しはできたのではないでしょうか。本当にポジティブなゲームもありました。しかし、不幸にも特に1番目の残留に対しての結果が出せませんでした。

 心の底から思うのは、我々はJFLにいるべきチームではないということです。最下位という結果にはなりましたが、1つひとつの試合を紐解いていくと、上位チームとも互角のゲームをしてきました。結果は出ませんでしたが、後ろに引いて守ることは一切してきませんでした。

 もしかしたら結果が出なかったのは、ゴールに近い最後の部分で相手に本当に良いFWがいて、フィニッシュしてしまったとか、我々が無垢あるいは幼稚とも言えるプレーをしてしまったことがあったからでしょうか。

 公で言うべきことでないかもしれませんが、痛みを持ちつつも言いたいと思います。J2にフェアプレーはありませんでした。むしろ、その逆でした。私は親日家だし、日本サッカーの信奉者でもありますが、将来が心配になりました。

 我々は一切のズルをしてきませんでした。そのために大変高い授業料を払う結果となりましたが。上位陣で本当に我々より力の勝っているような相手でも、1点を入れた途端に大げさに倒れたり、時間を作ったりという姿がすごく見受けられました。我々はそんなことをするチームでなかったと胸を張って言えます。それは自分が自信をもって言えます。それが今年起きたことではないでしょうか。

 もちろん、私たちの側の問題では、怪我人の続出を指摘することは避けられないことです。これほどまで多くの怪我人が1年を通じてあるのは想像していませんでした。水戸戦(第41節)の週は、怪我人がようやく帰ってきたという状況でしたが、新たに2のレギュラー選手がウォーミングアップの前の段階で離脱しました。そしてドラガン・ディミッチも試合当日の朝に熱を出しました。試合に向けた準備段階で3人を失うことになり、結果を見ても大変に苦しまされました。

 しかし、選手は全ての試合で100%の力を出し切ってくれたと思っています。それには感謝、『ありがとう』の言葉しか出てきません。不運にも目標は達成できなかったということです。ただ、私ができる限りのことを1年間やってきたということは、『これだけやってきた』という自負はあります。それは1人ひとりの選手が成長したと思えるからです」

――『フットボール・スクール』の成果という意味では、今季30試合以上に出場した9選手が、平本一樹を除けばすべて昨年のJFLを戦ったメンバーだったこともある。

「その点では少なからずやれたと自分でも思いますし、だからこそ来年もやりたかったと思っています。クラブとしてそういう(退任の)決断を取られたのは仕方ないのですが。クラブにあるこのハーモニー、雰囲気というのは、すごく重要なキーだと私は思っています。その意味で、今年1年間、選手やスタッフで誰かがケンカをしているのを私は見たことがありません。説明するまでもなく、その雰囲気はあなたもご覧になってきたと思うが、ただ、結果だけが出ませんでした。

 もちろん結果が1番大事なのは承知していますが、その成長が結果に反映されなかったのは、選手に十分な経験がなく、それによって無垢なプレー、幼稚なプレーをしてしまったこともあったかもしれません。

 しかし繰り返しになりますが、どんな相手と戦う時でも引いて守らなかったことは大変ポジティブに捉えています。この調子で行けば、また来年、J2に戻ってくると自分では確信しています」

――2試合と続けて良いゲームの入り方ができないことが多かったこと、セットプレーの守りなど、経験のなさに起因する弱点が目立ったシーズンだったと思います。やはり、それを埋めるのは難しい作業でしたか?
「あなたが言うように、失点の場面を見れば、言うなれば少しばかげた形も多かったですね。英語でいうsoft goal(見ていて『あれ、入っちゃった』と思うような形)が重なった。ただ、少なかったけれども、我々のゴールは良い形の得点が多かったのではないでしょうか。それはまず経験というところになってしまいますけれども」

――42試合で34得点とゴールが少なかったことも、経験不足が最大の要因だったのですか。
「もちろんです。例えばDFラインが4人だとして、同じ4枚が2試合続けて並ぶケースもあまりなかったと思います。思い返せば、必ず誰かが(怪我などで)代わらざるをえない状況になっていました。そういう意味での守備陣の変更は常にあったと思います。イ・ガンジンが加入してからも、そういう状況は続きました。彼が来る前はもっと過酷だったことは言うまでもありません。

 攻撃の方でもチャンスメークというものは本当に経験による部分が大きいと思いますが、それもなかなか難しかった。そして良いチャンスを作る時もありましたが、決めることができなかった」

――若手が多い中で大きく伸びた選手は、加藤恒平北井佑季鈴木崇文三鬼海と多くいた。才能を伸ばすために選手のどういう部分を見ていたのか。
「コーチとして選手に接する時のシークレットなのかもしれませんが、私は個の成長こそがチームの成長につながると考えていたし、個の成長を促すことは本当に重要な課題だと思っていました。自己評価をすると『選手に成長を促すコーチ』として私は指導者をやってきたように思いますし、このチームでも色々な選手が成長を見せてくれました。(三鬼)海、(太田)康介、北井…」

――太田康介は、伸びしろが多いという年齢ではないが、どのように成長の可能性を見出していたのでしょうか。
「私は彼を22歳の選手たちと同じように捉えていました。最初はセカンドチーム(控え組)として彼を見ていましたが、そういうシーズンの始まりにも関わらず、結果的として彼がチームの大黒柱となってやったのは間違いありません。1人の選手として1試合ごとに少しずつ、大きな成長をしてくれました。もっと言うと、来年はもっと飛躍するでしょう。成長に年齢は関係ない。あまり言うと彼にプレッシャーをかけてしまうかもしれませんが、それくらいの成長はするはずです」

――これまでJ1の強豪(清水、横浜FM、東京V)ばかりを率いて来た監督からすれば、選手層としてもだいぶ差があるクラブだったはずですが、その中で可能性をどうご覧になっていましたか。
「まず、その通りだと思います。ただ、そうした現実があっても、小さいクラブなりに前向きにチャレンジしていかないといけません。どうすればいいか。それは『ボールを介して成長するということ』です。私たちがやったことは、まさにそのことです。例えばポゼッションに関しても、我々がやれなかった部分としては、もうちょっと、パスを回しているだけではなくて、スイッチを入れる(ゴールに近づく縦パスを入れる等)ところであったり、スピードを変える部分であったり、もう少しポジティブにやったり。その『もう少しの部分』がなかなか難しく、時間がかかるところです。だからそれが結果に影響してしまったこともあります。

 では、失敗の後にどうするか。その答えは、とにかくトレーニングをし続けること、つまり継続です。信じて継続することが、失敗の次にやるべきことなのです。積み重ねです。経験のない選手がボールを介したプレーをやっていく。ポゼッションしかできない、良いサッカーができていないのであれば、それをまた続けていくことで選手が良いレベルになるサイクルが生まれると思います」

――酒井良戸田和幸といったベテランが出場機会を得られませんでした。その分、田代真一がリーダーとしての役割を担うこととなりました。彼の1年についての評価と将来の可能性については。
「マサは本当に、信じられないくらいエクセレントな選手だと思います。彼のスタイル、プレーぶりを高く評価している一方で、もっとやってほしいし、もっとやれるじゃないかという思いで見てきました。満足はしていません。もっとやれると思います。本当にエクセレントな選手だからです。One of my favoriteです。しかし、若いとはいっても世界ではもっと若い選手も出てきているのですから、満足しないでほしいと思います」

――監督はこれで去ることになるが、クラブが継続し先に進むためには何が必要だと思いますか。
「一般論として、町田は安定した状況を作ることがまず大事だと思います。本当に監督がよく変わっていますね。なので、先ほどの話に戻りますが『サッカーを学ぶスクール』として継続することです。

 大学生ともよく練習試合をしましたが、お世辞もあったでしょうが、我々とやったことで『こういう風にボールを大事にするのか』という思いも抱いてくれたと聞きます。そんなに大差で勝ったのでなく、引き分けの時もあったり、セットプレーでやられたりもしましたが、勝った時は相手を完全に上回ったからだと思います」

――その意味では、J2のリーグ戦で相手監督からも、町田のスタイルについて一定のポジティブな評価も度々聞かれました。
「我々のサッカーを本当に見せられる試合、もしくは時間帯はありました。多くの場合、内容的に上回っていたこともあったのではないでしょうか。ただ、結果を伴うことはできませんでした。なぜか。それはやや幼稚なミスとか、最後の部分での一発でやられたからです。

 ただ、アイデアというのは、単に『勝ってよかったね』で終わるのではなく、きちんとしたサッカーに対する考え方があって勝利を目指す、ここに大きな意味があると思っています。プロですから勝利につながらないといけないのも分かりますが、現実的には、J1昇格を狙っているチームが、最下位にいる我々に大変悩まされていたことも多かったのではないでしょうか」

――最後に、改めてサポーターに贈る言葉をお願いします。
「本当に私たちのサポーターは『例外的な存在』でした。本当にありがとうという感謝の気持ちしかありません。私からすると、このような状況になってしまいましたが、引き続きゼルビアを温かく見守ってほしい。

 町田は本当に『パーフェクト』に向けて動いていると思います。色々な部分でハーモニーを奏でてくれるようになりました。それは下川社長からGMの唐井さん、スタッフや選手、スポンサーとサポーター、全ての町田ぐるみのことがつながっています。そういう意味で、町田の将来は大変美しいものになると私には感じ取れます。そんなに多くの時間を費やさなくても上に行くことができると思います。それは1番難しいところではありますが、今の時点でもある程度やれるのは素晴らしいことです。

 さらに言うと、来年こそ今まで以上に、どうかサポートしてあげてください。大変難しい年になるでしょう。サポーターの皆様には、今年のJ2の冒険を1番近くで支えてくれたことには、感謝しかありません。J2にまた戻ってくる日も遠くないでしょうし、今年の経験が必ず来年や再来年、将来に生きて、強いチームとなって帰ってくると思います。少しずつ、1歩ずつ成長するでしょう。

 将来の町田は本当に美しい姿となることを感じています。新しいスタジアムも出来上がりますし、トレーニング施設もそうです。なので、町田という街はポジティブな状況になる訳です。そういう意味で、私もまだここにいたかったのが本音ですが、そういう決断には至りませんでした」

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