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C大阪ラストマッチのFW播戸「何歳になっても、落ち着きたくない!!」

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[7.26 親善試合 セレッソ大阪2-2マンチェスター・U 長居]

 最後の日まで、セレッソ大阪の一員として戦った。26日、C大阪はマンチェスター・ユナイテッドと対戦。この日、サガン鳥栖へ期限付き移籍することが発表されたFW播戸竜二は、出場を見送るかと思われた。しかし、後半33分からピッチに立つと、ロスタイムの1分を含めた13分間、最後まで全力で駆け抜けた。花束を持ってミックスゾーンに現れた播戸は、試合後に移籍が決まった経緯を説明した。

「オファーをもらったのが22日くらいでした。ここでの現状を考えて、必要としてくれるチームがあるのであれば、選手として行くべきだと思ったので、迷いはありませんでした。C大阪は、僕がいた3年でマンチェスター・Uと試合ができるような素晴らしいクラブになってきました。これからさらに優勝争いをしたり、タイトルを獲ったりするクラブになって行くと思います。そういうチームにいたい気持ちと、選手として試合に出て活躍したり、ゴールを決めたい気持ちもあったので。自分の心の底から試合に出たかったので、移籍を決断しました」

 若き才能と触れあえたことが、C大阪での何よりの財産だったと播戸は言う。

「今日なんかも(杉本)健勇とか、(南野)拓実とかがゴールを決めて、将来有望な選手たちと一緒に練習をしたり、寝食をともにする。そういう選手が、(香川)真司もそうですけど、世界へ羽ばたいていく。そういうところを見たり、一緒にサッカーをしたりする楽しさはありますけど、今日のようにピッチに出て、あれだけ応援をしてもらって、その中で走れて、サッカーができるのが、一番プロサッカー選手としては素晴らしいことですから。そこを一番に考えました」

 それにしても、ラストゲームが派手になる男だ。前所属のG大阪では、天皇杯連覇を達成した10年1月1日の試合がラストゲームだった。そして今回は、世界に名を轟かせるマンチェスター・ユナイテッドと2008年クラブW杯以来、5年ぶりの再戦となった。

「前半から(ライアン・)ギグスが走って、あれだけスライディングして、一番すごかったというか、気持ちを見せていた。ああいうのを見て、僕も気持ちだったりを見せないといけないと思っていました。何回かスライディングもして、ちょっと危ないスライディングもあって、リオ(・ファーディナンド)に『落ち着け!!』って怒られて、その後一回、削られましたけどね(笑)。でも、何歳になっても落ち着きたくないからね、選手としては。いつまでもギグスのようにボールを追いかけて、スライディングして、ああいうサッカー人生を歩んでいきたい」

 試合後、そのギグスのユニフォームを播戸は持っていた。だが、実は交換したのではないという。

「アップしたので、ギグスが交代したことは知らなかったんです。ピッチに入ったらおらんから『あれ、おらん?』って焦りましたね。パッとベンチを見たら、ベンチにいたのでヤバいなと思って。試合後、すぐにベンチに行ったのですが『もうロッカーに戻った』と真司に言われたので『頼むわ!!』と頼んだら、真司がもらってきてくれました。それで『オレのユニフォームいるかな?』って聞いたら『いらんのちゃう?』って言われたから、もらっただけ。一番おいしいパターンです(笑)。今日のユニフォームも残っていますし、オレ的には一番良い形や」

 ピッチに立ったことで得たものは、もちろんユニフォームだけではない。「今日もたくさんの刺激を受けました。世界のトッププレーヤーとプレーできたことは一生の財産ですし、この経験を若手に語り継いだり、プレーで見せたりしないといけない。そういう意味でも今日は貴重な経験になりましたし、鳥栖でもいろいろ伝えていきたい」と語った。

 試合後、サポーターに挨拶をしたが、すべてアドリブだったと明かした。

「その場で考えました。でも、我ながら『良い挨拶やったんちゃうかな』と思います。笑いも入れたし。あの辺が、一番ここで成長したところでしょうね(笑)。カメラは全部、真司が連れて行ってしまいましたけど、そんなものです(笑)。サポーターも最後まで残って応援してくれて、幸せでした。ガンバの最後もすごくて、毎回クラブを出るときに『引退するんちゃうか』という感じになっていますが、まだやるんでね(笑)。ここでは終わりましたが、次は鳥栖でやるので。みなさんにも足を運ぼうと思ってもらえる活躍、プレーをしたいと思います。本当にありがとうございました。以上、終わります!!」

 2002年に札幌から神戸に加入して以来、G大阪、C大阪でプレーしてきた『関西の太陽』は、鳥栖での飛躍を誓った。

(取材・文 河合拓)

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